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公孫樹の木の下の爆弾

拝啓

突然のお手紙でごめんなさい。私は、半月ほど前に女学校の四年い組に編入してきた折笠薫子と申します。

お話ししたいことがございます。本日放課後、校舎裏のいちばんおおきな、あなたがいつも本を読んでいらっしゃる、公孫樹の木の下にいらしてください。

お待ちしております。

かしこ 

宝生 桜子 さま

折笠 薫子



こんな手紙が今朝、自分の机の中に入っていた。

ちなみに自分は、この折笠さんという後輩のことを存じていない。確かに半月前に四年生に、季節外れの編入生が来たと話題になっていたことは覚えているが、その後輩の名前や見た目など、さっぱり覚えていなかった。

それよりも今までの"相手"が卒業した同級の鳴上雅子さんを巡り、六人の同級生が沈黙を破って"エス"に立候補したという大騒動の方が強く印象に残っているのである。


そもそもこうした"ラブレタア"をもらうこと自体初めてなのだ。それは、エスの関係を請うものの話でもあり、おそらく本来の意味である、男女間のものの間でもだ。一年生の時から地味な見た目に即し、当然ながら諸先輩からスルーされたたし、高学年になってからも友人の"妹"以外の後輩とも接点も特に持たない五年生の私に、エスはいない。

一方で、入学してすぐにラブレタアの山が築かれ、六人の同級生からアプロオチされる雅子さんのような方もいる。

女学校のエス社会も厳しい世界である。


そうこうしているうちに、いつもの公孫樹の下についた。今日の昼はこの手紙に焦ってしまい、読書どころではなかったために1日ぶりの定位置。

普段はすぐに帰宅するために気づかなかったが、夕暮れとほんのり紅葉の始まる公孫樹の葉が重なり、初秋の夕方らしい穏やかな色彩を生み出していた。

相手はまだ来ていないようだった。


しかし、この薫子さんという子は、どのようなお嬢さんなのだろう、と思う。

一般的に、すなわち他の女学校でも、エスの関係というのは基本的に年上から年下の生徒に持ちかけるものだ。もしくは同級生だ。年下の生徒が年上の生徒に持ちかけるなどというのは聞いたことがない。

女学生が先生に関係を請う時もあるにはあるらしいが、この学校では久しく聞かない話である。


薫子さんは編入生というのだから、まだエスに慣れていないのかもしれない。独り合点を打った桜子は、鞄から読みかけの本を取り出し、いつものように根元に座って常識はずれな後輩を待つことにした。





10分ほど経っただろうか。

優しい午後の黄金色に染まっているページに、いつの間にか明暗ができていることに気がついた。

ふと目を上げると、薄茶色のふわふわとしたショートヘアに丸眼鏡をかけた顔がこちらをじっと覗き込んでいた。

たれ目がちな、楽しげな目と、ふと目があった。

この子だ、と思った。


「あなたが折笠薫子さん、かしら?」


レンズ越しの透き通った目が嬉しそうに細められた。


「嬉しいなぁ。私の名前、覚えていてくださったんですね。」


ほんとうに嬉しそうなその声とその子の向こうから注ぐやわらかい琥珀色の光にどこかいたたまれなくなって、手元を見ずに本を肩掛け鞄に押し込んで、桜子は思わず立ち上がった。


「手紙に書いてあったじゃない。それで、私に何か御用かしら?」

羽二重で包まれるようなひたすら柔らかい雰囲気から逃れるように唐突に切り出した。

それにつられて目の前のひとも立ち上がり、意外な高身長を背中を曲げて桜子に目線を合わせ、思わぬ"ご用事"を告げた。



「……私と、姉妹の契りを結んで頂けませんか!」




桜子は思わず固まった。

エス文化だのお姉さまだので有名な女学校に通ってはいるものの、そうした文化の当事者となったことのない桜子にとっては予想だにしなかった話である。


「下見に来た時に、この木の下で穏やかに本を読むあなたを見てから。忘れられないんです。」

固まっている本人を気にせず、せき止めた水が流れるように薫子は言葉を繋げた。

「私は下級生ですが、いろいろ事情があって、ほんとうは18歳、えぇと、あなたより多分歳上なんです。だから、私から言いだしても良いだろうと思ッてアァでもあなたをお姉さまと呼ばせていただきたいんです。だって実際に僕より先輩なのだから。年齢とか気にしないで、普通のエスとして扱って下すって構いません。実は帝都でも"ここ"にしたのはあなたを見たからでそれで……」

