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海賊工場

作者: 短小マン

 一昔前は海賊の数も少なかった。カリブの海は閑散としていたし、アジトとなる島は無人島ばかりだった。けれど、何が切っ掛けになったのか数年前から海賊達が増えだした。それも百や二百みたいなちんけな数ではない。今では海を見渡す限り、どこかに必ず海賊船が浮かんでいるほどだ。かつての一万倍ぐらいにまで海賊達は増えてしまった。

「取り舵いっぱーい!」

「おい、そっち詰めろ詰めろ! このままだとぶつかってしまうぞ」

「ええい、面倒だ! 接舷しろ! この際だ、向こうの船を乗っ取っちまえ!」

 増えに増えた海賊達によって、カリブの海は慢性的な渋滞が発生するようになった。海賊同士のいざこざも発生するようになって、渋滞で苛ついた海賊同時が喧嘩をする事も珍しくなくなった。今までは、それこそ獲物の取り合いでもないと海賊同士が争う事なんてなかったのだが、イナゴを例に出すまでもなく、密集すると生物というのは強いストレスを受けて、攻撃性を増大させる性質を持つ。

 増殖した海賊どもは蟲毒の如き殺し合いに身を投じた。

 そして、そうした日常にうんざりしていた。

「ねえ、親分。どこからこんなに集まってきたんでしょうね」

 古参の海賊船である『口説き落とされたマグロ号』の船員ニコルは、船長のタバスコ・ダ・ガマに聞いてみた。ガマガエルのような顔つきをした、日焼けと酒焼けで赤黒い顔となった船長は不機嫌そうに吐き捨てた。

「俺様が知ったことか」

 実際、ガマ船長は知らなかった。

 どこからこんなに同業者がやって来たのか。なぜやって来たのか。どこからやって来たのか。なにをしにやって来たのか。何一つガマ船長は知らなかった。彼は海賊と奴隷女の間に生まれて、幼い頃から、末は海賊か船乗りと言われていた生粋の海賊であり、生まれて一度も船から下りたことはなく、いつもカリブ海を航行する船の上で暮らしていた男であった。知っている事は、船の繰り方や人の殺し方、それに部下の怒鳴り方に脅し方、後は強姦の作法ぐらいのもので、どこから海賊がやってくるのかなんて哲学的な問いかけに答える頭を持ち合わせていなかった。

 そんな事よりもガマ船長が気にしているのは、海に溢れそうになっている海賊船をどう避けるかとか、海で渋滞したときにどう船をかわすかとか、あるいは目障りな他の海賊をどう殺すかという事で、海賊が増えてしまっているという根源的な原因を考える余裕は欠片もなかった。

「なんだ。親分も威張っているわりには物知らずだな」と、ニコルは若者らしい短絡さで船長を見下した。そして、渋滞する海上と海図を交互に照らし合わせる船長をほっぽって、この海賊船でも最古参の海賊である『狐』のところに向かった。

 ニコルは潮風を真っ向に受けながら甲板の上を疾走し、昇降口に飛び込んで、船艇の船倉の扉を押し開くと、中では『狐』が鼠を丸呑みしているところだった。

「相変わらず、凄い事をやっているなぁ」

「おや、これはお恥ずかしいところをみられましたなあ。けれどね、坊ちゃん。鼠は船の食料を食い荒らします。退治しとくに越したことはないですよ」

「いや、けど、食うことはないだろう」

 ニコルが呆れた顔をすると『狐』はクックックと笑った。「どうやら、坊ちゃんはまだ鼠の美味さをご存じないらしい」

 そう言うと、笑って『狐』は持っている鼠を、瞬く間に平らげてしまった。

 『狐』は老いた海賊だった。今の船長であるタバスコ・ダ・ガマが紅顔の美少年であったころから、この船の最古参をやっている。二番目に老いた海賊が(彼は八十歳の老人である)、まだ新入りの頃から、今と何も変わりない姿で海賊をやっていた。酷く老いさらばえた海賊で、枯れ木のように痩せ果てて、全身は皺だらけ。吹けば飛ぶような老人だが、その目付きは『狐』のように狡猾で鋭いのだ。実際、彼は肉体的には脆弱極まりないけれど、精神性や知識に関しては他の海賊など足下にも及ばず、だから彼は『狐』と呼ばれて、誰からも恐れられ、また畏れられていた。

