表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

2017

2017年版です

 西暦二〇一七年九月九日。

 九月九日というのは、節句である。

 皆様、五節句という存在はご存知だろうか。

 一月七日の人日の節句、

 三月三日の上巳の節句、またの名を桃の節句、

 五月五日を端午の節句、

 七月七日を七夕(しちせき)の節句、

 ここまでは日本の節句として有名であろう。上記の節句には、それぞれ行事があるのだから。

 例えば一月七日には七草粥を食べたり、

 例えば三月三日には雛祭りが行われたり、

 例えば五月五日は男児の成長を祈願して鯉のぼりを立てたり、

 例えば七月七日は織姫と彦星の逢瀬として、短冊に願いを書いたり……まあ、この風習は織姫と彦星の逢瀬を願うついでに自分の願いも聞き届けてもらおうということで広まったとか聞いたことがある。ちょっと夢のない話だ。

 それはまあさておき、ここまで挙げたのは、五節句のうち四つであるのは皆様お察しだろう。

 では問うが、貴方は最後の一つの節句をGoogleや辞書などなしで、空で言うことができるだろうか?











 考えて考えて、結局ググったりしないとわからない、というものが多いのではないだろうか。

 なんとも嘆かわしいことではあるが、それが現実であり、致し方ないことである。

 結局何が言いたいかというと、別段、最後の節句を知らないことを詰りたいとか、そういうわけではないのだ。

 先に言った通り、最後の一つを知らないことは致し方ないことなのである。

 何故かといえば、この節句は前述した他の節句と違い、改まった風習というのがないのである。

 厳密に言うと、ないわけではないのだ。しかし、現代社会まで残るような、そう、現代日本人が好きな単語で言い表すならそう特別な「イベント」として形を残しているわけではないのだ。

 けれども私はその事実に誠に悲観せざるを得ない。

 それもそうだろう。何せ現代日本では、「クリスマス」やら「バレンタイン」やら「ハロウィン」やら、異国文化を少々日本流にアレンジを加えつつも年中行事として浸透させている。

 にも拘らず、だ。日本古来より伝わる節句に関して、祝い事を行わないというのはどういうことだ。

 クリスマスやらバレンタインやらが悪いとは言わない。だが、日本人であるならば、せめて日本古来──元々は中国より伝来したものであるが──の文化を知っておくべきではなかろうか。

 それに、他の節句がこんなにも有名なのに、一つ忘れ去られたようにぽつんと何もされない節句があるというのは寂しいことだと思うのだ。節句の気持ちになってみよ。周りの節句や渡来したイベントは持て囃されているのに、古くからいてそこそこの重鎮であるはずの自らが置いてきぼりにされ、果てには忘れ去られていくのだ。行く先に見えるは自然消滅の道。そんな運命(さだめ)は悲しくないだろうか。

 少なくとも、私は悲しいし、由来を知ってから尚のこと、この節句は自然消滅なんて一途を辿らせてはいけないと思った。


 故に、毎年「夕涼み重陽会」と称して、今は名すらも薄れかけた節句──重陽の節句を自分なりに祝おうと企画しているのである。






 前置きが長くなったが、

 九月九日は最後の節句、重陽である。またの名を菊の節句。

 桃の節句同様、菊の節句も花の時期とはずれているが、旧暦、つまりは太陰暦だと、ちょうど花が盛りになることからそう呼ばれている。

 さてはて、ではここから「重陽の節句」とはどういうものかについての説明に入ろう。

 まず、先に軽く触れたが、日本の五節句というのは中国から伝来したものである。

 一月七日

 三月三日

 五月五日

 七月七日

 九月九日

 この日付の羅列を見て、気づくことはないだろうか。

 そう、一月七日の人日以外は、皆同じ数字、しかも奇数が重なっているのである。

 ちなみにだが、人日の節句が一月一日ではないのは、一月一日は元旦でその日自体が元々祝われることだったため、ずらした結果なのだそうだ。

 はて、話を戻すが、どの節句も奇数月奇数日に合わせられたのにも、当然意味がある。

 それは皆様も一度は聞いたことがあるであろう、陰陽道に由来する。

 光あらば影あり、光なくして影あらん。これは言わずと知れた世界の摂理であり、陰陽道にも通じる。物事には必ず陰と陽がある。女性、男性と性別が存在するように。

 それが数字の場合、偶数と奇数だったのだ。偶数が陰で、奇数が陽の役割を担う。

 人の世界というのは陰陽がバランスを取って存在しているから安定しているのである、という考え方がある。

 だが、常にそのバランスが安定しているとは限らない。その不安定が顕著に表れるとされた日が、言わずもがな、五節句である。

 陽である奇数が重なる日というのは、陽の気が多く、バランスを取ろうと陰の気が集まり、災厄に見舞われやすい、という考えから、厄払いとして生まれたのが、この五節句の風習である。

 五節句の風習、といったが、前置きで話した通り、重陽の節句の風習というのを知る者はそう多くないだろう。

 しかしながら重陽というのは五節句の中で最も重要な節句なのだ。何故かというと、答えはその日付にある。

 九月九日。奇数なのは他節句とも同じだが、これは一桁数字の中で最も大きな「九」という奇数が二つ重なるのだ。つまり最も膨大な陽の気が集う日、というわけだ。

 陽の気が膨大であれば、陰の気はどうなるか? ここまでくれば、想像がつくのではないだろうか。

 ──陰の気がバランスを取ろうとして大きく膨れ上がる。

 つまりはより大きな災厄が寄ってきやすくなる日というのだ。

 大きく陽が重なる日、それが重陽。そんな日に集う災厄を払うための儀式は、当然ある。

 ここで思い出してほしいのが、重陽の節句の別名、菊の節句である。

 旧暦の重陽はちょうど菊が盛りの時期。菊は皇家の紋にも使われる、高貴な花である。

 昔の人々は、そんな菊を使い、入口に飾ったり、酢の物にして食べたり、菊酒を飲んだりとして厄払いをしていたそう。これがこの節句が菊の節句と呼ばれるもう一つの所以だろう。




 それに肖り、私が考えた物書きなりの重陽の祝いが毎年開催している「夕涼み重陽会」だ。

 テーマには毎年欠かさず「菊」を据えている。そこには、物書きなりの菊の使い方で、厄払いに添えよう、という思いがあるのだ。

 節句は形は変われど、古きよき文化だと私は思っている。故に重陽は祝われるべきだと私は思うし、譬、誰もが忘れてしまっても、こうして小さくでいいから祝い、少しでも繋げたらいいと考えている。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