手に手を重ねて 5
人は一生に1億稼ぐ。
自分が特別なのかは知らないが、人の生涯収入なぞ考えたこともなかった。
と、そこでアオは、
…あ!
「じいちゃん!」
「ん?」
「1億あれば人は生きて行けるんか!?」
「………」
「人は1億円あれば、一生を生き抜けるんか!?」
「……そんなこたぁ知らねぇよ」
「えー!?」
競馬じいさんは残りのパン屑を両手で払うと、パンパンと服を叩きながら立ち上がった。
「意味によるんじゃないかのぅ}
「意味?」
「ほうよね。誰がどのように、何のために使うか、どんな風に使うか。それで人の一生はいくらか決まるんじゃないかのぅ?」
「……よく分からん」
「ホホッ!ほうね」
競馬じいさんはそう言うとくるりと向きを変え、のっそりとその場から離れて行く。
アオも立ち上がり、曲がった後ろ姿に大声を上げた。
「競馬じいちゃん!」
彼がゆっくりと振り返る。
一度躊躇した。
しかし言ってみた。
「ホラ吹きじゃ!言うてな!」
「………」
「みんな、競馬じいさんはホラ吹きじゃ言うとる!」
競馬じいさんを陥れる気などない。
でも先ほどの、リーダーを嘲笑するかのような彼の言い方に、仲間意識だろうか、小さな負けん気を感じたから。
どこかしらのプライドが、この同類の老人と位置を同じくしていたから。
警官と言い争うリーダーの何が悪い?
食べることに困り、行くところがなくてここに居るみんなのためだろう、全て。
「せやから何や?」
「え?……いや」
競馬じいさんの顔は笑顔だった。
それを見て後ろめたさを感じ口籠ったアオは、彼の顔から僅かに視線を逸らす。
「誰がワシの話を嘘やて決めたんや?」
アオはもう一度、皺の入った顔を見た。
「誰でもない、お前が決めたんや」
「………」
ワシが……?
でもみんなが言っている。
彼はホラ吹きだと。
大嘘ばかり、口から出まかせばかりを喋っていると。
「自分の意見くらい自分で決めェ。そしたらお前らも、ここに居ることがどういうことか気付くはずじゃ」
「………」
「お前らの隣に住んどるじいさん……カミじいさん言うたか」
「……うん」
「あいつに聞いてみい。入院するなら大部屋がええか、個室がええかってな」
「???」
競馬じいさんの言っている意味が分からない。
「ホホッ!若い若い…」
そう言うと競馬じいさんは背中を丸め、公園から出て行った。
3月6日 晴れ 15時半頃
今回のフリーマーケットは成功だった。
朝拾ったものも、全てが売れた。
ゴミを買う人がいる。
ゴミを捨てる人がいる。
ゴミを拾う人がいる。
順番はどうだっていい。
知らなければ救われることは多々ある。
あの人たちだって、人が捨てたものを買っているとは思っていない。
いや、捨てられたものでも欲しいのかもしれない。
物の流れ、人の流れはいろいろあるんじゃ。
朝、競馬じいさんと話したことを思い出した。
あのじいさんは埋蔵の夢でも見たんじゃ。
世の中が広いということは知っているが、それがどの程度なのかは見当も付かない。
競馬じいさんがどの見聞の引き出しを開けて言葉を吐くのか、それも見当の付かないことだ。
あの後テントに戻る途中、入院するなら大部屋か個室か、カミじいちゃんに聞いてみた。
「何の話や?」
返って来たのはそんな返事。
やっぱり、と思った。
海の向こうの言葉を並べたところで、こちらの人間には誰にも理解できない。
世の中の大部分が多勢に傾くことくらいは知っている。
「カクゲン、売るものがなくなったけぇ帰るで」
「………」
「今日は2000円儲かったのぅ」
「………」
「今日はカップラーメンでも食うか?」
「……そう」
今一つ、今日のカクゲンは気分が乗らないようだ。
青山をあの公園と決めているわけではない。
骨は自分かカクゲン、どちらかが拾うのだ。
残るんはワシかの……コイツかの……。
人の一生は一億円。
あの言葉が首筋の辺りから離れない。
一億円あれば、人が1人生きていけるという。
……考えることがある。
3月13日
この日は朝から電化製品の修理をしていた。
電気店に勤めていたリーマンさんに、拾ってきた家電の修理をしてもらっている。
「ああ、アオくん、こりゃぁアカンわぁ」
「何で?」
アオが持ってきたテレビを触りながら、リーマンさんが言う。
「もうパーツが錆びてしもうとるんや。部品を交換せなアカン」
「マジか…」
「この部品は高いから、元取れんで」
「そっかぁ…」
直らないゴミの中のゴミをじっと眺めた。
何日も吹きっ晒しにされとったんじゃろうのぅ。
人は自分で回復するけど、機械はそうはいかん。
「また捨ててくるわ」
「おう、そうせぇ」
これまでリーマンさんには、いろんなものを修理してもらった。
テレビはもちろん、ステレオから冷蔵庫まで。
その度に手間賃はかかるが、それは空き缶を拾い集めるよりも効率が良かった。
「リーマンさん」
「ん?」
「人は一生でいくらくらい稼げるんじゃ?」
「はあ?……それは人それぞれちゃうか?」
「……そっかぁ」
こんな技術を持ったリーマンさんまで、こんな生活をしている。
技術じゃ直らないものもあるのだ。