「なあ、狐。ちょっと聞きたい事があるんだけど」

「はいはい、何でございましょうか」

「海賊はここ数年で増えただろう。こいつらは、一体どこからやって来たんだ? どうしてこんなに増えたんだ。全くどういう事か、僕にはわからんのだ」

 だが、ニコルだけは『狐』を恐れても、畏れてもいなかった。彼は若者らしい純粋さで、ただ『狐』の凄さを尊敬した。『狐』もニコルを相手にしている時は優しかった。狡猾な目付きはなりをひそめ、好々爺めいた顔つきになる。話しぶりも慇懃だ。それはニコルの正体が、ガマ船長が奴隷女に産ませた子どもで、この海賊団の後継者と目されている少年である事も関係していたが、それ以上に『狐』は、自分を必要以上に恐れない、純粋なニコルが好きだった。だから怪物めいた策略家も、孫を出迎える老人のように海賊少年を出迎えるのだ。

「坊ちゃんも、随分と難しい事を考えますな。しかも、銀貨一枚にもならないことを」

「ちゃかすなよ。そういう難しい事を知っているのか狐だろ。親分なんか、そんな下らない事はどうでもいいって掛け合ってくれなかったが、狐なら、この世界のどこから海賊が来たのか。知っているんだろ?」

 ニコルが聞くと『狐』はにやりと笑って首を振った。

「存じませんな。そもそも世界に数多と溢れる海賊共の出自を一つ一つ確かめたわけではありませんので」

 言われて、ニコルは成る程と思った。確かに神ならぬ人のみで、この世の海賊のすべてを調べ上げる事など不可能だ。これは質問の仕方が悪い。

「なら、心当たりは?」

「それならございますよ。何しろ、私は役に立たぬ事を考える事が三度の鼠よりも大好物でして」

「また、馬鹿な事を言う。それよりも心当たりがあるなら教えてくれよ。僕はどうしても、同業者がどんどん増えているのかが気になって気になって仕方がないんだ。このままじゃ、仕事も手に付かない」

「しかし、気にしても海賊が減るわけでもなし、気にしたところで仕方がない話ですぞ。そもそも坊ちゃんの親父殿である船長の考え方の方が海賊的には正しいのです。どうにもならない事は気にしない。こうした現実主義というやつは海賊の、いや悪党の天性といっても差し支えがありません。目の前の現象のみに心を砕き、それをどうにかすることが悪党にとって最も大切な事なのです。辻街道で人を襲って殺すのに、幽霊を怖がるようなやつは悪党にはなれません。俺が幽霊を増やしているのさと嘯く人間が悪党なのです。ですから、起源とか歴史とか推測などは、私みたいな男に任せて、必要になったときにだけ、私の脳みそから取り出せばいいんですよ」

 老婆心を剥き出しにして、『狐』は心からの忠告を送った。けれど、そうして忠告する一方で、老人は非常に賢明であったから、ニコルの少年らしい好奇心もちゃんと理解していた。だから、少し耳の痛い小言を言っただけで、すぐに本題に入り始めた。

「ま、ともあれ、私の意見を述べてみましょう」

 かくして『狐』は増える海賊に対する持論を語り出した。

「私も長いこと海賊をやっていますが、こんなに海賊が増えたことは一度もありませんでした。それはつまり、海賊という職業が生まれてこの方、こんな事態は初めてという事です。今の時代は、未曾有の海賊増殖時代という事になるのでしょうか。さて、それ本題となりますが、このボウフラのように沸いてきた十把一絡げの海賊どもは一体どこから来たのだろうか。まあ、私も気になって他の海賊を襲ったときなどに尋問なんかをしてみたのですが、これが見事にバラバラなのですね。ある海賊は漁師だったが食い詰めて仕方なしに海賊になったと言い、ある海賊は山賊だったが海に出て気が付いたら海賊になったと言い、ある海賊は生まれた時から海賊だと言いました。ま、見事にバラバラですな。ただ、ひとつ面白いのは、百の海賊を襲って尋問してみたところ、十分の一ほど生粋の海賊であると主張する連中がいたって事です。割合にすると十パーセント。これは明らかにおかしい割合なんですよ」

