2018
2018年版
二〇一八年九月九日。
携帯電話の歴史は五十年を越えると言われている。
最初は小さな段ボールみたいなサイズで、手で持つのがやっとだったとか。今では芸人なんかがネタにしているが。
それから携帯電話という文化は日本国内で独自の進化を遂げ、小型化に成功、二つ折りケータイ、スライドしてテンキーを出すタイプのケータイ、等々、携帯電話というものの一時代を築き上げたのだ。
ちなみに、皆さんが気軽に使っている「ガラケー」という言葉だが、「ガラパゴスケータイ」の略称で、ガラパゴスとは「その国の中でだけ独自の文化が発展して、他国では使われていないもの」という意味を持つらしい。なんと、日本で言うところのガラケーとは日本にしか存在しないのだろうか。驚きだ。
そんなガラケー文化も閉ざされようとしている。インターネット各所からの締め出し、ガラケーの生産廃止。もしかしたら、近い未来には、ガラケーという存在すらなくなっているかもしれない。
なろうもとうとう、ガラケーの締め出しにかかった。時間の問題と考えていたが、とうとうか、と思う。
もしかしたら、しばらくはなろうに私は入れなくなるかもしれないんだな、と思うと、少し寂しい気持ちだ。
そんな中、有志の方々が集ってくださったのだ。夕涼み重陽会、大いに盛り上げて行こうではないか。
ガラケーに菊の花を添えて。
ちょっと無縁そうなテーマが二つ並んだが、まあ、テーマは片方だけでもかまわないので。
もしかしたら、夕涼み重陽会はこれが最後の開催となるかもしれない。重陽という節句が消滅しないように続けていきたいと去年の私は語ったが、時代の流れというものは時に想像を凌駕して残酷なのだ。
それでも、少しの人々にでも、九月九日、重陽の節句を覚えてもらえたなら、これ以上の喜びはない。
では、また開催する機会があることを願いながら、ひとまず幕引きとしよう。
来年以降どうなるかわからないため、一旦完結します。
ありがとうございました。