手に手を重ねて 15
あの後メガネは「ありがとうな。ちゃんと返すからな」と言い残し、公園を出て行った。
強烈な労働条件、環境。
今、メガネがどういう日常を送っているのか、大体は分かったが…。
世の中には悪い奴らがたくさんいる。
そしてああいう人たちは、やはり目の付けどころが違う。
弱い者が更に弱体し、群れを作った場所から、恐らく更に弱っている者を見つけ、掻い摘むのだろう。
この公園で言うなら、労働させるなら若い人間、その中でも並外れて目の悪いメガネ。
自分たちが連れて行かれなかったのは、メガネよりも目が良いから。
恐らくその差でしかないのだ。
どう考えても、目の前に札束がぶら下がっていれば、自分たちだってメガネと同じ行動を取ったに違いないのだろうから。
ゴールデン・ウィークっちゅーのは、何で『ゴールデン』って呼ばれるんじゃろうの?
みんながこぞって人の集まるところへ集結する。
ありゃぁ疲れに行っとるんじゃろ?
そんな一週間のことを、何で金色って言うんじゃろうのぅ?
お前もお盆に、遠く離れて住んどるばあちゃんの家に行っとったのぅ。
お盆とゴールデン・ウィークは違うんじゃろうが、連休があったら故郷に帰るっちゅー風習は一体誰が決めたんじゃろうの?
あいつは返事をしてくれんけぇここで言わせてもらうが、あの10万は……あれはワシの分っちゅーことで良かったんかのぅ?
あれからちょっと考えてみたんじゃ。
メガネは月末に給料を貰うとるはずなんじゃ。
どんなに悪い条件であれ、それは貰うとるはずなんじゃ。
利息っちゅーのを払うたら、全部無くなってしまうくらいの金額なんかの?
あの時はあいつには聞けんかったんじゃ。
契約書っちゅーのを最初に書いたらしいんじゃが、それをよう読まんかったっちゅーのは、あいつも悪いわのぅ。
……そういやあいつは今、ちゃんとした寝るところがあるんよの。
家賃はどうなっとるんかの?
何か、ワシはあれからこんなことばっかり考えよるんじゃ。
ワシらの寝床なんか、軒先すらないいうのに、あいつはどんなところで寝とるんかのぅ。
しかしまぁ、世の中には悪い者がおるよ。
子供のイジメと比べると何なんじゃが、大人のやっとることじゃ。
あがいな悪いことを大人がやっとるんで。……まぁ、ワシももうすぐ大人じゃが。
助けることもできんで、遠くから見とるだけなんじゃが……。
しかしメガネも憤死は本望じゃないじゃろう。
ワシが渡した金で、ちっとは助かっとるんかのぅ?
メガネは……あいつはきっとワシらの友達なんじゃ。
……そういやお前の女友達っちゅーのに、一度も会わんかったのぅ。
ま、そんなことはどうでもええか。
カミじいもワシがメガネに金を渡したとこをちゃんと見とったけぇ、大丈夫じゃろう。
あのカミじいが見とったんじゃけぇ、大丈夫じゃと思うわ。
……大丈夫?
何が?
どっちが?
ワシャぁメガネのことを言うとるんかのぅ?
それとも金のことを言うとるんかのぅ?
まだゴールデン・ウィークが終わったところじゃ。
帰省は連休じゃろ?
次にメガネに会うんは、8月ってことはあるまぁて。
……なぁ、あれはワシの10万円っちゅーことで、良かったんよの?
5月30日
先日ここの住人の過半数が……いや、ほとんどがあのデモに、抗議に参加したにも関わらず、2カ月後にはこの公園は無くなるらしい。
あの広いスペースを利用してじゃ、畑を耕して大根やカブでも植えりゃ工事が少し遅うなるんじゃないか?
