TIME~桜色に染まる夜~
桜朱理様、「TIME」完結おめでとうございます!!
こちらは、以前ツイッターにて「○○RTされたらRTしてくれた人の命令を聞く」というのをやったとき、桜様に頂いた「桜様の作品のキャラでお話を書く」という命令に恐れ多くも応えさせていただいたお話になります。
「TIME」の主人公、紫乃ちゃんと空也のらぶいちゃ(?)話です。桜様の書かれる素敵な世界には及びませんが、広いお心でご覧いただけたら嬉しいです。
「紫乃って、爪、何もしてないよね」
紫乃の手をとって、空也がぽつりと呟いたのは二人が身体を重ねた後、その余韻に浸るように身を寄せ合って横になっていた時だった。
あまり派手な化粧を好まない紫乃は、爪にマニキュアを塗っていない。だが、何もしていないとは心外だ。
(……自分に寄ってくる女達と比べないでよね……)
む……と、紫乃は眉根を寄せた。
空也の周りにいる女達は、みんな爪の先まで綺麗に整えている。中には、それはもはや凶器じゃないかとすら思えるほど長く……そして派手にしている者もいた。紫乃だって、過剰でなければネイルアートされた爪を美しいと思うし、憧れる気持ちも少しはある。
だが紫乃は飲食店で働いている。派手な爪は許されない。爪はまめに切っていて、長く伸ばさない。だがきちんとやすりをかけて、ピカピカに磨いている……つもりだ。だから、何もしていないと言われるのは心外なのだ。
(……やすりかけるの、結構面倒なのにな……)
自分では最低限、爪を整えているつもりだった。やすりをかけるのは面倒で、時には放っておきたい気持ちになるが、それでも磨いた後に光沢の出た爪を見ると嬉しくなる。
だが空也の目に、この爪は「何もしていない」と映るのかと思うと気が沈んだ。
(私だって、……たまには爪を可愛くしたいとか、思う……けど……)
バイト中には落さなければいけないことを思うと、どうしてもマニキュアに力を入れる気になれない。何より、昔からあまりマニキュアをしていないせいか、紫乃はマニキュアを塗ること自体が苦手……というか、下手だった。
マニキュアというのは存外奥が深い。入れ物に入っている状態では素敵だと思う色も、いざ自分の爪に塗ってみると思っていたのと違う色に変わる。そして、どうしてもムラができたり……とにかく、自分の不器用さをまざまざと見せつけられるようで、女子力の低さを思い知らされるようで……苦手なのだ。
「紫乃?」
黙りこんだ紫乃に、空也は「どうしたの?」と問うてくる。
だが紫乃は、今はそれに応える気分ではなかった。
「……眠い」
少しだけ不機嫌な色が隠せなかった声色で呟くと、空也は事後の疲れのせいだと思ったのか、甘やかすように紫乃の髪を撫で、「おやすみ」と囁く。
それでこの話題は終わった……はずだった。
数日後、紫乃がバイト帰りに空也の部屋に行くと、いつも以上に嬉しそうな笑みを浮かべた空也が待ってましたと言わんばかりに迎え入れた。
いつも歓迎してくれる空也ではあるが、今日はどこかソワソワと浮足立っているように見える。
その様子に首を傾げながら、紫乃は空也に手を引かれてリビングに入った。
するとそこには……
「……なに、これ……」
「何って、マニキュアとか、色々」
リビングのローテーブルの上には、たくさんのマニキュアが置かれていた。それだけでなく、爪やすりや甘皮をとる道具まで置いてある。
「今日は俺が、紫乃をもっと可愛くしてあげる」
何故か得意気な顔で、空也はそう言い放った。
「……こんなにいっぱい、馬鹿みたい」
空也の正面に座って大人しく両手を差し出した紫乃だったが、どこか拗ねたような顔で自分の爪を睨んでいた。
テーブルの上には、どこのネイルサロンだと思うくらいたくさんの色のマニキュアが揃っている。一度に使えるわけがないのに、こんなにたくさん用意するなんて……
いったいこれだけのためにいくら使ったのだろうと思うと、目眩がする。
「紫乃に似合うって思ったら、あれもこれもって、欲しくなったんだよ」
爪やすりで紫乃の爪を丁寧に磨きながら、空也が言う。
「紫乃の爪はちいちゃいね。ちいちゃくて、かわいい」
ふふっと笑いながら、まるで愛しくて愛しくてしょうがないという甘い響きで、空也はふっと爪に息を吹きかける。
だがそんな甘言に騙されるものかと、紫乃は機嫌を直さない。どうせ自分の爪は短い。マニキュアをするにはあまり映えない長さだ。
両手の爪を綺麗に磨いて、空也は透明なマニキュアボトルを手に取る。ベースコートだ。塗った方が良いとわかってはいても、面倒がって紫乃がついつい省いてしまう工程を、空也は楽しくてしょうがないとばかりにこなしていく。
「どうして急にこんなことやろうと思ったの」
ベースコートを塗り終わった爪を早く乾かそうとふうふうと息を吹きかける空也に、紫乃はそう問う。
(マニキュアも満足に塗らない女なんてありえないと思ったの?)
