祝福を 7
言われた通り先に小屋に戻り、カクゲンの帰りを待っていた。
蹲って背中を丸め、いつ開いてもいいように入口を見つめている。
こんな生活をしているのだから、リスクは小さい方がいいのは当然。
アオはこの自分の思考をどう言葉で表現していいのか分からない。
カクゲンの大雑把な性格は、アオの予想の範疇をいつでも優に越えていく。
「………」
悩んでいると、その内気疲れがやってくる。
アオは一旦考えるのをやめ、その場で逆立ちをしたまま腕立てをし始めた。
息を切らして体を鍛えている間は、無関心でいられるような気がする。
ここへ戻って、1時間ほど経っただろうか。
小屋に向かって走ってくる軽やかな足音、そしてすぐにガラッと大きく引き戸が開く音。
逆立ちのまま視線を遣ると、そこには顔全体を笑顔で満たしたカクゲンが立っていた。
彼のいでたちは、すでに今アオが着ているのと同じ黒のジャージ姿。
手には網に入った何かを持っている。
それを確認すると、アオは脚を下ろしてその場に座り込んだ。
「アオ、成功したよ!コレコレ!」
カクゲンが飛び上がるようにアオの前に着地する。
そうして嬉しそうに差し出したのは、白いネットに入った茶色いボール。
「………」
アオはもう一度立ち上がり、カクゲンが開けっ放しにしていた引き戸をそっと閉めた。
「ねぇ、これでさ、下の広いところでサッカーやろうよ!サッカーのボールなんでしょ、コレ!」
「………」
そもそも、アオは自分の考えをも疑っている。
この微々たるものを遥かに超えるカクゲンの考えは、更に疑っていた。
「あの、……あののぅ、お前、」
カクゲンに何か話さなければならない。
そう思って口を開いた時、突然小屋の戸をコンコンと叩く音がした。
「何だ!?」
「シッ!」
振り返りながら声を上げたカクゲンの口を咄嗟に押さえるアオ。
緊張が走り抜けた。
2人は全ての動きを止め、引き戸を睨み付ける。
誰じゃ!?
この小屋の持ち主なんか!?
どうすりゃええ!?
小屋にはその出入口の他に、少し高い位置にある木の格子の入った四角い穴しかない。
あそこに飛びついて、木を折って逃げるか。
でもこいつが……多分こいつがついて来れん。
息を潜めて思案を巡らせていると、またコンコンと音がした。
2人は知らず体を押し付け合い、まだ動かない引き戸を凝視する。
やがて、3回目のノックと共に外から大人の声がした。
「ごめんくださーい」
カクゲンがアオの耳元で囁く。
「お客さんだよ」
それをまたアオが、
「シッ!」
このままでは戸を開けられてしまう。
アオは引き戸から目を離さないまま、小さく小さくカクゲンに話しかけた。
「ええか、もうこの小屋にはおられん。捨てることにするで。ワシが先にこの小屋から飛び出すけぇ、お前は右に、ワシは左に逃げるんで?」
カクゲンは無言で肯き、そして、
「どこで待ち合わせるの?」
「……さっきの広場でええじゃろ」
この間も、戸をノックする行為は続いている。
「入りますよー、いいですかー?」
その声に一度たじろぎ掛けるが、アオは限界を感じ、自ら戸を開け放って外へ飛び出した。
外へ飛び出すと、すぐ目の前にスーツ姿の腹部が見えた。
人が訪ねてきたのだから、相手が入口にいるのは分かりきっていたこと。
それなのにアオは夢中でそれに突っ込んでしまう。
「おっと!」
額に鈍い衝撃を感じると同時に、ジャージの肩口を掴まれた。
即座に拘束してくる両手と、それに抗う自らの腕。
その4本の腕の隙間から見えたのは、真横をすり抜け右側へと走って行くカクゲンの横顔。
そして、黒い後姿。
アオは闇雲に、見境なく両拳で相手を殴りつける。
「イテッ!暴れるな!」
その声に確信を得た。
自分たちがしてきた泥棒の数々、それが大人にバレたのだと。
「……ッ!!」
体を前後左右に捻じり、大人の腕を必死に振り払いながらも、アオは決して声を出さないよう歯に力を込める。
カクゲンに、自分が捕まったことを知られてはならない。
足を止めさせてはならない。
「落ち着け!」
逃がすまいとする、襟を引っ張る手。
引き寄せようとする、二の腕を掴む手。
その力と大きさに、とてもじゃないが敵わない。
が、諦めるわけにはいかない。
更に渾身の力でもって腕を突っ張り、大人の胸を押し返す。
その時、首元でプチッと音がした。
「ッ!!」
手に入れたばかりの新しいジャージの襟が千切れたのだ。
諦めるわけにはいかないのに、どういうわけかその音に躊躇してしまう。
「痛いな!何て力だ」
逃げなければならない。
分かっているのに、服が破れることを気にして全力で振り払えないでいると、土手の上から更に同じような全身スーツの大人が2人降りてきた。
「ちょっと君、暴れなくていいって。何もしないから」
何を言うのか。
大人に囲まれた状況で、これまでロクな目に遭ったことなどない。
そんな言葉は信用できない。
アオは思わず声を上げてしまった。
「ええけぇ放せや!何もしとらん!ワシャあ知らん!!」
直後に、しまったと気付いた。
カクゲンが遠く、視界に入った。
立ち止まってこちらを見ている。
そして、「アオーッ!!」という声。
自分が捕まったことをカクゲンに知られてしまった。
立ち止まり、その上振り返り、決めておいた『法律』を反故にするカクゲンの態度に、赤面する感覚を覚えた。
「バカかお前!!早う逃げぇ!!法律忘れたんか!早う!早う逃げえ!!」
3人に押さえつけられ、身動きできない。
「早う!!ワシは大丈夫じゃけぇ、早よ逃げえって!!」
しかしカクゲンはそのアオの言葉に対し、じわりじわりとこちらへ近づいて来た。
「バカタレ!!お前…ッ!」
1人の大人に、後ろから口を押さえられた。
その隣で、もう1人が大きな声で叫ぶ。
「君!君もこっちにおいで!」
その呼びかけに、離れたところからカクゲンが自分を指差して確認している。
「そう!君のこと!本当に何もしないからこっちに来てくれないか?そのまま逃げたらこの子がどうなるか分からないよ?」
「………ッ!!」
そんな口車には乗らないと信じていた。
それなのに、カクゲンはこちらに向かって歩いて来る。