「ちょ、一寸、待ってくださる?」


桜子は自分の言われていることがあまりに衝撃的すぎて、前のめりで話す薫子の肩を思わず叩いて話を止めるように促した。すると今までのおしゃべりが嘘のようにピタリと止んだ。


改めて見るとこの後輩は随分と背が高く、桜子より頭一つ大きいと言ってもよかった。そしてエスに積極的になる後輩に多い内気な美少女というよりは、まだ女学校でも珍しいショートヘアに雰囲気を引きずられているのか、文学青年といった印象すら漂わせている。

大部分ではないが、エスを現実の恋愛のように捉える一部の生徒たちからは人気のあるタイプなのだろうと頭の片隅で考える。その一方で、桜子は言われたことを脳内で反芻していた。


私より歳上である。それでも後輩に当たるのだから私がお姉さまだ。いや、そんなことよりもこの少女は今、私がいたからこの女学校への転入を決めたと言わなかっただろうか。その少し前には恋愛小説のような、やけに恥ずかしいことを言われたような気もする。

エスというものは、こんな恥ずかしい台詞を日常的に囁きあっているのだろうか。

低学年の時の同級生たちが、まるで恋をする乙女のようにエスの”お姉さま"からのラブレタアにキャアキャアとはしゃいでいたのにも納得できる気がした。そういえばあの祥子さまとエスの関係にあった彼女は、結婚するといって退学したけれどもー元気だろうか。祥子さまと比較されるのだから旦那さまも大変だろう。かつてのクラスメイトたちは随分と数を減らしてしまった。


そんなある種の走馬灯のような思い出に浸りながらガラス越しの瞳をぼんやり眺めていると、薫子は少し頬を染めた。


「あの、宝生さま?」


「けれども、いいのかしら。私は五年生だから、あと半年くらいでここからいなくなってしまうのよ。そうしたらあなた、二人目のエスを探さなくちゃいけないのよ。」


エスは神聖で純愛なものであり、一人につきたった一度の運命の相手である。もちろん、そこに年齢差があるものだから実際は先輩とエスでいたあとに後輩とエスの関係になるなんてこともないことはないが、あまり好まれない。

二人目のエスを探すのは難しい。そのために、初めてのエスはとても慎重になるものなのである。私はそれを知っているが、この編入してきた後輩はそれをまだ知らないのかもしれない。


「宝生さまは、その、やっぱり鳴上さまが……。私では、役不足でしょうか?」


上級の者は様付けで呼ぶというルールがあるこの女学校において"宝生さま"というその呼ばれ方は、初めこそむずかゆがったものの、最高学年となった現在では聞き慣れたものである。しかし薫子の落ち着いた雰囲気に呼ばれると、何かに包まれたような、なぜか安心した心地になってしまった。

そんな自分の変化に何より驚いたのは桜子の方である。



だから、理性では断るべきだとも思いつつも。

薫子が望むのなら、自分が"姉"になってみても良いかとも思ってしまったのだ。



背の高い薫子は少し背を曲げ、桜子を覗き込むように目を合わせようとしてくる。

一呼吸をおいて決心がついた桜子は、そんな薫子の手を取り、告げた。


「よくってよ。けれども、私の"妹"になるのだったら、その不恰好な姿勢はおやめなさいね。」

手を取られたことで薄紅色を通り越して薔薇色に頬を染めた薫子は、無言で何度もうなずいた。


「薫子さん、本校のエスの誓詞はご存知かしら?……結構よ。なら後に続いてちょうだい」



健やかなる時も 病める時も

喜楽を共にし 悲哀を共にし

あなたを愛し 敬い 導き 

嘘を省き

真実の中に あなたと生きると誓います



桜子に続いて薫子が誓いを述べ終えて暫く、二人はお互いを黙って見つめていた。

「お姉さま、って呼んでいいんですよね。私だけが、貴女を。」

頬を染めたままの背筋を伸ばした薫子が、嬉しそうに桜子を見下ろしながら言った。


対照的に桜子は再び自分のブーツのつま先を見つめながら考え込んでいた。

薫子の雰囲気に飲まれてエスの契りを誓ったわけだが、自分は残り半年、薫子をエスとして導いていかなければならない。だがこの丁寧で穏やかな年上の後輩に、自分が教えられることなどあるのだろうか。