「おかしいって、一体何がおかしいんだ?」

 ニコルは難しい顔をして首を捻った。

 そんな少年海賊の顔を見て、『狐』はただ目を細める。

「いいですか、坊ちゃん。海賊の数は異常な程に増えました。海の上で交通渋滞が起こるほどです。そこかしこが海賊船だらけで、私らも客船を襲うよりも海賊船を襲っている方が多いぐらいです。その数は以前の一万倍。だいたいそんぐらいだと私は思っています。それなのに、以前から海賊をやっていたと言い出す海賊が一割もいるのは多すぎなんですよ」

 仮に今までの海賊が百しかいなかったとする場合、現在の海賊の数は百万にまで増えた事になる。しかし、百万の海賊の一割、十万の海賊は「おれたちはずっと前から海賊だった」と言い張っている事になる。

「それはおかしいから、狐の数え間違いなんじゃないのか?」

「私は数え間違いはしませんよ。まあ、百程度のサンプルでは確率に偏りがあった可能性はありますけれどね。ただ、手当たり次第適当に海賊を襲ってみて、それがたまたま古くからの海賊だったってのもできすぎな話だとは思います。だから、私はこの統計が真実だったとして一つのへりくつを考え出しました」

「へりくつ?」

 その言い方が可笑しくて、ニコルは思わず変な声を上げてしまった。すると『狐』はにやりと笑って「はい、へりくつです」と繰り返す。

 それは次の様な話だった。

 すべての海賊の主張が正しいとすると、およそ十万の海賊がどこからともなくやってきたと言う事になる。だが、それらは全てカリブの日焼けした海賊であって、間違っても北方のバイキングなどは混ざっていない。ならばこの、十万もの新しい海賊達は、今のそのままの姿と記憶を持ったまま、カリブのどこかで製造されているのだという。

「ちょっと待ってくれよ。そいつはどういう話なんだ」

「どういう話もこういう話もそういう話ですよ、坊ちゃん。十万という膨大な、昔ながらも新参者共は、古参の海賊としての偽の記憶を持ったまま、何者かによって、ぽこんと海賊船もろとも生み出されているのではないかと言う話です」

「何者って誰だい」

「何者は何者です。最初に話して上げたでしょう。これはへりくつであると。そう考えると、まあ、だいたいの説明が付く仮説ですよ。明らかにおかしな量の古参の海賊。これを説明するためには、生まれた時から古参だったという虚偽記憶を持った海賊がどうしても必要になるんですよ。あるいは――」

「あるいは?」

「この世界とよく似た別の世界が千個ほど重なり合ってくっついた可能性でしょうかね。ただ、それだとどうして陸の連中は増えずに海賊だけが増えたかの理屈が付かない。いや、へりくつなので、海だけ重なっただとかいくらでもつくかもしれませんが、その場合はへりくつにへりくつが重なってあまり良くない。やはりここはシンプルに。カリブのどこかに海賊工場が出来たと考えるのが自然なへりくつでありましょうな」

