祝福を 4
本能に基づき、行動したつもりはない。
あくまで生きるためへの配慮。
児戯に等しい前置きは、取り合えず2人の心まで痩せさせることはない。
そんな、自分たちへの配慮。
「ねぇねぇ、あのお店の前にもお弁当が飾ってあるよ?あっちはパンを飾ってるよ?」
「……うん」
2人は身を屈め、電柱の影に隠れるようにして潜んでいる。
陽が翳るにつれて、激しくなっていく人の往来。
しかし2人はそんなものなど気にも留めず、ただただ喉を鳴らしていた。
昨夜、目的を持ってこの商店街を通ってみた。
弁当屋の前では弁当が、パン屋の前ではパンが、店の前に飾ってあることは知っていた。
そしてそれらは夕暮れ時になると、店内に仕舞われてしまうことも。
昼間は自由に行動できない。
夕方近くにならないと身動きできないと知った二人。
この時間が今日最後のチャンスであると見ている。
ここへ来る前、また一つのルールを決めた。
2人はそれら一つひとつを『法律』と呼んだ。
今回決めたのは、自分の取り分は必ず自分で手に入れるという法律。
1人が何かを手に入れ、1人が収穫ゼロの場合、それを分け与えないという法律。
欲しがらないという法律。
いくつか決めたしがないそれらの法律は、いとも容易く2人の柱石となった。
今日をも知り得ない自分たちが、中座せずにいられる拠り所として。
たくさん決めていこう。
そう言ったのはアオ。
それに大きく肯いたのはカクゲン。
そんな話し合いの最中、カクゲンが意外なことを口にした。
「たった2人でもさ、リーダーがいるだろ?ルールを決めて行動するんなら、リーダーがいると思うよ」
「………」
同感であった。
意見が分かれたとき、最終決断をする人間が必要。
あの場所にも、班長なる人物はいた。
「だからさ、アオがやってよ」
「………」
「ワタル兄の代わりだろ。やってよ」
カクゲンが笑って、そう促した。
しかしアオは躊躇する。
カクゲンの意見に同意するのと同時に、リーダーを決めるなぞ自分たちにはまだ早いような気もした。
こんな自分たち二人の中からリーダーだなどと、おこがましいのではないか。
そして何より、リーダーを決めなくてはならないほど、この生活が続くのか ――――。
「………」
この場で答えは出したくなかった。
取りあえずカクゲンの意見は煙に巻いておいた。
それが、ここに来る前の話。
薄暗い中、2人が見つめる先では、あちこちの店から意図的に漏れ出す光がベージュのタイルを照らしていた。
電柱の影に隠れながら、アオは心臓の音が鼓膜にまで響くことを一心に確かめる。
こんな緊張感は生まれて初めて。
事あるごとに受けていた折檻の直前も、これほどの胸の高鳴りは覚えなかった。
否定か、
肯定か
……認めるに決まっとる!
「ええか、それぞれのタイミングで全力で走るんで?」
「うん」
アオの念押しにカクゲンは短く返事をすると、間髪入れず一気に電柱の影から飛び出した。
「え!?」
半歩、いや2歩ほど出遅れた。
カクゲンは一直線に弁当屋へ突進すると、店の前に山積みされた弁当の中から、選別することなく一つを抱え込んだ。
一瞬も止まることなく。
握り締めたポリスチレンの透明のケースが胸の中でバキバキと音を立てる。
彼はそのまま、流れるようにその弁当屋から走り去った。
数メートルほど遅れたアオがその店の前を通過するときには、ちょうど中から「コラーッ!!」という大声。
それに驚いたアオは、山のように積み重ねられた弁当に手を伸ばすことができず、走り過ぎてしまう。
そしてそのまま、地慣らしされたカクゲンの通った道を追うように走る。
くっそーッ!!しもうた!!
