手に手を重ねて 6
アオはそのテレビを持ち上げ、再びゴミ捨て場へと歩き出す。
その途中、何やら声が聞こえてそちらを見ると、リーダーがまた警官と揉めているのが目に入った。
「………」
アオはその場に立ち止まる。
眺めているにはちょうどいい距離。
また出て行け言われとるんかのぅ…。
テレビを地面に置いてそれに腰を掛け、大声を上げるリーダーと警官、そして周りの景色とを見つめてみた。
遠く、呆けていられそうな光景だ。
両方の人差し指を耳に突っ込むと、シューッと音がする。
口をパクパクさせてみると、そのシューッが波を打つ。
『ねぇダイスケ、耳に指を突っ込んだらシュワシュワって音がするでしょ?あれって、指に流れてる血液の音なんだよ』
2年前のある日を思い出した。
1年前にこの場所に来て、単線上にあったかのようにここが馴染んだ。
ここは辺際の、端の端。
時間は過ぎるのに成長からは遠ざかり、あまりに速い日脚をただ見ていた。
自分が長針で、カクゲンは短針で、……それでいいと思っている。
「………」
指をそっと耳から抜き、またリーダーたちを見つめる。
アオの視線の先。
声は聞こえて来ないが、警官に対してリーダーが何かを喚いた。
と同時に肩を突き飛ばし、警官は背中から道路に倒れ込む。
「!?」
起き上がった警官は何かを叫ぶと、リーダーの腕を掴み、連れて行こうと引っ張った。
「いけん!!」
思わず声を漏らして立ち上がったアオに、その時背後から、
「放っときんさい」
「!?」
いつの間にか、アオの後ろに競馬じいさんが座っていたのだ。
「……び、びっくりしたー…ッ」
「ホホッ」
アオを見上げて競馬じいさんが言う。
「逮捕にはならねぇよ」
「………」
本当なのか、それともいつものホラなのか。
競馬じいさんとリーダーを交互に見るアオ。
「じゃけど!連れてかれよるで!」
「帰って来るよ」
「………」
アオは競馬じいさんを無視するように、その場から駆け出そうとした。
するとまた後ろから、
「お前も警察は困るやろ!」
ピタリと足を止めたアオは無言で振り返り、にこっと笑う競馬じいさんを凝視する。
……カクゲンの血まみれの顔を、久しく思い出していなかった。
困る…?
ワシらのことを……以前を知っとるんか?
……そんなわけない。
「………」
何とも言葉が見つからない。
競馬じいさんの細い目が妖しく、自分の有りっ丈を見透かしているような気がした。
「……別に、困らんよ」
「………」
朝まで降っていた雨のせいで、辺りには土の匂いが立ちこめている。
得体の知れないこの老人も、同じように感じているのだろうか。
自分と同じ匂いを嗅ぎ、自分と同じように感じ、この土熱れを鬱陶しいと、……そんな風に?
アオはその仕方ない思考を分けるように、先ほどリーダーが警官と揉めていた方に目を遣った。
その時、抵抗しながら連行されていくリーダーの後を、小走りで追う者。
……カミじいちゃんだ。
「??」
「………」
そこから、2人はじっとその様子を見つめていた。
少し離れた場の遣り取りは声までは聞こえないが、カミじいちゃんが何かを警官に話している様子。
それを見て、アオはほっと息を吐く。
例えたくはないが、敢えて言うなら虎狼の我々。
競馬じいさんの言うように、警察などと関わりたくはない。
「お前がここへ来たときも、あいつが警官説得したのぅ」
「え?」
「カミ……あのじいさんは元刑事やからなぁ」
「!!うそ!!」
カミじいちゃんは人とあまり関わりを持ちたがらない。
でも自分たちには優しくしてくれる。
いろいろ話もしたけれど、自分が刑事だったなんて一度も聞いたことがない。
「嘘とちゃうよ」
「カミじいちゃんが言うとったん?」
「いや」
「え?」
「聞いてへんけど、知っとるよ」
「………」
またホラなのか?
ホラにしても冗談にしても、タチが悪いと感じる。
「……ウマじいさんよ」
競馬じいさんがアオを見上げた。
「何なんや!?ワシをおちょくっとるんか!?ワシはバカじゃけぇ大人が言うことは全部信じるんよね!アンタ、ワシに嘘言うて、何か得があるんか!?」
「………」
競馬じいさんは黙って視線を変える。
アオでもなくリーダーたちでもなく、遠い何かへと。
しばらく沈黙が続き、そのうち警官に捕まえられていたリーダーがカミじいちゃんに連れられて戻ってきた。
リーダーが頭を下げるのを無視して、カミじいちゃんは自分のテントへと戻って行く。
「………」
「なぁ、デカイ兄ちゃん」
「………」
「アンタが怒るって珍しいなぁ」
「………」
アンタに、ワシの怒気の頻度を言われる筋合いはない。
大体アンタがワシのことをどんだけ知っとるいうんじゃ。
「ワシは、『かもな』じゃなく、『知っとる』言うたんや」
「………」
「あいつは元刑事なんや」
「………」
「あいつが元刑事かどうかなんて、何の問題もないなぁ。あくまで元やからなぁ」
「………」
「公然の事実とほんまもんの真実は、身の丈に合うてようがいまいがな、…そうやなぁ…、本当の事実と真実もまた違う。お前は何でワシをホラ吹きやと信じるんや」
「………」
理由なんか……理由なんか、ないような気がする。
「ウマじいちゃんの話がいつもデカすぎるからじゃ!」
「デカイと嘘か?」
「………」
「ワシから言わせりゃお前らの方が……その若さでここにおるお前らの方が計り知れんけどな」
「…ッ」
救う術を、救われる術を知らないから、2人でここにいる。
事実の方が多い世間はどこにでもあった。
計り知れん……ワシらが……?
「まぁええよ」
そう言って競馬じいさんは立ち上がり、背を向けて公園の出口へと歩いて行く。
アオは曲がった背中をじっと見つめたまま、当てのない言葉を探し始める。
やがて世間まであと一歩、その間際に競馬じいさんが振り返った。
「なぁデカイ兄ちゃん」
「………」
「アンタぁ、ワシをじいさんって呼ぶが、誰がワシを年寄りって決めた?」
「………」
「ホホッ」
笑い声を残し、競馬じいさんはまたどこかへ行ってしまった。
「………」
言葉の出ない歯痒さがやりきれない。
自分の寝息がどんなものかまでは知らない。
寝顔の醜さにまでは責任は持てない。
標目はこれまでもあった気はしているが、栞のことは考えてなかった。
禍々しさすら忘れていた自分。
……カクゲンはどうなんだ?
『ねぇダイスケ!ナメクジが何で塩をかけられたら死んじゃうか、知ってる?』
『ダイスケ、海の中で昆布がダシを出さないのって、不思議じゃない?』
両耳に指を突っ込んで、口を開けてみた。
「……アンタをじいさんって呼ぶんは、見た目じゃいや」
転化してこうなった。
転化してしまったから、こうなった。
難しいのぅ…。
今住んでいる青いシートの家は、人が住むには相応しくない。
そう思っている。




