深大寺にて(2)~赤駒を送る~
1月17日を忘れないこと、次の世代につなぐこと。自分が青春時代を送った神戸と、今住んでいる調布、そして、女房の故郷である大船渡を、深大寺の「赤駒」で結んでみました。2011年の東日本震災の年に書いた作品です。
あなたが旅立つ前に、このお馬のお人形を渡してあげてって、娘は言いました。自分から渡せばいいじゃないのって、私は言ったんだけど、娘は顔を真っ赤にして、そんな恥ずかしいことできるもんかって呟いて、そのまま階段を駆け上がって、今は自分の部屋に閉じこもっています。あなたの顔を見るのも恥ずかしくって、照れくさくって、部屋から出てこようともしないのよ。
そうねぇ、いつもやんちゃで、あなたの顔を見れば口げんかばっかりしている、それこそ、絵にかいたようなじゃじゃ馬の、あの子らしくはないわねぇ。でもね、このお馬のお人形を、あの子が選んだのはなぜか、きちんとあなたに説明してあげないといけないと思うの。このお人形にこめられたあの子の気持ちを、きちんと伝えてあげないといけないと思うの。少し長いお話になるわ。まだ時間は大丈夫かしら?
あの年から、もう、16年になるのね。あの時、まだ小学生だったあなたが、もう立派なお医者様。そして幼稚園に行くか行かないかだった娘が、もう大学生だものねぇ。本当に、月日の流れるのは早いわねぇ。
あの年のお年始に、私と娘と二人して、深大寺に初詣に行ったのね。その時に、娘が買ったのが、これと同じお馬のお人形でした。娘は初詣の間中、ふくれっつらしてすごく不機嫌だった。もともと娘は、寒い冬の外出が嫌いなんだけど、でも、その年は特別。パパが、年末年始にかけて、長期出張が入っちゃって、家をずっと留守にしてたのよ。
本当は3人家族なのに、ママと二人だけで東京でお留守番の、さびしいお正月。とはいえ、折角のお年始だもの、ただ家にいるのもつまらないって、深大寺に初詣に行ったんだけど、風が冷たくて、かえって娘はめげちゃってね。パパがいない寂しさと、頬を刺すような冷たい風で、娘はずっと泣きそうな顔してた。
でもね、山門を出て、御茶屋さんが立ち並ぶ通りを歩いている時に、店先にこの馬を見つけて、ご機嫌が直ったのよ。娘は不思議と馬のお人形とかぬいぐるみが好きでねぇ。このお馬のお人形、鼻面をぴんと天に向かって伸ばして、なんとも姿勢がいいでしょう。勇ましくって、カッコイイでしょう。それにね、店の人が聞かせてくれた、このお人形の由来を聞いて、「このお人形をパパに送ろう」って思い立って、その考えにすっかり夢中になっちゃったのね。
これはね、赤駒、というお人形なんです。おじいちゃんが子供の頃は、深大寺の近辺で、沢山作られていたものだったそうよ。万葉集にある、こんな歌が元になっているんだって。
赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山歩ゆか遣らむ
防人に召された夫が乗るはずだった赤駒が、山に放牧されていてどこに行ったか分からない。仕方なく夫は、いくつもの山々を自分の足で歩いて越えて、遠い任地へと旅立っていく・・・残された妻は断腸の思いだったでしょうね。せめて夫を守って欲しいと、思いをこめて藁を束ねて、馬の形に仕立てたのが、この赤駒の始まりだそうよ。
「遠くで働いているパパが、ご病気やお怪我をしませんように」って、だから買ってって、娘は言ったわ。私、なんだか泣きそうになっちゃって、この馬の人形を家の窓辺に飾って、娘と一緒に、「パパを守って下さいね」って、かなり本気でお祈りしたの。今から思えば、何かしら、予感があったのかもしれないわね。
そう。パパの出張先は、神戸だった。あの年の1月17日の朝、うとうとしていたところで、電話が鳴った。おじいちゃんだった。「TVを見ろ」とわめかれて、TVをつけたら、神戸の街が壊れていた。灰色の煙を上げて燃えていた。あの街のどこかに、炎に包まれたあの街のどこかに、パパがいる。私の一番大事な人がいる。全身から力という力が抜けていくのが分かった。
娘が私にしがみついてくる。しっかりしなきゃ、しっかりしなきゃ、と思いながら、なぜか知らないけど、あの人の寝顔のことを思い出していた。だらしなく半分口を開けて、大きないびきをかいている寝顔。なんでこんな時に、そんなものを思い出すんだろうって、なんだかおかしくなって、ふっと笑った瞬間に、涙があふれてびっくりした。泣いちゃダメ、泣いちゃダメって思いながら、それでも後から後から涙はあふれてきて、ぼろぼろ泣きながら、一日中、あっちこっちに電話した。パパの会社。パパの知り合い。神戸のホテルに電話しても通じるはずがない。神戸のホテルを経営している会社の本社に電話をしたけど、被害状況も全く分からない、と言われるだけ。時間を考えればまだホテルで寝ていたはずだし、民家と違ってビルは大丈夫だろう、と思った時に、繁華街で横倒しになったビルの映像がTVに映って、危なく気を失いそうになった。
TVは一日中、燃える神戸を映し続け、壊れた建物を映し続け、そしてあの人と連絡は全く取れなかった。そうだね、一人だったらもう、耐えられなかったと思う。でも、娘がいたから。娘も泣いてたけど、泣きながらこう言い続けていたのよ。「大丈夫だよ、ママ、赤いお馬さんが、パパを守ってくれるから、大丈夫だよ、ママ」って。