もう一箇所、目を付けていたパン屋は道路を挟んだ向こう側。
寄ることもできない。
自分の前を裸足で駆けていくカクゲンの姿が、やけに遠くに見えた。
待ち合わせは公園の滑り台の前。
正直、もう全力で走れるほどの体力は残っていなかった。
だがこれさえ乗り切ればと、力を振り絞った。
しかし、結果は収穫ゼロ。
浅知恵と理解はしていたが、堅実なものだと確信していた。
なのに、結果は収穫ゼロ。
萎びる思いを胸に、手枷と足枷を考えた。
質的な弱点、そんなものは今のところ思いつかないアオ。
全足力に値しない失調に、失望するばかり。
この小走りですら腕が振り切れない。脚が上がらない。
ふらつきそうになるのを堪え、公園への道のりを辿る。
ようやくの体で待ち合わせ場所に着くと、向こうの滑り台の前で先ほど盗んだ弁当を大事そうに脇に抱え、こちらに手を振るカクゲンの姿が見えた。
アオは駆け足を止め、ゆっくりとそちらへ歩み寄る。
「見て見てアオ!見たこともない食べ物が入ってんだよコレ!これはおにぎりでしょ。僕にも分かる。えっと、これは、これは玉子だよね?あとこっちのこれは、何だ!?」
カクゲンは全開の笑顔で弁当の中身をこちらに見せた。
「お、おう…。スゲェのぅ。キレイな弁当じゃのぅ」
「ここならさ、水もあるし、早速食べようよ!小屋に帰らずここで食べよう!……アレ?」
そこでカクゲンがやっと、アオの両手が空いていることに気づいた。
「し……失敗したの?」
「お、おう。ワシが盗ろうとしたときには弁当屋のオッサンが飛び出して来よるとこだった。盗れんかったわ」
「……そう……」
カクゲンは一言溜息のような返事を残すと、黙ってアオの脇を通り過ぎ、水飲み場へと歩いて行った。
公園にはぽつんと一つ、薄暗い灯りが点っている。
その下で、カクゲンが地面に座り込んで弁当を開け、それを貪り食べているのが見えた。
近づいたら気を遣うかもしれん。
アオはカクゲンに寄ろうとせず、一定の距離を保ちつつその姿を横目でちらちらと眺めている。
不思議と腹は立たなかった。
空腹感は昨日忘れてしまったような気がする。
ただ今日、日課のトレーニングの時に気づいた。
自分の体力が限界に来ていることに。
なのに失敗した自分に対しても、1人で弁当を食べているカクゲンに対しても腹が立たない。
そこまで考え、ふと思い出した。
あの整列した日々の中、ワタル兄やキョウコ姉は自分たちにとても優しかった。
その理由が今、分かった気がした。
あいつだけでも食料を確保できて良かった。
ワシは…今から行ってももう遅いわのぅ…。
明日頑張りゃええ。
情念にも似た思いは、自分への気つけ。
やがて、それほど時間も経たないうちに、カクゲンがこちらへ歩いてきた。
「こんなおいしいもの食べたの初めてだよ。びっくりしちゃった」
「お、おう、そうか。良かったのぅ」
その手には弁当箱が握られている。
「えっとー、ゴミ箱はのぅ…アレ、どっかにあるはずじゃが…」
辺りを見回すことを遮るように、目の前に立ったカクゲン。
アオの視線は、自然とその弁当箱に行ってしまう。
そして気づいた。
……弁当の中身がまだ残っている。
「あんまりおいしくってさぁ、お腹がびっくりしちゃったんだね、きっと。お腹がいっぱいになっちゃった」
「………」
「僕はね、もうね、こんなことは二度としないんだけど」
そう言いながら、カクゲンはキョロキョロと何かを探している。
それから、
「もうお腹がいっぱいだからさ、これはもういいや。捨てて帰ろう」
黙ったままのアオを無視するようにウロウロと歩き回り、独り言のようにそう言った。
「こんなもったいないことは二度としないんだけどさ、もう入んないからなー…」
アオはその行動をじっと見つめている。
「ゴミ箱が見当たらないよー」
カクゲンは誰にともなくそう言って、その弁当をコンクリートのベンチの上に置き、公園の出口へと歩き出した。
「アオ、小屋に帰ろう」
一言言い置き、彼はさくさくと公園から出て行ってしまう。
「………」
1人その場に残されたアオは、そっとベンチに近づき、弁当を覗いてみた。
その中身は、縦に真っ二つに割ったようにちょうど半分残されている。
ごはんが半分。
恐らく2個入っていただろうおかずが1個。
1個しか入っていなかっただろうおかずは半分齧られた状態で。
ちょうど半分残されている。
アオは迷うことなくそれを取り上げ、手掴みで白飯を口の中に掻き込んだ。
こりゃぁあいつが捨てたもんじゃ。
分けてもろうたわけじゃない。
そうよね、こがいなことは二度とやっちゃいけん。二度とゴメンじゃ。
こういうことは二度とナシじゃ。
大急ぎで口の中一杯に放り込むと、そのまま電灯の下へと走って行き、水と一緒に胃の中に流し込む。
たったこれだけのことで、生き返ったような心地がした。
……ワタル兄
コウイチ兄
キョウコ姉
見上げた空は黒く低く、躊躇する素振りも見せることなく覆い被さってくる。
―――― もう、帰る術はない。
危うい現状、回避を綾なす術。
まだまだ知り得るところがある。
知るべきことがある。
一応ルールには則っとるのぅ…。
ほいじゃけぇ、お礼は言わんでおこう。
アオはカクゲンの後を追いかけるように、掛け足で公園を出て行った。




