手に手を重ねて 7
手を引かれ、新幹線に乗る。
あの夢をしばらく見ていないことを思い出した。
4月4日 雨
近日の変化といえば、カクゲンが一度風邪を引いた。
市販の薬を購入してそれを飲ませると、2日ほどで風邪は治った。
1000円ほど支払った見返りが、元のカクゲン。
1000円のうち500円はカミじいが出してくれた。
カクゲンはカミじいにちゃんとお礼を言ったのだろうか?
500円は痛かったで…。
カクゲンは相変わらず、必要以上に喋らない。
この日はカミじいの空き缶拾いを手伝っていた。
雨に打たれながら、拾ったカッパを着て作業する3人。
「なぁ、カミじい!あそこの自動販売機のゴミ箱のも持って来てええんかね?」
「……おぉ、貰うておいで」
空き缶集め。
朝から晩まで集めても、一日で数百円行けばいい方。
実に効率が悪いが、アオはそれをカミじいには言わない。
この人は元刑事かもしれない。
その思いは、小さい年寄りを自分の数段上に据わらせるもの。
雨が激しくなる。
億劫になる天候にも関わらず、カミじいは黙々と作業を進めている。
「……なぁ、カミじい」
「ん?」
振り返らないまま、カシャンカシャンと二輪車に空き缶を投げ込むカミじい。
やはり聞いておきたかった。
カミじいのことというよりは、アオの中でウマじいさんの存在が大きくなりつつあったのだ。
「カミじいって……元刑事じゃったって、ほんまなん?」
「………」
緩やかに手が止まるカミじいを、横から見つめていた。
「………」
返事がない。
マズイことでも聞いたかと思いを巡らせる。
世人との間というものは、いまだに苦手である。
目積もりをするには、まだまだ自分は経験不足。
「……誰に聞いた?」
ウマじいさんの顔を思い浮かべたが、それを言うとまた自分の不足箇所が浮き彫りになるような気がした。
「いや、……みんなが言うとるよ」
「……ほんまか……」
そう呟き、カミじいは二輪車を道の端に寄せて縁石に腰を下ろす。
そこに身を寄せるように、2人も並んで座った。
「……あれは、ワシの……誤認逮捕やったなぁ……」
「「………」」
カッパを叩く雨の音の中、カミじいは細々と話し始めた。
「詳しいことは言えへんけど、ワシは誤認逮捕で、ある人の人生を奪うてしもうた」
「………」
否定ではなく肯定で話が始まった。
カミじいが元刑事だったのは事実であるようだ。
「後で気づいてなぁ…犯人は別におるってなぁ…。ワシ、定年のちょっと前やったんやけどな。波風立てずに引退するか、それとも真犯人を逮捕するか、悩んだ挙句、真犯人を追うことにしたんや」
2人はカミじいの話を他人事のように聞くふりをする。
「せやけどな、いざ真犯人の目星が付いたところでな、……上が認めんかったんや。警察と検察、その間の事情でな」
「え?どういうこと?」
「……要するにや、真犯人が別におるにも関わらず、誤認逮捕の……冤罪の被疑者にも関わらず、その人は起訴されたんや」
「………」
老人から流れ出す空気は固まり、激しい雨音は気にならなかった。
「上は我々の間違いを認めたぁなかったんや。ワシはそれがつらぁてな……警察辞めてもうた……」
「………」
いつになくよく喋るカミじいの話は、2人の空気も固めてしまう。
「それで……何で公園なんかへ?」
「……ヨメさんに逃げられたんよ。警察追い出されてなぁ……退職金も出んで、愛想尽かされたんや」
「え……でもカミじいは正しいことをしようとしたんじゃろ?何で追い出されにゃいけんのん?」
その問いに、カミじいは、
「……正しいから正義とは限らんのや」
と、雨音に負けるほどの大きさで答えた。
表情の変わらぬカミじいの横顔に、先日ウマじいが言っていた『事実と真実について』
それを思い出す。
「………」
ウマじいの話は本当だった。
カミじいは元刑事だった。
今は行使する権力など持ち合わせていない、小さな年寄り。
アオは正義の意義に関することも含め、これ以上の質問はやめておくことにする。
自分の首が絞まるような気がするから。
彷徨への迷いは面倒だ。
音を立てなければ、歯軋りを止めれば、……気付かれない筈。
アオはそう思い、静かに雨音だけを聞いている。
カミじいの経験から、目を逸らして。
……ワシが生まれたんはただの偶然かのぅ?
お前が死んだんは……ありゃたまたまよね。
ワシがもう一声、もう二声掛けとりゃぁ、お前は生きとったんじゃけぇ。
カクゲンと知り合うたんはどうじゃ?
……やっぱり偶然よのぅ。
ワシは……ワシらは子供だけで生きてきたで。
野草は食えるものと食えんものを見極められる。
口がヒリヒリするんは、食っちゃぁいけんのんじゃ。
名前までは知らんよ。
食ってみて初めて覚えるんじゃけぇ。
これは独り言で?
ワシらは有刑の身じゃ。
そう……、何個か思い当たる。
お前がおらんくなった後の行動も、罪じゃ。
逃げたんじゃけぇ。
許しはせんよのぅ……。
だから、これは独り言なんじゃ。
タダシのことが気になってしゃあないよ。
お前が面倒見る筈じゃった、この先よね。
人は一生で一億稼ぐらしいで。
お前は2人分の二億を稼ぐつもりだったんか?
ワシらにゃぁ荷が重すぎる……。
二億円なんざ、タダで言うことしか……言葉にすることしかできん……。
4月17日 16時過ぎ
今日もフリーマーケットに出掛けたのだが、アオとカクゲンは朝二輪車に積んだままの物をそのまま公園に持ち帰っている。
「……初めてじゃのぅ、一個も売れんかったなんざ」
「………」
「参加費の1000円だけ取られてしもうたわい。……大赤字じゃ」
「………」




