第9話 トレメイン商会
町が高い防壁で囲まれているのは意味が有る。もちろん敵国が攻めてきた場合に備えてという意味があるのは確かだが王都に近いこの辺りで日常的にそのことを住民が意識することはほぼない。
では何から守るかといえば人間に害をなすモンスターや害獣たちからだ。とは言え王都に近いこの辺りでは兵士や騎士団などが定期的に巡回しているためそれらも少ないという話だったのだが。
「ふむ、やはり完全に討伐することは不可能ということだな。それはどの国でも同じか」
30メートルほど先の森から出てきてこちらを待ち受けている3匹の醜い緑色の体躯をしたモンスター、ゴブリンたちを眺めながらそんなことを考える。ゴブリンは私と同じくらいの背丈であり、知能は魔物にしては程よく有り、集団生活や道具を使う程度はある。
それらのことから一時期意思の疎通が出来ないか研究が行われたとクリスとして読んだ文献に書いてあったな。まあ結果としては無駄だったようだが。
「さて、このまま避けることも可能だが、下手なことをされても面倒だな。今の実力を試すためにもやっておくか」
走るのをやめて立ち止まりキョロキョロと周囲を探す。自分たちに怯えて立ち止まったとでも思ったのかキャキャという声を上げ醜悪な笑みを浮かべながらこちらへと向かって走ってくるゴブリン達へ向けて拾ったこぶし大の石を思いっきり投げつけていく。
魔力でコーティングされた体で投げるその石たちはかなりの速度で飛んでいっているがなかなか命中しない。もちろん避けられているという訳ではなく私のコントロールがうまくいっていないだけだ。
「難しいものだな。こういった訓練もすべきか」
そんなことをつぶやきながらひたすら投げ続けていると、たまたま1つの石が一匹の顔面へと当たった。そのゴブリンは何かが潰れるような音とともに見えない壁に跳ね返されたように後方へと弾き飛ばされ、地面に倒れたままピクピクと体を痙攣させている。その姿をその両サイドにいたゴブリン達が振り返って動きを止めていた。
起き上がる様子もないし威力としては十分なんだがな。
さてあと10メートルほどしかないのでそろそろ投石は終わりだ。服が汚れてしまうかもしれないのが残念だが直接殴るとしようか。
時間をかけるのも面倒なので自分からゴブリン達へと近づいていく。足音で気づいたのだろう倒れた仲間を見ていたゴブリン達がこちらへと向き直った。そして私と目があった瞬間一目散に倒れた仲間を見捨てて逃げ出していく。
「判断が早いな。生き残っているのはそれなりの理由があるということか」
ふぅ、と軽く息を吐きそしてその潔さに笑う。追いかけて追いつくことは簡単だろう。しかしそれをする意味はないしなにより時間がもったいない。邪魔になりそうだから排除しただけで倒したいわけではないからな。少数のゴブリン程度であれば他に害をなす可能性も低いだろう。
ゴブリンは弱い魔物だ。魔物退治を専門にする冒険者と呼ばれる者の中でも成りたての初心者でも倒すことが出来るほどの。まあ集団になれば驚異は高くなるし、甘く見た初心者が死亡する例は後を絶たないらしいが。
「さて先を急ぐか。しかし魔力での広域探知が出来ないのは厳しいな。ゴブリン程度であれば別に良いのだが」
潰れた顔面から血を流しながら倒れているゴブリンを残し再び走り始める。昔は出来ていた魔力による広域探知が出来なくなったことにより不意打ちを受ける可能性が高いことを再認識したので警戒度を上げながら。
視線の先には今までと違う太陽の光を反射し青く煌く風景が見え始めていた。目的のトレイシーの町はもうすぐのはずだ。
海岸線に着いてから少々探すのに手間取ったが無事日が暮れ始める前にはトレイシーの町へと着くことができた。しかしこのまま町へと行こうとすればどうやって来たのか疑われる。私の見た目でひとり旅をしてきたなど通じるわけがないからな。
しばらく待ち、到着した乗合馬車の乗客に紛れて町の中へと入る。そしてすぐ近くにあった兵士の詰所へ行きフレッドの商会の名前を伝え場所を聞いた。どうやら海岸に近い場所に本社があるそうだ。
親切に地図まで書いてくれた兵士に礼を言いそちらへと足を向ける。
初めて見たトレイシーの町であるが、やはり王都に最も近い港町ということもありかなりの賑わいを見せていた。赤い顔をした船乗りらしい男たちの喧騒や威勢の良い客引きの声を聞きながら歩を進める。
そして目的の場所へと着いた。
「なかなか良い店のようだな」
人や荷物が頻繁に出入りし活気あるその開放的な店を見ながらそんな感想を漏らす。周囲の店舗の2倍程度の大きさだろうか。働いている者たちも良い顔をしている。報告書の収支などからそれなりの大きさだとは理解していたがやはり実際に見たほうがよくわかるな。クリスの時はこんなことは出来なかったが。
さていつまでも見ていても仕方がない。せっかく節約した時間がもったいないしな。そう考えて店先で先程まで客の対応をしていた比較的若い男へと声をかける。まあ若いと言っても30は越えているだろうが。
「すみません。少しよろしいでしょうか?」
「はい。何でしょうか?」
笑顔を崩さず私を見た男の対応に内心で感心する。私の見た目ははっきり言ってこの店の客層ではない。決して小奇麗とも言えない使用人の服を着た子供なのだ。迷子とでも思われているのが関の山だろう。商品を盗もうとしているコソ泥かもしれないという考えも頭の片隅にはあるかもしれない。
子供相手であれば油断してそういった思いがわずかながらに出てしまうことが多いんだがそれが一切なかった。教育が行き届いているということか。
「トレメイン家から査察にやってきましたシエラと申します。レイモンド様にお取次をお願いしたいのですが」
「査察ですか……」
「はい。事前に通達した日より少々早く着いてしまい申し訳ありませんが。こちらがその証になります」
赤い蜜蝋で封をされた手紙を取り出し訝しげな視線で私を見る男へと渡す。手紙の蜜蝋に押されたトレメイン家の印章を確認した男が少々お待ちくださいと言って店の奥へと消えていった。ふむ、やはり言葉では信用されなかったな。
先ほど出した手紙には私が査察することを証する内容が書いてあり、その中には私の容姿などについてもしっかりと含まれている。なぜそんなことを知っているかといえばその手紙を書いたのが私だからだ。
子供がいきなり査察に来たと言ったところで簡単に信用するはずがない。見知った相手であればいざ知らず私は初めてこの町に来るのだ。当然私のことなど商会の誰も知りはしない。そんなことにも義母は気付かなかったようだがな。
しばらく待っていると先ほどの男が戻ってきて店の中へと案内された。その表情はどこか困惑しているように感じられる。まあそれも当たり前だろう。普通はこんな子供が査察に来たと言われても信じるほうがどうかしている。何ができるんだと思われるだろうしな。
「申し訳ありませんが現在レイモンドは所用で出ております。こちらに資料は用意してございますので先にご覧になりますか?」
「早く着きすぎてしまったのはこちらですのでお気になさらずに。それでは先に資料を確認させていただきます」
「……わかりました。御用があればお申し付けください」
そう言って男は部屋を出ていった。机の上に月別にきっちりと分けられ、それだけでなくおそらく上から同じ順番に並べられているであろう資料に期待値が高まる。
「さて始めるかな」
ひとりっきりの部屋にページをめくる音とそしてその内容についてメモを取る私のペンの音だけが響いていった。
お読みいただきありがとうございます。