しかし、そんな静寂を破ったのは薫子の方だった。


「お姉さま。嘘はーーいけないんですよね?」

「そうよ、エスの間で嘘がわかったら、それだけで"別れ"る要因になるのよ」


華やかなエス文化の陰で、そう言ったことで別れるエスを何組か見てきた。まさか半年でそんなことにはなるまい、と考える彼女に、"別れ"と聞いて頬の紅薔薇を白薔薇へと変えた薫子は爆弾を落とした。






「実は私、男なんです。お姉さま。」







「は?」

思わず桜子が家人に対するような言葉遣いを漏らすくらいに、それは大きな爆弾だった。






「エェット、あなたは男性なの?」

思わずはしたない声を出してしまったことを反省し、仕切り直すように桜子は問いかけた。

「黙っておくつもりだったのですが、そんなことでエスの関係を断ち切られてしまっては堪らないので。」

「”そんなこと”ですって?あなた、ここがどこか分かっていて?!ここは女学校よ?!」

私を見下ろして話ていたためにずり落ちてきたであろう丸眼鏡をふ、と直しつつ、まるで明日の天気も晴れでしょうねとでも言うような口調である。

「性別なんて些細なことかなって」

「些細なことであるものですか!」

「何故ですか?僕はあなたが大好きだし、尊敬しています。エスの契りに性別なんて必要ないでしょう?」


中産階級の女性の社会進出が言われるご時世である。

古い考えを保つ方は社会に出る女性を“はしたない”と言うが、女学校では(少なくとも、桜子の通う)、性別を超えた女性の自立を説いていた。それが一般社会の通例とは異なっていたとしても。


ここで自分が騒げば、まだ校舎に残っている生徒たちや、もしかしたら教師も来るかもしれない。それで桜子が今言われたことをそっくりそのまま伝えれば、きっと薫子—否、薫は即刻退学になるだろう。