長い長い一日だった。おばあちゃんが駆けつけてくれて、こういう時こそしっかり食べろって、夕食を作ってくれたけど、さすがに喉を通らなかったなぁ。下手に家を離れないで、会社からの連絡を待つ方がいいって言われて、やることと言ったら祈ることだけ。そうなれば、娘の言うとおりにするしかない。台所のテーブルにこの赤駒を置いて、必死になって祈った。「あの人を無事に帰してください。あの人を守ってください」って。娘も一緒に、一生懸命祈ったわ。「パパを守ってください」って。
娘が祈りつかれて眠ってしまっても、私はずっと、台所のテーブルで祈り続けていた。他にやることがないんだもの。そのうち、うとうとしたのかしら。赤駒の、つんと立った鼻先が、ぶるっと震えた気がした。体がふっと浮かんで、耳元で激しく風が鳴った。周りがかっと熱くなって、ふと見れば、私は赤いたてがみの美しい馬の背にのって、夜空を飛んでいる。私の前には娘が座っていて、寝ぼけ眼で私を見上げ、自分の足元を見て、わぁ、と声を上げた。見下ろした私達を、灰色の煙が包む。煙の下に、おき火のような禍々しい光が点々と見える。まだじりじりと燃えている神戸の街の上を、私達は赤駒に乗って、一陣の風のように飛んでいた。
赤駒は軽々と神戸の街の空を駆ける。倒壊した家屋の周りで沢山の人たちが叫んでいるのが聞こえる。かすれた声で子供の声を呼びながら、さまよう母親の姿が見える。崩れた瓦礫と格闘する消防士たちの姿も見える。私は思わず娘の目を手で覆った。赤駒は空を走り、目指すものを見つけたらしく、一直線に、斜めになったビルに向かって走り出した。
ビルの側の瓦礫の中に、あの人はいた。無事だった。あの人は瓦礫と格闘していた。あの人は本当にあの人らしく、自分のことも自分の家族のことも放り捨てて、自分の周りで失われかけている命を、一つでも多く救うために、真っ黒になって走り回っていた。傷だらけになったあの人の手がコンクリートの塊を投げ捨てると、瓦礫の下に、動かない人の影が見えた。女の人だ、と分かった。ぴくりともしない。あの人は、その女の人を、なんとか瓦礫の下から引き出そうとしている。その女の人の下に、さらに小さな子供の形が見えた。動いている。生きている。
赤駒が激しくいなないた。あの人ははっと顔を上げた。ぐらり、とまた地面が揺れて、不安定な瓦礫の塊が大きくかしいだ。動かない母親の下に腕を差し入れて、あの人は、母親の体に守られた子供を引っ張り出し、抱え込んだ。その上から、大きな本棚ほどもあるコンクリートの塊ががらがらと崩れ落ちてくる。もうだめ、と思った瞬間、赤駒があの人にすごい勢いで体当たりした。あの人の体が、抱きかかえた子供ごと飛ばされた、と思ったら、赤駒の上から、コンクリートの塊がどっと落ちてきた・・・
我に返ったら、私は東京の家の台所で、テーブルに突っ伏して眠っていたの。そして、赤駒のお人形は、テーブルの上に倒れていた。まるで大きな石か何かに押しつぶされたみたいに、ぺしゃんこになってね。
娘がこの新しい赤駒の人形を、あなたにあげようと言い出したのには、そんなわけがあるんです。ずっとあなたにお話ししたいと思っていたけど、でも、夢か現か分からない幻のような話だもの。いつ話せばいいものかしらと思ううちに、こんなに月日が経ってしまいました。そして今日くらい、このお話をあなたに話すのに、ふさわしい日はないと思います。
そう、あの時、私の夫が、瓦礫の中から助け出したのが、あなた。あの小さな傷だらけの子供が、こんなに立派な青年になったことを、そして自分の志のままに、立派なお医者様になったことを、私も、私の夫も、本当に誇りに思っています。でも、娘は、違う思いをあなたに対して抱いているの。
この赤駒を持って行ってやってくださいな。あなたは、あの町へ、禍々しい巨大な黒い波に呑まれて全てを失った東北の港町へ、混乱と恐怖と絶望が支配する場所へ、非常医療団のメンバーとして行くというけれど、この赤駒は、きっとあなたを、色んな危険や困難から守ってくれるはずです。この赤駒には、私と、私の娘と、そして、万葉集の時代から、旅立つ者たちを見送ってきた、人々の思いがこめられているんです。そして、この赤駒に託された、娘の、あなたへの気持ちも、察してやって下さいな。あの子は今、二階の自分の部屋で、あの時の私のように、あなたの無事を祈って泣いているんです。
一人でも多くの命を、あなたのその手で救ってください。あの炎の街であなたを抱きしめたあの人のように、たくさんの命をその手で抱きとってあげてください。そして、私と、娘と、そして、自分の命をかけてあなたを守った、あなたのお母さんに、一つ約束してください。ここで誓ってください。いいですか。必ず無事で、帰ってくるんですよ。
(了)
「赤駒」は、深大寺の代表的な民芸品です。深大寺で古くから作られていた「赤駒」が復活したのは、1997年なので、実は、阪神・淡路大震災の時には深大寺では売られていませんでした。この親子に「赤駒」を売ってくれたのは、子供の想いを汲み取った、深大寺の開祖、満功上人の化身だったのかもしれません。