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砂の城  作者: はるの優雨
9/10

その男へ

 国境付近の傘下の武家屋敷に陣を構える風市と麟之介のもとに早馬が着いた。海鶴城下の大道屋敷に残してきた、麟之介の臣下だった。


 その内容を風市は信じられず、唖然として麟之介を見やった。そこには、信じざるを得ない表情があった。


「嘘だ……嘘だ……嘘だ……」


 困惑して何度も何度も否定の声を漏らすが、隣に立つ麟之介はただ俯いて何も答えなかった。


「貴様っ!!なに故その様に平然としていられるのだ!!」


 風市は人目も憚らず、麟之介の首もとに掴みかかった。幸い、その部屋は伝達の前に人払いをしていたので、その姿を見ていたのはやって来た麟之介の家臣と、風市の小姓だけであった。


 激情をぶつけられても、俯いたまま黙っている麟之介を見て、風市は気づく。


「麟……貴様、知っていたのだな?陽影が十坂剛砂の牢に通っていた事を!」


 そして、更に風市の絶望的な怒りは高まる。


「なに故止めなかった!?なに故みすみす死へ追いやる道を進ませた!?なに故兄上に陽影を処罰する口実を与えたのだ!?」


 知っていた。兄の雷寿が陽影を疎ましく思っていた事を。逃した玉井出の処罰を諦めた訳ではない事を。


「ならば……お前が止めれば良かっただろう、風市。」


「無責任な事を……では、なに故陽影を娶った!?なに故……なに故……わしにくれなかったのだ。」


 堪らず、風市は泣き崩れた。麟之介はただそれを見ていた。


 実はこの時、麟之介は雷寿より御家の取り潰しか妻を差し出すか選べと、数日前に使者より密かに聞かされていた。


 大道家当主である麟之介が選んだ道を、風市は知らなかった。麟之介は既に知っていた。陽影の処刑を。


 もしかしたら、心から愛しく、愛しさのあまり己の心を苦しめ蝕む陽影がこの世から去った事で、麟之介は絶望的虚無感に苛まれるとともに、解放されたのかもしれない。その心意は最期まで誰も知らなかった。


 かつての仲間であり、捕虜となった十坂剛砂が何者かの手引きによって脱走したという報せは、この十日と数日前に二人の元にも届いていた。


 急ぎ、至る所に検問を張ったが、ついに見つからなかった。


 剛砂は厄介な男だ。もともと農民だった所為か、地形に詳しく、侍の発想とは別の所から様々な案を繰り出す知恵を持っている。


 それに、今は多々良の重臣。この男一人戻れば、 機能する軍が増え、兵力は確実に上がるだろう。


 剛砂が態勢を整える前に、事を進める必要があるだろう。しかし、風市は海鶴に戻ろうとした。この戦の大将を命じられているにも関わらず。


 当然ながら、風市の小姓始め、家臣はそれを止めようとした。


「もう手遅れ」


 その言葉が陽影の死に生々しい温度を持たせた。


 間もなくして、戦が始まった。先ずは砦なる咲垣城を落とすべく、天江軍は挙兵した。これに伴い、この周囲の国々を次々と調略した。


 孤立した山尾軍と天江軍の兵力の差は歴然たるものであった。やがて、城へと退陣する山尾は、多々良からの援軍を待ちながらの籠城戦に切り替えた。


 風市は勿論これを見越して、兵糧の運搬の為の河川を全て掌握していた。これより、咲垣城は兵糧攻めにあう事となった。


 その頃、多々良は西南の国々の説得に苦戦していた。やはり、皆一様に天江雷寿を恐れていた。もし負けてしまえば、その後の報復がとても恐ろしかったのだろう。その様な状態で援軍を出せるはずもなかった。今援軍を出せば、多々良の兵力をいたずらに消耗してしまう。咲垣が崩れた後のことを、そして、西南の国々の援軍を得られなかった時のことを考えると、見殺しにするより他なかった。


 きっと山尾もそれを解っている。ぎりぎりの所まで耐えて、多々良の為に時間を稼いだのだ。


 当主の不在による家中の混乱を剛砂はなんとか抑え、態勢を整えて主君である多々良岩蝉に進言したのは、半年を過ぎた頃だった。それは、海鶴から咲垣城に着いた頃よりずっと剛砂の脳裏に留まっていた考えであった。 岩蝉は中々首を縦には振らなかったが、今まで死人のようだと思っていた男の目が熱を帯びているのを感じ、了承しざるを得ないという想いに駆られた。


 風市のもとに、報せが届いた。十坂剛砂が、咲垣に向けて軍を進めているといものだった。


 多々良よりの援軍だ。兵力はやはり天江に劣るが、何せ大将はあの剛砂だ。恐らく様々な策を手土産に進軍しているに違いない。


 だが、剛砂と相見えると知ったこの時の風市には、最早勝敗などどうでも良かった。風市は取り憑かれたように、軍配を振った。


 咲垣城戦を麟之介の指揮下に置き、己の軍を今まさに攻めいらんとする十坂剛砂率いる多々良軍へと向けた。そして、あろう事か、相対した軍との野戦が始まり、相手の兵力を削ったところで、総大将である風市自身が本陣を出たのだった。周囲の止める声など、風市にとって既に色を持たなかった。


 その情報は剛砂のもとにも届いた。剛砂はきっとそれを果たし状のように受け取ったに違いなかった。


 自分の城へ帰城し、妻子と再会を果たした剛砂の耳にも、“耶湖殿の死”は届いていた。感動の再会のはずが、そこに色を見る事が出来なかったのは、おそらく既にこの男には価値を見いだせなかったからだろう。それに対して陽影の死が絡みついているのを感じたはずだ。


 無事咲垣城に着いた時に解っていた陽影の末路。それを思えば、この先の戦で人の命を食らって生き長らえた自分に出来る事は決まっていた。


 死地に向かうのだと決めていた。確実に負け戦となろう咲垣へ、手厚く介抱してくれた山尾へ。


 そして、死してあの御方のもとへ。







 戦場は、一時停止した。


 互いの総大将が、本陣を出て戦の真っ只中で対峙していたのだ。


 誰もがその気迫と行く末に固唾を呑んだ。


「おぬしに恨みはないと言えば嘘になるだろう。」


 先に口を開いたのは風市だった。かつて、同じ主君に仕えた者の再会とは思えぬ冷たさが漂っていた。


「おぬしはわしが真に恨むべき相手ではない。なれど、身体を焼き尽くすようなこの恨みを晴らすには、おぬしの首を頂くより他はない。」


「解っている。もう言葉など不要だ。」


 陽が昇れば男は戦に赴き、その影で女が男を支える。


 父の言葉を何度も胸の奥で繰り返し、青い空の向こうに浮かぶ朧な月が、淋しそうに微笑んでいるように思えた。


 大将の首を取った時点で、戦の勝敗が決まる。一時停止した戦場の中央で、二人の決闘が十坂軍と天江軍の戦の勝敗を握っていた。


 互いの想いは誰が為に向けられ、誰が為に剣を抜いたのか。


 家も血も、身分も立場も外聞も、見栄も意地も誇りも何もかも、捨ててしまえばそこに在るのはただの透き通った想いだけ。誰かの為の想いだけ。

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