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祝福を 3

昼間の自由な行動は目立ちすぎることを知った。

警察に追いかけられてから2日経っている。



5月18日 12時過ぎ 晴れ


あそこを抜け出してから今日で3日。

持ち出してくる食料があったわけでもなく、自分で使えるお金があったわけでもない。

一旦塀の外に出れば食べ物を買うための金が必要だということも、もちろん知ってはいた。

そしてすぐにこんな事態に陥るだろうということも、もちろん承知はしていた。


飢えた2人は取りあえず、捻れば出てくる水道の水で空腹を誤魔化していた。

陽の高いうちは橋の下にある、人の気配のしない小屋でじっと身を隠している。

2人が飛び込んだその古ぼけた小屋は、板を組み合わせただけの簡単な造りをしていた。

今にも倒れそうな雰囲気ではあるが広さも十分で、2人にとっては有難い棲家。

雨風と、何よりも人目から自分たちを守ってくれる。

その中で体を丸め、無言の多い時間を過ごしているが、たまにカクゲンが話を振って来る。

膝を抱えたいつもの体勢で、その膝の上に顎を乗せながら。

「ねぇアオ」

「何!?」

「何だかさ、さっきから唇がパリパリになってるんだけど。口動かすとすぐひび割れが入っちゃうよ」

そして、自分から言い出したことも忘れ、カクゲンが続けて言う。

「こんなことならさ、あそこにいた方がまだマシだったんじゃないの?」

「知るかッ!!」

鬱陶しく返事をしながら、自分も指で唇を辿ってみる。

それはカクゲンと同じように、パリパリに干乾びていた。

体が干上がっていきよるんかのぅ…。

水は飲んどるのにのぅ。

この2日間、2人の間を漂うこの重苦しい間を気に留めることなどなかったアオだが、ふと自分から話をしてみようと思い立った。

「……今日はえらい晴れとるのぅ」

「うん」

「お前、なんぼじゃったっけ?」

「何が?」

「年よ、年。聞いたことあったかいのぅ?なんぼじゃったっけ?」

「えーっと…」

アオは小屋の天井を見上げながら、カクゲンが返事をするのを待っている。

「よく分かんないけど、確かじゅう……14?」

「んん!?」

「そう、確か14だよ。よく分かんないけどさ」

……ワシもよう分からんが、確か……12。

確か、12歳。

「……ふーん」

「アオは?」

「え?」

「アオはいくつ?」

「ワシは……ワシも確か14」

「そっか。一緒じゃん」

「………」

年下であるということは黙っておくことにした。

何故か重要なことのような気がして、言わないでおくことにする。


暇潰しに、続かない・つまらない会話をしているうちに、ようやく辺りが薄暗くなり始めた。

頃合を見て、2人はそろそろと動き出す。

この小屋は橋の真下の小高い場所に建ててあり、そこから坂を下った先の河川敷は広場になっていた。

入口を開けて外に出、戸の前に並んで立つと、広場では3人の人間が遊んでいるのが見えた。

男の子がボールを投げる。

もう1人の男の子が棒を振り、それに当てようとしている。

その子の後ろに座っているのは、1人の大人。

子供たちが大袈裟に体を捩らせ、歓声を上げた。

「あーッ!!ダメダメ!!」

「また外した~!」

甲高い声。

楽しそうな笑い声。

その、初めて見る光景から目を離すことなく、カクゲンが問う。

「……あれ、何やってんだ?」

「あれはのぅ、……確か野球っていうんじゃ」

「ああ、野球か。知ってる知ってる。……大人が一人混じってるよ?」

「……多分親子じゃ」

「親子?お母さんは?」

「うん……お母さんはおらんみたいじゃのぅ」

「ふーん…」

「………」

3人の親子から、また笑い声が上がった。


……おらんというのは今この場にいないということで、家に帰ればちゃんとお母さんがいて、恐らく食事の用意なりをして待っていてくれる。

あの3人にはそういう家族がもう一人いる。

多分だが……そういう意味だぞ?

野球をしている3人の姿をじっと凝視しているカクゲンを見て、気まずくそう思った。


いつまで経っても動かないカクゲンの真似をするように、アオも広場を眺める。

すぐそこで笑い合う大人と子供。

同じ場所に立っているはずなのに、その空間からは知らない匂いがした。

こんなに間近で同じ空気を吸っているのに、その空間は途轍もなく遠かった。

…身の置き所に迷うほどに。


カクゲンはなかなか動かない。

自分のためにも、目の前の光景から早く視線を逸らさせたい。

「……この川で魚でも釣れんかのぅ」

アオがそう呟くと、ハッと我に返ったカクゲンがこちらを振り向いた。

「釣り?どうやってやるの?」

言ってはみたものの、釣りなんてそんなもの自分だってやったことはない。

アオはその問いに触れぬまま、今度は違う話題を取り出してみる。

「お前、ビー玉痒うないんか。大丈夫か?」

するとカクゲンは、思い出したように右目辺りをごしごし擦りながら、

「まだ大丈夫だよ」

そう応えた。

こいつには片目がない。

ワシとは見えとる世界が違うんかものぅ…。

当てのない失意とともにそう思い、背中が一層重くなったような気がした。


美感に乏しい自分たちに、すでに今、まさに今、無知という現実は火脚のように迫って来る。

この肩にずっしりと圧し掛かってくるものを無視することはできない。

アオは今日二つ年上だと知ったあまりにも頼りないパートナーを見て、ここで一つ決心した。

「確かのぅ」

「ん?」

「ヒゲオケラが言うとったんじゃ」

「うん」

「国民ののぅ」

「うん」

「三大義務っちゅーのがあったと思うんじゃ」

「えー、何それ」

「確か3つあるんじゃ。思い出せんのぅ…」

「僕知らないよ」

「いや、お前も聞いとったよ。知らんのじゃなくて覚えとらんのんじゃ。うーん…何だったかのぅ……。この国で暮らすために、人間がやらにゃいけん3つのことがあるんじゃ、確か。3つもあるのにのぅ…」

以前、あそこにいる大人が言っていた。

『国民の三大義務』

3つ聞いた覚えがあるが、1つも思い出せない。

「カクゲン」

「ん?」

「ワシら、住むところもない非国民じゃ」

「うん」

「その国民の義務やら、覚えとらんでもええはずじゃ」

「そうだね」

「ルールを守っとったら死んでしまうんじゃ」

「………」


かつて自分たちが居たあの場所と、今自分たちが居るこの場所。

同じ夕日のはずなのに、色も少し違っているような気がする。


アオは知らず詰めていた息を吐いた。

体裁は拝辞する。

今日この場でその誓いを立てる。

「…そうだね。死んだら終わりだね」

「おう。そうなんじゃ。じゃけぇ今日から生き方変えるで」

「うん」

「ほいで、もうちょっと大きゅうなったら、お前の目の仇取りに行こうの」

「うん」

「ヒゲオケラはとっちめてやらんとのぅ」

「うん」


紫色の空を見ながら、2人はそう約束をした。






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