そんなことを延々と考えている自分が、多分結局一番何やかんやとこの公園に執着しているのだ。
尾崎リーダーも含めたここの住人たちは、顔を突き合わせた時だけはオロオロと心配事ばかりを口にするが、特に何か行動を起こすわけでもない。
別に倣ったわけではないが、自分もそれと同じようなリアクションなので、それについて何かを言うつもりもない。
それに、また歩けばいい。
そう思っている。
またどこか知らん場所へ行けば、何とかなるじゃろう。
これまでもそうやって来たんじゃ。
自分なりにいろいろと考えるが、思考は必ずそこへ行き着く。
これが、アテもないということなんだろう。
あのデモの日から数えてなのか、それともメガネと会った日から数えてなのか、最近ウマじいをこの公園でよく見掛けるようになった。
時間を問わず、何度も見掛ける。
この日もウマじいは何をするでもなく背中を丸めてベンチに座り、何を考えているのか分からない表情をしてタバコを吸っていた。
そのウマじいと目が合い、何だか目配せされたような気がしたので近づいてみる。
ウマじいの隣にアオが、アオの隣にカクゲンが腰を下ろした。
「「………」」
「………」
「ウマじい……結局この公園、無くなってしまうらしいわ」
「おう、知っとるよ。……フ――――…ッ」
ウマじいの吐き出した煙が、もやもやと後ろへ流れて行く。
「俺も難しいことはよく知らねぇが、いくら国や県や市がエライって言っても、公園をそう容易くたたむなんてのはできねぇ筈なんだけどな」
「……そうか」
「オメェな、オメェが使ってる方言ならな、そこは『そうか』じゃなくて『ほうねぇ』ってんだよ」
「え?」
「方言使ってんなら、ちゃんと使わねぇとな」
「……ほ、ほうね」
子供の頃から、タバコのニオイは嫌いじゃない。
昔から鼻は良い方だが、これを刺激臭扱いすることはなかった。
「じいちゃん、タバコって旨いんか?」
「あー…この世の中にこんなマジィもんはねぇな」
「エ~?」
ウマじいはアオの目の前にタバコの箱を翳して見せた。
そして、
「……は い ら い と」
そう書かれた箱をトンと振って、2本の頭を出す。
「吸ってみっか?」
「………」
アオが1本抜くと、隣から遅れてカクゲンももう1本を摘まんだ。
ウマじいがマッチを取り出し、2人のタバコの先へ火を点してくれる。
それを口に含み、スッと吸って、
「ハイ、そこで大きく深呼吸ー」
声に合わせて吸い込んだ途端、
「ゲ、ゲホゲホゲホッ!ゴホッゴホッゴホッ!な…ッゲホッ!何じゃこりゃ!?のどが…ッゴホッ!!」
「……何だオメェら、初めてかよ」
「ゲホッ…はじ…ッはじ……ゲホゲホッ……こりゃ一体何なんじゃ!ゲホ!うわ…何か頭もクラクラするで!?」
隣のカクゲンも腰を折って激しく咳き込んでいる。
「ホホッ!タバコ吸ってその行動してる奴、久しぶりに見たな。最初はそんなもんなんだよ。じき慣れる」
「ゲホッ!ケホッ!ほ、んまにこがいなもんに慣れるんかよ!ゴホッ」
そこでウマじいがアオの目の前に、今度は空の手を差し出した。
「何じゃ?」
「何じゃってオメェ、10円ずつくれねぇか?」
「ハアッ!?」
「タバコ、今俺の取っただろ?1人10円だ」
「エ~!!」
「8円でもいいぜ?」
1円玉なんて持ってない。
渋々ポケットから20円を取り出し、カクゲンの分と一緒に払う。
カクゲンはすぐに自分のポケットから、10円をアオに手渡した。
アオはもう一度恐る恐るタバコを吸い込んでみたが、2回目はさっきよりも随分と楽だった。
でもやっぱり咳は出るし、頭もクラクラする。
「……なぁ、ウマじいちゃん」
「んー?」
「人に金貸すっちゅーのはどういうことなんかね?」
「んん?」
アオは生まれて初めて人に、メガネにお金を貸したことをウマじいに話して聞かせた。
大まかな経緯を辿りはしたが、メガネが騙されて連れて行かれたことには触れず、貸した具体的な金額も言わなかった。
「人に貸せるようなそんな金、どこにあるんだ?」
そう聞かれるかと思い、内心ドキドキしていたが、その時は「ずっと持っていたものだ」と、そう言おうと思っていた。
「あー……あのメガネ掛けた奴、そんなことになってんのかよ」
「ああ、そうなんよ」
「で?いくらだよ?いくら貸したんだ?」
「…え、あ、うん。まあまあの金額じゃ」
「……そらぁ、分からねぇな」
「え、何が?」
「何も分かんねぇっつってんだよ。あのメガネの兄ちゃんがまたここに来るかも分かんねぇし、来たとしても、オメェらのその金が返ってくるかも分かんねぇし」
「……そ、……ほうね」