どうしても穿った考えを抱いてしまうのは、恋人同士になった今も彼に群がってくる女達――自分よりよほどお洒落に気を遣って、美しく飾っている女達のことがあるからだ。
空也の想いを信じていないわけではない。でも未だに、どうしても拭えない。
自分のような女には、空也は出来過ぎた恋人だと……
彼の周りに集まる綺麗な女達を見るたびに、胸が痛む。
「俺さ、紫乃の爪が好きなんだ」
「はあ?」
この飾り気のまったくない爪が好きなら何故、ちゃんと飾れと言わんばかりにマニキュアを塗ろうとするのか。意味がわからない。
「清潔な感じがする。長くなくて、自然な色で」
(そりゃあ……何も塗ってないから……)
「桜色の爪だ。ほんのり、自然に色づいた爪。人を傷付けないようにしてる、爪」
「…………」
まさか自分の素っ気ない爪をそう評されるとは思わず、だが紫乃はその言葉が嬉しくて、顔に出ないようにこっそりと喜んだ。
「このままでも充分、可愛い。でも、思ったんだ。もっと可愛くしたいな、って」
紫乃の右手を持ち上げ、空也はまるで騎士のように恭しく口付ける。
「俺の手で、ね」
「空也……」
「ごめんね、紫乃。俺の我儘に付き合ってくれる?」
そう言って空也は、ベースコートの乾いた爪に淡いピンク色のマニキュアを塗っていく。
それは、紫乃の爪の色よりほんのり明るい色をしていた。派手すぎず、それでいて……可愛い。そのマニキュアは紫乃の指先にしっくりと馴染んだ。
「……俺が選んだマニキュアに染まっていく爪を見るとさ、紫乃を俺色に染めてるみたいで楽しいね」
くすくすと笑いながら、空也は器用にマニキュアを塗っていく。
ムラもなくすっと塗っていく空也の腕は、認めたくないが自分よりずっと上だと紫乃は思った。
それに、他人に……好きな男に爪を塗ってもらうというのは、思っていたより……
いい、ものだ。
「……変態」
紫乃はそう悪態を吐いたが、頬はほんのり上気している。嬉しいのを隠している顔だと、空也にはわかった。
「さ、できたよ」
ピンクベースに白のマニキュアでラインを引き、白のネイルシールを置いてトップコートを塗った。まるでネイルサロンでやってもらったような仕上がりに、自分の両手の爪をマジマジと見つめる紫乃は、ただ「すごい……」とだけ呟く。
(か……可愛い……)
派手すぎないこのデザインは、紫乃の好みど真ん中だった。
だが……
「ああ、やっぱりすっごく可愛い! 紫乃に良く似合うよ」
「……でも、せっかくしてもらったけど、明日もバイトあるし……」
そうだった。せっかく手を掛けてもらったのに、このネイルアートは明日には落さなければならない。
「ごめんね、空也」
「気にしないで良いよ」
しゅんと項垂れる紫乃に、空也はカラカラと笑った。
「明日にはまた、違う色に塗ってあげる。俺、紫乃の爪を塗るのが好きだよ。またやらせて?」
「でも、面倒でしょ?」
空也の施したネイルアートは結構凝っている。時間も手間もかかった。紫乃はただされるがままだったが、同じことを誰かにやれと言われたら断固拒否する。面倒くさい。
「面倒じゃないよ。言ったでしょ? 俺は紫乃を自分の色に染めたいんだ」
「うっ……」
あけっぴろげに甘い言葉を吐かれて、紫乃が言葉に詰まる。
空也のこういうところが、紫乃は少しだけ苦手だ。想いを口にするのが下手な紫乃と違って、恥ずかしいほどストレートに、告げてくる。
「ほっぺた、桜色だね。爪と同じだ。可愛いよ、紫乃」
「~っ」
テーブル越しに身を乗り出した空也の唇が、ちゅっ……っと、桜色に染まった紫乃の頬に落ちる。
(……ほんとうに、この男は……っ)
愛情表現が大げさで、容赦なくて、執拗で……
そして砂糖菓子のように、甘過ぎて……
次第に自分も、この甘さに溶けてしまいそうな気になってくる。
「……ありがとう、空也」
紫乃は観念したように、頬を寄せてくる空也の耳に囁いた。
「……だいすき」
「~っ!! 紫乃!!」
「わっ!!」
空也が大きな身体で飛びついてくる。
ガタガタガチャっと、テーブルの上の物が倒れまくった。
そしてその後、激しい運動をした空也の背中に真新しい爪痕が刻まれたのは言うまでもない。