しかし桜子もそれはなんだかかわいそうな気がしたし、自分のことを(なぜか)一心に慕ってくれる様子を見せた薫のことに興味を持ったのも事実である。


桜子は情に弱い少女であった。

そして、一度懐に入れた人間にはとことん甘くもあった。


「まァ、いいわ。さすがに私を追いかけてーなんてものを現実の関係で鵜呑みにするほど私もおばかさんじゃないわ。」

桜子は相手が殿方だとわかると急に流石に恥ずかしくなり、視線を足元にそらした。しかし、意地でおばかさん、のところはしっかりと薫を覗き込みながら話した。


「あなたにも何か事情があるのでしょうし。よくってよ。エスの契りを結んであげる。」

「お姉さま!」

薫が感嘆の声を漏らす。取られていた手をぎゅっと握られた。


そう、実はこういう、一心に慕ってくれる”妹”が欲しかったー。興味はない、と言いつつも桜子も級友たちが羨ましかったのである。


「でもね、あなた、私の妹を名乗るのですから、私もあなたをそういう目で見るし、ちゃんと妹らしくしていただくわ。よくって?」

「もちろんです!」

「では、ご機嫌よう薫子さん。また明日ね。」

薄暗くなり始めた帰り道の伴をする気だったらしい薫子を背に、桜子は早足で家に帰ったのだった。







帰宅して夕食をとり、宿題を終わらせた桜子は、先ほどの出来事を日記に書きながら、このことー妹ができたことを誰かに話したくて仕方がなかった。

そうだ、と思う。

自分にエスの相手ができないことを今まで散々からかってくれた、あのいけ好かない書生を逆にからかいにいこう。


時計を見ると寝る時間まではまだ30分ほどあった。

夕食の場に現れなかった書生の武雄の為に、一度台所で温かな紅茶とクッキーをもらい、何やら忙しそうに缶詰になっている書生の部屋の戸を叩いた。

非常に嫌そうな顔をして戸を開けた書生の表情を無視し、猫のように室内に滑り込むと、本の積み上がった机の上にトレイを置き、自分はその横の椅子を引っ張ってきて座った。

武雄は渋い顔をしながらも紅茶を持ってきた"お嬢さん"を無視することはせず、元の位置に戻ってティーカップをとった。話を聞いてくれる気はあるらしい。


桜子は口を開き、武雄はペンを片手に話を聞き始めた。




「ねぇ、一寸、聞いているのかしら?武雄さん?」

「聞いていますよ、お嬢さん。あなたがなぜか男と姉妹の契りを……ッハハ、交わしたってのは、ッフ、十分わかりましたとも」

「ちゃんと聞いていたのね!私あなたのそういう意外と面倒見がいいところ、とっても素敵だと思うわ!」

「僕も課題があるのでその辺で解放していただきたいのですがね……あ、そうだ、じゃあ最後に。この武雄、尊敬する宝生家のお嬢さんに名言をご紹介しましょう。『離婚は進んだ文明にとって必要である。』あの有名なモンテスキゥ氏の言葉です。それじゃあおやすみなさい”お姉さま”、いくら書生の部屋とはいえ、あんまり遅くまで男の部屋にいるものではないですよ。」


パタン


しゃかしゃかと扉まで追い立てられ、目の前でドアが閉められた。今日の武雄は本当に忙しそうである。

桜子の話を聞きながらもせわしなくペンを走らせて本と睨めっこをしていたし、紅茶もあまり注ぎ足さなかった。

忙しいようだったら自分が紅茶セットを下女のところまで返しに行くべきだった、とも思うが仕方がない。武雄さんのことだから、夜食を頼みに行くついでに、返しに行ってくれるだろう。



武雄に自慢をしてすっきりした桜子は、明日の準備をし、ランプを消してベッドに入った。


月明かりの眩しい夜だった。

暗い部屋を煌々と照らす月に、今年のお月見も良いものになるだろうと考える。

宝生家の邸宅は、桜子が生まれた時からそこそこ大きい洋館だったし、軽井沢の避暑宅も洋館であったためにほぼベッドで過ごしている。

文明開化とともに欧風化が進む帝都では、桜子ほどの身分の家の子であると、生まれてからずっとベッドという者も珍しくはなくなってきている。


「薫子さんのお家は、お布団かしら。お布団は結構硬いというけれども、きちんと寝られるのかな……。明日あたり、聞いてみようかな……」

脳内で薫子のことを、性別を考えないようにしつつ考える。

意外と妹ができたことにはしゃいでいるらしい自分に戸惑いながら、桜子は眠りについた。







「おはようございます、お姉さま」

少し冷え込み始めた朝、家から出る勇気を得るために登校時間を10分遅らせることと引き換えに温かいお茶をお代わりし、いつものように武雄とともに家を出た。

とびきり可愛らしい笑顔を向けて、門の前に薫子が立っていた。


丸眼鏡に、茶色の混じった山吹色の着物に、深緑の女袴。

朝日がキラキラと、色素の薄い、ふわふわとしたショートヘアに輝いている。

昨日の白っぽい矢絣着物に海老茶を合わせた袴も似合っていたが、今日のものも”彼女”のよさを引き出していると言って良いだろう。身長は高いが、高めの女性が高めのブーツをハイカラに履きこなしたものより少し高いのだと思えばまぁ、相応である。

どこに出しても恥ずかしくない見た目のエスの片割れ。妹である。

その優美な雰囲気に後ろにいる武雄も薫子を凝視し、固まっている。武雄にはもったいないからあげないわよ、なんて桜子は思わず考えてしまった。

いや、そういう話ではない。


「おはよう、薫子さん。なぜわたしの家を知っているのかしら。」

「やっぱり夕暮れ時に女性を一人、街を歩かせるのは不安でして。」

薫子が男性として気配りを見せたことに頬が熱くなったのを隠しながら、あなただってそうじゃない、と反論を試みた。

「私はいざとなったらなんとかなりますから。サァ行きましょう?お姉さま」

安心してください、とでも言うように薫子は桜子の荷物をサッともち、歩き出した。


残された桜子は武雄と思わず顔を見合わせ、可愛い妹の荷物を持つのは「姉」の役割だと、はしたないと思いつつも薫子を追いかけて初秋の街を駆け出したのだった。


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