「海賊工場……」

 ニコルは海賊工場について、想像力を働かせてみた。

 そいつはカリブの島にひっそりと立つ工場で、銀色の八面体という形をしている、中で働くのは遠く奴隷海岸から連れてこられた可哀想な黒人奴隷達で、彼らは毎日のように奴隷小屋と海賊工場を行き来して、朝早くから夜遅くまで働かされているのだ。海賊工場の内部は八つの区画に分かれていて、完全な分業制が成立しているから、工場で労働する黒人達は自分達が何を作っているのか知る事は出来ない。ある黒人はカルシウムから海賊の骨を削り出して、ある黒人は脳みそに海賊の記憶を書き込んで、ある黒人は流れてくる海賊の部品を丁寧に組み立てている。この工場の概要を把握しているのは工場長であるスペイン人のニコラス・ボンボンオヤージだけだ。彼は組み上がった海賊を海賊船に積み込むと、それを海へと流しては悪魔のような高笑いを浮かべるのだ。

 その想像は、まるで見てきたかのようなリアルさを持って、ニコルの脳裏に浮かび上がった。ニコルは、そのリアルさがどうしようもなく怖くなって、『狐』に問うた。

「……なあ、狐」

「なんでございましょう」

「もしも、狐の言ったことが本当の事であるとする」

「はいはい」

「で、その場合はだ。この海で活動する海賊達の誰もが、海賊工場で生み出された海賊である可能性があるってことだよね」

「左様ですな」

「なら、僕らも海賊工場で製造された海賊であるかもしれないってことかい?」

 ニコルの顔は真っ青になっていた。

 自分が作りものかもしれない。何者かの、例えば想像の中で登場した海賊工場の工場長ニコラス・ボンボンオヤージによって生み出された、取るに足らない工業製品であるかもしれないと考えると、足が震えて仕方がないのだ。

 だから、それを否定してもらいたくて、ニコルは『狐』に問いかけた。

 だが『狐』は――

「左様ですな」

 完爾として頷いた。

「ぼ、僕はそんなの嫌だぞ! こ、この身体が黒人工員に作られたものだなんて! この記憶がねつ造されたものだなんて!」

「まあまあ、落ち着いてくださいよ、坊ちゃん。この身体が何者かに生み出されたものだからと言って、それが今の坊ちゃんに何の影響を与えると言うんですか。記憶がねつ造されたものだから、客船が襲えないって事がありますか? 製造された身体であるから、目障りな海賊と喧嘩をするときに問題になったりしますか? 女を犯すときに問題が起こりますか?」

「そ、それはまだ起こっていないけど、けど、そうした問題がなかった記憶すらもねつ造記憶かもしれないじゃないか」

「かもしれない。そうでもないかもしれない。ただ、仮にそうであったとしたところで、今から気を揉んでいたとしても、それこそ杞憂ってものですよ。それとも坊ちゃんは海賊をやめて陸に上がるんですか?」

「陸に……」

 『狐』に言われて、ニコルは陸に上がった自分を想像してみようとした。だが、何も浮かばない。海賊工場についてはあっさりと想像できたのに、海賊をやめた自分は何一つ想像が出来なかった。

 なぜなら、ニコルは奴隷女から生まれてずっと、船の上で暮らしていた。陸に降りた事なんて一度もなく、生まれた時からずっと海賊をやっていた生粋の海賊少年だったからだ。

「わかったよ、狐。つまり僕はどのみち海賊であるのだから、下らない事で気に病むな。お前はそう言いたいんだな」

「はい、そうですよ。悪党というのは現実主義な生き物ですから――」



 そこまで海賊の脳に書き込んだところで、黒人奴隷であるガニヘスは手に持っていた筆を置いた。朝からずっと書き続きで背中が痛くなってきたからだ。すると奴隷監視員のスペイン人が顔を真っ赤にして、カタコトで怒鳴りだした。

「奴隷! 奴隷! なにしている! 休むな! 働け! 仕事しろ!」

 ガニヘスは慌てて筆を取った。

 怒られた事もそうだが、確かに監視員の言うことにも一理あったからだ。今日のノルマは脳みそ三つ。それを仕上げてやらない限り奴隷小屋に帰って眠る事は出来ない。

 ガニヘスは真面目な顔で仕事をしながら、こっそり小さな溜め息を吐いた。すると、その溜め息に触れた海賊の脳みそは外からの刺激を受けて、ぶるりと震えた。

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