こぼれおちるもの 22
昼ごはんを済ませると学校へ行き、田村たちを含めた8人でまた野球をして遊んだ。
「しかしタロウくん、すげぇコントロールがいいな!ピッチャー向きだよ!」
「そう!じゃあ僕、ピッチャーになるかな!」
笑みを続け、喜んでいるカクゲンを見、やはりあいつはどこか摩耗してしまったと感じた。
満面の笑みが、他の奴らとさほど変わらないものになった。
自分から見るとそんな印象。
あれが浸透し、自分を過信する前に…。
サクラとタダシの笑顔も目に入った。
あの笑顔を、自分は待ち望んでいたのか否か。
……でも、あの2人はあれがいい。
そう感じる自分に、喜びと焦りを感じた。
今夜、告げよう。
自分たちの役目は終わったのだと。
「おーい!タダシ!!ボール行ったぞ!」
「う、…うーん」
両手を頭上に上げ、空を見上げるタダシ。
ポーンと高く上がったボールが、タダシの方へと飛んで行く。
彼は上空だけを見つめ、ふらふらと右へ左へ体を揺らしている。
伸ばせるだけ伸ばした左手のグローブに、ボールがスパンッと音を立てて収まった。
「おー!!スゲェのぅ、タダシ!!」
タダシが嬉しそうに笑う。
あのボールが地面に落ちる前に、ノーバウンドで捕ったらファインプレーなんじゃ。
そのうち、いつものように6時を告げるチャイムが鳴った。
みんなは合図するでもなく、片付けをし始める。
遊んでいた他の子供たちも、学校の外へと出始める。
もちろん自分たちも、そういう習慣になっていた。
明日も晴れれば、ここで何かをして遊ぶのだろう。
……大丈夫。
あと、4日ある。
まだ明るい午後6時。
8人はグラウンドを出て帰途についた。
田村たちは自転車を押し、歩く自分たちに付き合っている。
「やっぱり自転車いいなぁ。私も買ってもらおうかなぁ」
「何だ、塩崎。自転車も持ってねぇのかよ?」
「うん。子供用の小さいのしかないんだー」
「何だー?サクラ、あれが欲しいのか?だったら早く言えよ。時計じゃなくて自転車買ってやったのに」
「ええ!?ムリムリ!だって高いんだよ!?1万円以上するんだよ!?」
「へぇ。そうかぁ?何とかしたのにさー」
朱色の空で視界を挟み、その光景を見ていた。
もう辛い日が2人に、……3人に来ませんように。
タダシの右手をカクゲンが繋ぎ、左手をサクラが握って歩いている。
アスファルトに陽炎が生える時間帯でもないし、ここは自分たちのよく知る野道でもない。
ぼんやりと前方を見つめながら、今の心のまま、もう一度最初のあの日から繰り返せばいいのに、そんな頑是ないことを望む。
ワシだって……こんな日がずっと続けばええと思うとるよ。
そう思い、小石を踏んだ。
「2人が第二ならなぁ。絶対少年野球に入ってもらうのになぁ」
新谷が言う。
「そうだよなぁ!あの花壇までボール飛ばすなんて、ウチで4番打ってる戸田よりスゲェよ!」
田村がそう言った。
2人にそんなことを言われ、また無性に寂しく思ってしまう。
少し先にある右への曲がり角が、田村たち4人との分かれ道。
アオは寝床に帰るまで表情を変えずにいようと思った。
「ダイスケ!タロウ!」
「「ん?」」
「あの時計、すごくかわいいよ。ジリリリって音がする前に、にゃーにゃー!って言うんだよ!」
「猫の声か」
「うん」
「猫の声かよー」
会話をしながら、田村たち4人がいつもの角を曲がって行く。
「じゃあまた明日ね!バイバイ!」
「うん、バイバイ!」
「おう、また明日な」
3人は止まらず歩き続ける。
アオは1人、田村たちの姿が次の曲がり角の向こうへ消えるまで、その背中を見送った。
「………」
何だか考え過ぎているのは分かっている。
どうして自分は、今日が最後の日のような気分でいるのだろう。
何を勘違いしているのだろう。
まだ時間はあるというのに。
アオは先を行った3人に小走りで追いつき、また歩き出した。
この道を真っ直ぐ進むのが自分たちで、この先の左へ曲がる横断歩道を渡るのがサクラとタダシ。
まだ、車が通る度に熱風が舞い上がるほど。
今日は特に暑く、夕方6時を回ったというのに気温はあまり下がっていない。
「……おい、サクラ」
「ん?」
アオの声と車のエンジン音が、うまく擦れ違う。
「自転車……自転車、やろうか?」
「え?」
「ウチにのぅ、使ってないのが1台あるんじゃ。タダシと2人で1台じゃが…」
「ほんとに?…でも、ダメだよ。高いものだもん。1万円以上するじゃん、自転車って」
……1万円か……
……1万円以上か……
「か…構わんよ。使うとらんのじゃけぇ。ワシも母ちゃんに聞かんと分からんけど、多分大丈夫じゃ」
カクゲンが自分の顔を見て、ニッと笑った。
「タダシ、自転車だぞ!良かったな!」
「うんー」
「でも、私もお母さんに聞いてみないと……」
アオは、サクラにもタダシにも感謝している。
ただ、自分が一番執着したのは、サクラの母。
可愛がられ、話し、叱られ、笑い、……それらをした自分たち。
何度も「ありがとう」と言ってくれた、サクラの母。
疑似であろうが、嘘にまみれていようが、間違いなく自分は『家庭』を感じたから。
「おばちゃんは、ワシが明日説得してやるけぇ平気よね。明日持って行くで」
「……うん。ダイスケ、」
「ん?」
「自転車って何色?」
今からピンク色の自転車を買いに行こうと思う。
「色はピンクじゃ」
「えー?男の子でピンク!?」
「な、何じゃ、悪いんか」
「ううん。ありがとう。明日が楽しみだよ」
「おう」
「タダシ、良かったなぁ!」
「うんー」
その遣り取りを今日の挨拶代わりにし、直進と左折で4人は別れた。
サクラとタダシがこちらに手を振って横断歩道を渡り、住宅に挟まれた道路を歩いて行く。
アオとカクゲンも足を止めず、建物に遮られ始めたその姿は、やがて見えなくなった。
―――― 力のない意識は、何の役にも立たない。
この時は、そんなことも知らなかった。
それが正義であろうが悪であろうが、力がないと現実はこちらを振り向かない。
そんなことは、考えもしなかった。
今、自分たちがしている悪行は、将来の正義で返せると思っていたから。
きっと普通ではあるが、その普通が正義であると思っていたから。
将来、痛感するだろう。
強く、しかし力のない意識は何の意味も持たないと。
逸れたものに振り返る力や、目を背けるようなあんなことに直面したとき、それをひどく感じるのだろう ――――。




