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砂の城  作者: はるの優雨
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この女は

 この女は、死ぬ間際も微笑んでいた。


 その姿は余りに哀れで、余りに美しかった。


 山牢で聞いてしまった剛砂の生い立ちが、この女を死の道へと誘い込んだ。


「やはり、玉井出の呪いですかな。あの男も御方様も、玉井出の名に呪われてしまったのですよ。」


 洞窟を出る間際に、看守が外で待っている侍女にそう話しているのを、陽影は聞いてしまった。


 思わず足が止まった。どういう事かと眉を潜めた。


 自分が玉井出の名に呪われていると言われるだけならまだしも、看守は“あの男”と言ったのだ。それが誰を指すのかと考えれば、十坂剛砂以外に居ないだろう。


 十坂剛砂が玉井出の名に呪われているとはどういう事か?生き残りは陽影しか居ないはず。


 剛砂と玉井出の繋がりが知りたくて、慌てて木格子の前に戻った陽影を待っていたのは、剛砂の困惑した顔だった。


 剛砂にも看守の声が聞こえていたのだ。


 二人は互いにその経緯を語り合った。


 陽影は昔、百姓上がりが小姓に命じられ、それに教育をしているとだけ麟之介から聞いた事があった。その時、麟之介はそれ以上その男について話さなくなった事を思い出した。


 剛砂は剛砂で、まだ勝手が分からぬ状態の頃、玉井出の生き残りが居て、雷寿がその命を罰しようとしている事だけは知っていた。それが同じ小姓であり、師であった大道麟之介の正室だと、ようやっと結びついた。思い返せば確かにあの頃から、麟之介と雷寿の間に見えぬ溝が侵食し始めていた。


 そして、剛砂もまた血を引かぬ玉井出の一人だった。


 知った瞬間、二人の間で運命的な想いが繋がった。


 陽影にとって、救えなかった命。恩を返せなかった人々。玉井出の名は決して呪いなんかではなかった。玉井出家でともに過ごした一年は、とても温かい時間だった。


 剛砂にとって、雷寿に出会う切っ掛けとなった名。初めて与えられた名。雷寿の想いが隠され、託された名。二人の絆とも呼べる名だった。


 この時、陽影は衝動的に、且つ本能的に決意した。


「……今晩は家中の多くが出払います。その時、また参ります。」


 その言葉に、何を込めていたのか、剛砂にも確実に伝わっていた。


 その日、雷寿は朝廷からの召集により上洛しており、晩は左府の屋敷にて宴だと皆が噂していた。左大臣に屋敷に招待され、いよいよ雷寿に更なる高位の官位が授けられようとしているのだと、皆騒いでいた。天江家が(ミカド)の政務を補佐する立場となれる事に、誇りを感じていたのだろう。


 麟之介は数日前から風市とともに、多々良との戦に向けて進軍していた。大道家も海鶴城内も、手薄となっている。今日しかない。


 あの時救えなかった“玉井出”を、今こそ救うのだと、陽影は決意した。


 看守を欺き、陽影は剛砂を逃がした。その後、己の身がどうなるか、承知の上で。


 陽影が剛砂に飯を与えていると知っても、雷寿が厳しく取り締まらなかったのは、雷寿も実の所、剛砂を死なせたくはなかったからだろう。剛砂の話を聞いてから、そう確信した。


 それでも、雷寿の望むものの為には、多々良と和睦を結んで巨大な勢力を拮抗させる訳にはいかなかったのだろう。圧倒的な力を望む雷寿には。


 きっと、剛砂でなければその場で斬り捨てられていただろう。幽閉したのは、雷寿に迷いがあったからだ。他人には計り知れない数多の想いが。


 もう一度戻ってきて欲しかったのか、幽閉する事で再び傍に置きたかったのか、或いは執着していたからこそ、その分怨みも大きかったのか……誰にもそれは解らない。


 家臣の手前、使者である剛砂に手を差し伸べるなど、到底出来なかっただろう。そして、その葛藤の中で陽影の行動を止めきれなかったのかもしれない。


 そのどれもが正解であって、間違いだった。


 言えるのは、誰にも雷寿の真意など解るはずがない事。


 言えるのは、雷寿は反抗的な行動や態度を酷く嫌っていた事。


 言えるのは、反抗する者、その怒りに触れた者は、皆一様に血生臭い末路を辿る事。


 言えるのは、この陽影の行動は、確実に雷寿の逆鱗に触れる事。


 言えるのは、陽影がこの決意とともに、己の死を覚悟していた事。


 異変に気づいた看守は、わざと謀られながらも言った。


「今晩の内に、町人に扮して海鶴を去り、寺に身を寄せなさい」と。


 寺に保護されれば、或いは処罰を免れる希望があると考えたのだろうが、相手はあの天江雷寿だ。あの男は寺だろうが神社だろうが教会だろうが、きっと構わない。僧諸共焼き討ちにする事すら、厭わないだろう。


 陽影は、自分の為に誰かを巻き込むのは嫌だった。潔く、罰を受けるつもりだと、看守に伝えて微笑んだ。貴方にも迷惑をかけて、大変心苦しく思っていると。


 その後、大道家の屋敷に向かった陽影は、看守や侍女達の助命の嘆願書を書きしたためた。残酷なあの男に、これがどれ程の効力を発揮するかは解らないが、全て自分の勝手な行動であり、脅しさえしたのだと嘘まで書いた。


 ふと空を見上げると、雲のない夜空で月が満ちていた。月光に導かれるように金魚鉢へと視線を移すと、赤い金魚が力なく浮かんで水面に揺れていた。麟之介に与えられ、可愛がっていた金魚だった。


「お前も、早く外へ出してあげれば良かったね。」


 陽影はそっと鉢に触れる。


「私達の誰もがこの鉢の中の金魚と同じ……何処へも行けず、鉢の中で広い世を眺めるより他はないのでしょう。きっと鉢から出れば、忽ち息絶えてしまう。」


 この数日後、陽影は侍女と看守の男とともに打ち首となった。


 処刑場で陽影はこの者達には何も罪はない、反抗の意など持ち合わせていないのだと訴えたが、剛砂を再び失った雷寿の怒りの前に、どんな言葉も無力だった。侍女も看守も、陽影の為ならと覚悟をしていた。


 最期に陽影はこんな言葉を観衆に向けて残している。


「平和を望む事を恐れてはなりません。恐れる事を当たり前だと思ってはなりません。抗う心を忘れてはなりません。」


 陽影の穏やかな最期の笑みは、誰が為に向けられていたのだろうか。


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