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手に手を重ねて 22

早く1人になりたい今日に限って、嫌に賑やかだ。

アオはこの時、そんな感想をぼやくほどにしか現状を捉えていなかった。

灯りが点き、物々しく蠢いているテントが気になり、2人でそこへと向かう。

あと10メートルほどのところで、ボスッボスッと飛び出ていた壁が、ピタリと動かなくなった。

「一体誰が来とるんかのぅ?」

「………」

カクゲンが駆け足になった。

それを追い、アオも走る。

閉じられた入口の前に立つと、中から、

「ハーッ!ハーッ!ハーッ!ハーッ!!」

そんな荒い息遣いが聞こえてきた。

憶することなく、カクゲンがバッと入口を捲り上げ、

……そこで目に飛び込んできたのは、勝手に2人のテントに入り込み、仁王立ちしているカミじいの細い体だった。

それだけではない。

中は物が散乱し、倒れ、めちゃくちゃになっている。

衣服を入れていた収納ボックスが引っ繰り返り、その裏に置いていた小さな本棚が倒れ、アオが図書館で借りてきた本が散らばって……

そして、それより何より目に付いたのは、床の上に仰向けになり、大の字で倒れているメガネの姿。

「「………」」

辺りを見ると、例の空き缶の蓋が開き、裏返しになっていた。

さらによく見ると、メガネは何枚かの札を握り締めた状態で昏倒している。

「……おい、メガネ」

少しずつ、状況が見え始めた。

床に散らばっている、お札。

視線を変えると、両手で数枚の札を握り潰し、息を切らして立っているカミじい。

その顔はこれまで見たこともないような、憤怒のごとき形相であった。

「ハーッ!ハーッ!ハーッ!ハーッ!」

目玉をひん剥いたカミじいから聞こえてくるのは、荒い息遣いだけ。

「……カミじい……」

もう一度、メガネを見下ろした。

顔色は真っ白で、口からは舌がだらりとはみ出している。

そのまま、ピクリとも動かない。

アオはメガネのすぐ近くに屈み込み、体を揺すってみた。

「……おい、メガネ……?」

反応がない。

床に散らばる札を踏みつけていることにも気付かず、アオはメガネの肩を掴み、激しく揺さぶった。

「おい!おい!!メガネ?おいッ!!…ッ!!?」

返事をしない。

体も動かない。

薄目を開けたまま……。

アオはメガネから手を離し、屈んだ体勢のままカミじいを見上げた。

そのアオを、カミじいはドンッ!と突き飛ばし、ぶるぶるガタガタと瘧がついたように震えながら、途切れ途切れの声と言葉で叫ぶ。

「ッせ、せっかく…ッせっかくッ!!かか勝っとったのに…ッ!!こンのボケが調子に乗りくさってから…ッハー!ハーッ!ハーッ!」

「「………」」

そうして2、3度大きく体を波打たせると床に這いつくばり、焦ったように落ちている札を掻き集めた。

最後に、メガネが握っていた札も毟り取る。

アオは尻もちをついたまま、カクゲンは突っ立ったまま、それをじっと見つめていた。

「…ッこここれは…ッこれは!ワシが貰うぞ…ッ!!」

「「………」」

怒りの感情を覚えるよりも、いったんは今のカミじいの姿を見て悲しくなった。

「ハーッ!ハーッ!……お、おまッお前らはまだこれからやろうがッ!!ハーッ!ハーッ!ワシが…ワシはもう老い先がッ、…いや!この金は、ワシが拾うたんや!!知らんぞ…ッ!ワシが拾うたモンやから、知らんッ!!!ハーッ!ハーッ!ハーッ!」

「……カミじいちゃん」

静かに呼び掛け、アオはゆっくりと立ち上がる。

足元にカクゲンが大事にしている半透明の丸い石が落ちているのを見つけ、それを拾い、引っ繰り返っていた缶を返してその中に入れた。


かこん…ッ


そして気付く。

……あれ?○ン○○がない。

床をきょろきょろ探すと、一つはメガネの尻の下からはみ出しているのを見つけた。

それを引っこ抜き、缶に戻す。


からん…ッ


……ワシの分は?

