祝福を 6
2人が向かったのは、大きなショッピングモール。
アオは事前に下見をしていた。
ここは広大な一つの建物にたくさんのいろんな店が入っている、そんな場所。
広い通路の両側に、1個ずつ店が嵌まり込んでいる。
それが何階にも。
いかなる場合も決して忘れてはならない逃げる際のルート。
それもとうに確保済み。
しかしこの日、改めてこの場に来て驚いたことが一つ。
今まで目にしたことのない、あまりの人の多さに2人は圧倒される。
「……ちょっとアオ、こんなに人がいちゃ早く走れないんじゃないの?」
「……いや、ってことは、追いかけられたとしても向こうも追いかけづらいってことじゃ。大丈夫よ」
アオはとにかくカクゲンに早く靴を履いてもらいたかった。
自分たちが今、人以下の暮らしをしていることは重々承知の上だったが、他人からそんな目で見られることは我慢ならない。
今後生きていくための、生きていけるだろう自信も奪い取られているような気がした。
イカサマしてでも、あの白い目は払拭してしまいたい。
あの、他人から向けられる視線を一刻も早く打破したい。
2人でショッピングモールを歩き回り店を物色していると、その中の一つが2人の興味を引いた。
そこはスポーツ用品店。
ショーケースの中にはボールやバット、グローブ、ジャージの上下などが飾られている。
二人はそのケースにへばりつくように、中の商品を覗き込んだ。
「ねぇ、この服ってさ、村上のオッサンが着てた服に似てるね」
「…おう、そうじゃのぅ」
「あの大きなボールは何かな」
「あれは……ほら、野球のボールは小っちゃいじゃろ。あれは確かサッカーのボールよね」
「こっちのボールは茶色いね。あれもサッカー?」
「うん、そうじゃろう。大きさが一緒じゃしな」
「英語で何か書いてるね」
「うん」
「何て書いてんの?」
「うん、サッカーとか書いとるんじゃないんか?」
アオはすでに気づいていた。
自分たちと、世間とのズレ。
目に飛び込んで来るものが全てニュースとして味わうことができるこの現実が、異常であるということを。
こいつはそれに気づいとるんかのぅ。
横目で見たカクゲンは両手をショーケースにつき、出来うる限り顔を近づけ、笑顔で中を覗き込んでいる。
アオも一応その仕草を真似してから、ついでを装うように出入り口から中を覗き見てみた。
店内は所狭しと商品が置かれ、その隙間を避け合うように人が行き来している。
「カクゲン、おい!」
「ん?」
「ここにするで。ワシはここに決めた」
「うん。じゃあ僕もそうする」
2人は開きっ放しの入口から店内へと入って行く。
周りを見回し、アオは目に付いたジャージに手を伸ばす。
ハンガーに掛けられた、上下セットの黒いジャージ。
傍には、良い具合に箱から出されたスニーカーも展示されていた。
人込みの中、カクゲンの行動だけは見逃さず目で追っている。
彼は入口近くで、何の躊躇もなく展示されている靴に足を突っ込んだ。
そしてそのまま店内を物色するように人を掻き分け、奥へと歩いて行く。
何の戸惑いも見られないその姿に、アオは自分の鼓動が速まるのを覚えた。
あいつはやっぱり気づいていないのかもしれない。
自分たちが今、異常であるということを。
「………」
それに連なる各々を考えて、少しぼうっとしていた。
ふと気が付くと、カクゲンは先に店の外へ出ようとしている。
それに慌て、アオは素早く人目を確認すると、目の前のジャージをハンガーごと手に取りくるくると丸め、脇に挟んで外に出た。
そこにはすでにカクゲンの姿はない。
それにも慌て、右に走らなければならない決まりを忘れて左に走り出す。
途中でそれに気づき、引き返すアオ。
走りながら、たった今物を盗み出した店を横目で覗ってみた。
店内は何の変わりもなく、静かなまま。
客も店員も、走り抜けるアオに視線を遣ることもない。
それでも平常に戻ることのない鼓動を抱えたまま、アオは広大な建物から出、アスファルトを蹴り、脇目も振らずに全速力で走り続ける。
今回の待ち合わせ場所は、ショッピングモールから数百メートル離れた空地。
スピードを落とさないアオがそこへ着いたのは、走り始めて10分ほどしてからだった。
息を切らしたまま辺りを見回すが、しかし先に来ている筈のカクゲンの姿がない。
「………え」
2人で決めたルールの中に、どちらかが姿を現さなくてもその場所に戻るな、という決め事がある。
「………」
治まるどころか、更に高まる鼓動。
アオはきょろきょろしながら辺りをうろつき回る。
それからまた10分ほど待っただろうか。
空地の隅の狭い範囲を行ったり来たりしながら待っているアオに、その時暢気な声が掛かった。
「ごめんごめん、待たせちゃった。道に迷ってさぁ」
振り向くと、早くも盗み出したジャージに着替えているカクゲンの姿。
「………」
「これってさ、すごく着心地がいいよ。アオも早く着てみなよ」
こちらに歩きながら話しかけて来るカクゲンを見つめるアオ。
……ずっと言葉を選んでいた。
「ほら早く着てみなって。僕、もう前の服は捨ててきちゃった」
「お……おう」
アオはカクゲンに急かされるまま、Tシャツと短パンの上から新しい匂いのするジャージを着てみる。
「あれ、アオは靴は持って来なかったの?」
「う、うん。そうじゃね」
「盗ってくれば良かったのに。これ、少し大きいけどさ、すごく走りやすいよ?すごく軽い」
カクゲンはその場で軽く足踏みをしてみせる。
「お、おう。そうじゃの」
上機嫌のカクゲンに何か言葉を掛けたいが、言葉を選んでしまう行為が先走り、なかなか口から出て来ない。
どこから、何から話していいのか。
この頭では羅列できない文字が、浮かんで、消えていく。
と、その時、足踏みをしながらジャージの着心地を確かめていたカクゲンが突然ぴたりとその動きを止めた。
上着を引っ張り、着易いように調えているアオの姿を、下から上へとじっと見つめている。
「……何だかこっちの色よりそっちの黒の方がいいな」
「え」
自分の思考に気を取られ、聞き逃してしまった。
「だってさ、真っ黒にさ、赤い線が入ってて、そっちの方がカッコイイじゃん」
アオも手を広げ、自分の全身を改めて見渡してみる。
「そうか?」
そう返事をしたアオを無視するように、カクゲンは自分の着ている紺のジャージの腹辺りを引っ張った。
「あのさ、小屋に先に帰ってて。30分くらいで僕も帰るから。先に帰っててよ」
言うと同時に、カクゲンはあっという間に駆け足で空地から出て行ってしまう。
「お、おいちょっと!!」
その声はカクゲンには届かなかった。
何もない空き地に、またぽつんと取り残されてしまった。
「………」
先へ先へどんどん進むカクゲンを見て不安に思う。
自分の思考が間違っているのか、と。
一長一短と表するには、短い部分が長すぎやしないか、と。
アオはこの先、大人になった自分を想像してみる。
そこにいたのは、相変わらず籠脱け詐欺のようなことをしている自分。
カクゲンも、恐らく同等。
―――― 大人になっても風見の生活か。
この生活に入ってから何度も考え、飲み込んだ。
そこに望みの点在など、築ける気はしなかった。