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砂の城  作者: はるの優雨
1/10

その男

 人が燃えている。


 悲鳴が聞こえる。


 その男は苛立ち、舌打ちした。


「引き上げるぞ。」


 家臣の大道麟之介(ダイドウリンノスケ)が、背後で短く「はっ」と頭を垂れた。


「麟。」


「は。」


 男は踵を返し、燃え盛る掘っ建て小屋を背後にして歩き出す。


「人の焼ける匂いとは、鼻に付くのう。」


「……は。」


 堪えきれず、炎に包まれた小屋から人が飛び出した。しかし、性別も判らない。それは最早、炎を纏う黒い塊でしかなかった。やがて力尽き、野に倒れる。炎は灰になるまでその身体を焼き続けた。


 小屋の周囲は木の柵で囲われ、臣下の兵が人払いをしているが、哀れみと好奇心から群がる人々は押し合い圧し合いする。


「だが、見せしめには丁度良い。」


「……は。」


 男は不敵に右の口端を上げた。麟之介はただ俯いてその後に続いた。


 その男、名を天江雷寿(アマノエライジュ)という。


 石高八百万の領地を有し、戦乱の世の天下統一を目前にしていた。


 敵対する者は容赦なく斬り捨てる。敗者は一族家臣諸とも見せしめ成敗。残虐非道も厭わない。その男が紡ぐこの世の先を思えば空恐ろしく、人々はこの男は人の子に非ずと怯えた。


 しかし、鬼の将と呼ばれた若き天江の当主が、その生来で二度、逃した命がある。亡き父を(タバカ)り、敵軍と組んだ謀反人の娘が一度目。そして今、使者として登城した、敵対する多々良家の家臣、玉井出剛砂(タマイデゴウサ)が二度目である。


 処刑場から帰城すると、雷寿は夕餉(ユウゲ)に湯浴みを済ませて床に就こうとしたが、どうも腹の虫の居所が良くない。


 雷寿は舌打ちし、寝巻きのままで城を出た。向かったのは山の中腹に造られた牢。洞窟を利用したものである。


「外せ。」


 夜更けに突如現れた主君に戸惑う看守だったが、何よりもその姿が何時になく恐ろしかった。目つきは何時にも増して鋭く、白の寝巻きは死装束にも見えたのだ。


「暫し人払いせえ。ここには誰も近寄らせるな。」


 家臣は深々と頭を下げて、そそくさと立ち去った。


「気分はどうだ?」


 雷寿はしたり顔で、洞窟内に並んだ木格子の一つに声を掛けた。


 じめじめとした岩肌を、何処からともなく泥を含んだ水が伝う。落ちる雫が水溜まりを叩く小さな音が、絶えず反響している。


 木格子の向こうの男は、ゆっくりと雷寿を見た。その顔からは感情が読み取れない。


「……三日三晩、飲まず食わずだった割には顔色が良いようだ。」


 そう言った雷寿の顔から、憎らしい笑みが消えた。牢に入れて飯も与えなかった捕虜の様子が、予想外に余裕を保っていたからだ。


 この男が泣いて縋るような事をするはずがないとは解っていながら、己の非を認めて命乞いをしまいかと少なからず期待していた。


 何せ今日は腹の虫が治まらない。この男の屈辱に歪む顔、若しくは哀れな姿を見れば、ぐっすりと眠れる気がしていた。


 当てが外れた雷寿は舌打ちして、この男、玉井出剛砂を睨み据えた。


「剛砂……これが最後の好機だという事を、努々(ユメユメ)忘れるな。其方(ソチ)の心の臓など容易く握り潰せるのだぞ。なんなら、その目玉をくり抜いて、天江の家紋を彫って其方の妻子に送りつけようか。」


 重く低い声が蝋燭の炎を震わせたが、それでも剛砂は何も答えなかった。


 表情も変えずただじっと見つめる剛砂に、益々怒りを募らせた雷寿は寝巻きの袖を翻し、憤怒の足音を響かせるように早足で城へ戻った。


 御殿に着くなり、小姓の砂近(サコン)を呼びつけ、命じた。


「麟を呼べ!一刻も早く!」


 戦でもあるまいし、このような夜更けに城持ちの家臣を呼びつけるとは何事かと、砂近は眉を潜めたが、当然その様な事は口に出せるはずもなく、ただ返事をするしかなかった。


 幸い、この日は天江の城、海鶴城(カイズジョウ)の城下にある大道家屋敷に滞在していたので、麟之介が姿を現すまでにそう時間は掛からなかった。


「如何なさいましたか。」


 額を畳に擦り付けるくらいに深々と頭を垂れて、動揺を必死に隠して訊ねているようだ。このような時間に呼び出されるなど、決して良い事ではない。それを麟之介は重々承知しているのだろう。


「……陽影(ヒエイ)は息災か。」


「今は城下の屋敷にて寝入っておりまする。しかしながら、昨日まで海津の城におりました。なに故その様な事をお訊きであらせられますか。」


 話の意図が見えず、恐れ多くも麟之介は訊ねるが、許しを得るまで決して頭を上げなかった。


 陽影は麟之介の妻である。忠心の証に、人質として海津城で暮らしているが、麟之介が城下の屋敷にいる間だけは、屋敷に下がる事を許されている。


「あの者は昔から無鉄砲な所があったのう。」


 極めて落ち着いた雷寿の声。それが却って畏怖を与える。


「わしはそういう所を幾らか気に入っておる。」


「勿体のうお言葉でございます。」


 許しを得た麟之介は顔を上げていた。


「……確かにのう。このままでは、この言葉を陽影に聞かせるなど勿体ない。向こう見ずは面白いが、わしに刃向かうは、ちっとも面白うない。」


 凍てつきそうな程、冷えた声と気色を見せる雷寿。麟之介は目を逸らす事が出来ず、絶句する。


「良いか、麟。幼なじみであろうと、亡き父上がお救いになった命であろうと、わしは容赦せん。一度逃して貰うたからといって、二度目があるとは思うな。」


「は、はは!」


「今宵の事を忘れるならば、大道家は家臣とその妻子含め、全てが残酷な末路を辿るだろうと心に留め置け。」


 結局、麟之介は雷寿が何の話をしているのか解らなかっただろう。ただ、雷寿の言い方から、おそらく妻の陽影が、意に添わぬ事をしでかしたのだと伝わったようだ。


 だが、それ以上の問いかけは無用であった。ここまで言って、こちらの意を汲めないような家臣を、雷寿は傍には置かない。そんな性質を麟之介も家督を継ぐ以前から重々に理解していた。


「酒を持って参れ!」


 襖の向こうに控えている砂近に向かって雷寿が命じると、そうなる事を予期していたのか、砂近は一寸の時も待たせずに酒を運んだ。


 雷寿は幾分機嫌を良くし、元服して間もなくまだ幼さが残る砂近の頭を、満足げに撫でてやった。


「麟、今宵は愛しき妻の元には帰れぬと思え。わしが飽きるまで付き合うのだ。」


 そうは言ったものの、雷寿は酒を飲み始めて一刻と保たず深い眠りに就いてしまった。何度も何度も「剛砂、剛砂」と寝言を漏らしている事にも気づかない程に。


 その密語のような声を、麟之介だけが僅かに眉尻を下げて聞いていた。

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