更に細かく下に目を這わせ、見つけた先 ――――……

アオの○ン○○は、足の下。

カミじいが、踏みつけていた。


…どこからか、甲高い空耳が聞こえたような気がした。


くしゃくしゃになり、握り潰されている自分たちのお金。

屈辱と血にまみれて奪った、残り少ないカクゲンのお金。

足蹴にされた、大事な人から貰った、大事な人のたからもの。


「――――……」

アオの中で、実に緩やかに時間が流れた。

ゆっくりとカミじいの前に立ち塞がったアオ。

「…な、何じゃ!!この金はワシが拾うたんや!!お前らとは関係…ッ関係……ッ!……あ!!お前ら、拾うてやった恩はどうしたんや!?お前に恩はないっちゅーん…ッ」

ゆっくり、

ゆっくりと、凍え気味の心が体を動かす。

まるで、得意ではないかのように。

首に掛ける両手が客車のようで、人の体とは思えない。

「カミじい」

「……ッありゃぁ冤罪やった…ッ!あいつは、何も、やってない……ッ!あの事件で何かやったんは、真犯人と、ワシが……ッ!!」

「『ワシが』の後、アンタ何言うとったかいのぅ…?忘れてしもうたじゃないか」


正義……

やっぱりないんか?この世には。

あったとしても、不義で相殺されるんかのぅ。

だとしたら、こりゃぁやっぱり……


溢れる虚無感が、鍛えた腕に伝達される。

基本的人権を余所に、手に力が籠る。


首と喉は別モンなんじゃな…。

指の掛かりが、妙に良い。


ダイジェストのように、これまでのことを思い出しながら ――――…


『アオ!この問題終わらせたら遊んでいいって言ってんだろ!あとちょっとじゃねぇか!!』

ワタル兄

コウイチ兄

キョウコ姉


滅多に笑わないカミじいが、たまに見せた笑顔

雨の音

薄いコーヒーの匂い


―――― 何だか頭が痛いのぅ…。

……拾うてもろうた恩。

忘れとらんよ……。


『大きくなったらね……』


―――― あれ…?ワシの腕、どこ行った?

ワシは随分大きゅうなったと思わんか?


『なぁアオ。……僕と一緒にここから逃げないか?』


両手に更に力が籠る。

対するものが人であるにも関わらず。


『今日も暑いねぇ。2人はいつも元気でよろしい!ほら、2人とも待ってるよ!早くしなさーい!』


自然には敵わない。

自分のことじゃ。

独裁で構わんじゃろ?


カミじいが身長を計ってくれた

天気の良い日、テントの近くのあの細い木に傷をつけて、計ってくれた

アオが174センチ

カクゲンが168センチ

『おお、高いなぁ。もっと伸びるんちゃうか、お前ら』


『ダイスケ、ありがとう』

……ありがとう 


なぁ、カップ焼きそばのお湯を捨てる時に飛び出して落ちてしもうた麺は、下に落ちただけなのにとんでもなく汚う見える。下に落ちんかった、カップに残っとるのを今から食おう思うとるのに、落ちてしもうたもんはゴミ以上に汚う見えるのぅ


…ワシらくらいの年齢の子供がおるんじゃったのぅ。


―――― 耳鳴りがする。

みんな、明日のことを考えよるらしいで。



ゴキッ!!!



と、その手応えの前に、2本の腕でカミじいの全体重を持ち上げていた。

残心とも取れる空気を受け、手の力を抜くと、ゴトンッ!と床に落ちるカミじいの体。


「………」


最近は法律が曖昧だった。

年齢とか……兄弟とか言うてみたり、

年齢が一緒だったり、

法律がめちゃくちゃになっとった。

自分に甘かった。

カクゲンには、自分らは同い年じゃって伝えとるのぅ。

これはワシ1人の影の法律じゃ。

ダイスケとタロウ。

ワシらはしばらく離れて暮らしとった兄弟で、えっと……

人を殺してしもうたときは、どうするんだったかの?

決めとったかいのぅ?


……たった、……たったこれだけのことで、

大事なモンを足蹴にされて、金を皺くちゃにされて、

……たったそれだけのことで、ワシは人間を、……


―――― 一生生きていきたい。

何をもって一生とするかは分からないが、生きていたかった ――――……。


「…ブハッ!!!」

うねりの行き場はなかった。

涙を見られるのは不本意で、笑ってみたのだ。

形容し難い吐息として、口から漏れ出た空気の塊。

「……何も、……何にもないのぅ!!」

「………」

横たわる2人を見下ろしながら。

「振り返ってみるんじゃ、ワシは。時々のぅ。何もないんじゃ、ワシは。びっくりするくらい、何もないんじゃ」

「………」

先ほど吐き出した吐息は、いつの間にか涙に変わる。

「いつじゃったんかいのぅ?死ぬんなら、どのタイミングじゃったんかいのぅ?……心当たりがありすぎて、見当が付かんわい……!!」

その時、右手に味わったことのないような感覚を覚えたが、見えない目前だけを見て続けた。

「ワシは、大事なことは何も覚えとらん。父ちゃんや母ちゃんがおったはずなのに、覚えとらん」

右手に、今度は掌を覆うようにぎゅっと力が込められた。

「知らんじゃのぅて、忘れとるんじゃろうのぅ。エエことがあったのに、覚えとらんのじゃろう。あそこの所長、そがいに悪人じゃったかいのぅ?ワシよりも随分といろんなモンを持っとった、ちゃんとした人間だったんじゃないんかのぅ?……ワシは、ワシには、ほんまに、何もない……!!!」


生まれた悔しさを、この場で何とか説明したかった。

恐らく死ぬべきだったのは、あの時。

サクラが死んだ時。

そして、今。

まさに今、このタイミングがその時ではないのか。


「……違うよ」

そうアオに応えたのは、隣に立ったカクゲンだった。

久し振りに声を、言葉を聞いた。

「……全然違うよ。何もないなんてことはないよ」

右手に感じていた力は、カクゲンの左手。

カクゲンがアオの手を繋ぐように、握り締めている。

「……何もないわけないだろ?僕がいるじゃないか」

「………」

「そして僕には、アオがいるじゃないか」

今、自分がどんな表情でいるのか。

恐らく自分でも見たことがないような、そんな顔をしているのだろう。

「……何もないなんて、そんなこと言うなよ。僕らは法律がなくったって、もう家族だろ?」

……冷静になるのに、もう少し時間が欲しい。

「……うん」


2人はほんの少しの間、震える手をお互いに握り締めたまま、その場に立ち尽くしていた。

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