こぼれおちるもの 21
誕生日会は、普段4人で遊んでいる日常とあまり変わらなかった。
自分たちから言わせれば、違いは食事と飾りの量。
美味しくて綺麗なのは、毎日のことだから。
「ダイスケとタロウの誕生日会のときは呼んでね」
別れ際のサクラの言葉に、遣る瀬無さを噛み締めた。
《もくひょう【目標】
それからはずれまい、そこまで届・こう(かせよう)とねらうもの。》
《ゆめ【夢】
①睡眠中に、現実にあるかのようにいろいろな物事を半ば見、半ば思い出すような現象。②実現するかどうか分からないが、やりたいと思・う(っていた)事柄。》
―――― 生まれ変われるのであれば、やはり人がいい。
自惚れているつもりはない。
ただ、今の自分は他とは違う。
言ってみるならば、人未満と言えばいいのか。
産着の感触など、他の人たちも覚えてはいないのだろう。
乳母車のことは、みんな覚えているのだろうか。
人が生まれ、育った過程を知ると、あんな人もこんな人も、愛おしくはならないか?
自分だって愛おしく思われたかった。
自分だって切なくも思いたい。
うみねこが猫ではないと知った日。
自分は死と直面し、大きくもがく、振りをした ――――…。
8月27日 晴れ
アオは図鑑を見るのが好きだ。
さっきも2階でサクラの図鑑を見ていたら、鳥のカテゴリーに『うみねこ』という文字を見つけた。
うみねこ……うみのねこ?
ページを捲り、『うみねこ』の写真を探したが、どこにも載っていない。
「うみねこっていうのは鳥よ」
アオの疑問に、サクラの母が答えをくれた。
母はこの日も家にいる。
今週は休みが2日あるそうだ。
「海に住んどる猫かと思うたよ」
「ううん。鳴き声が猫に似ている鳥なのよ」
「へぇ…」
にゃーにゃー鳴く鳥…。
一度その鳴き声を聞いてみたいと思う。
朝顔に水を遣っている3人を縁側から眺めながら、アオはサクラの母と話をしていた。
今週は、……もう母とは会えないだろう。
なるべく傍にいたかった。
庭のセミは相変わらず元気に鳴き続け、休むつもりはなさそうだ。
「おばちゃん」
「ん?」
「9月になったらのぅ……タダシ、学校に行けるんじゃないんか?」
「そうね。学校の人とお話しなきゃいけないけど。タダシももう学校が怖くないみたいね。2人のお陰だね。ありがとうね」
「……もうイジメる奴はおらんと思うで」
先日の誕生日会に田村たち4人を呼べと言ったのは、サクラの母だった。
きっと許したのだろう。
2人をイジメていた……言ってしまえば、サクラの母をもイジメていた彼らを。
許容範囲の広さは、大人と子供の差なのだろうかと思う。
許しとらんかったら、あいつらにごはんなんか食わさんよのぅ……普通。
「タダシと相談して、学校の人とも相談して…。タダシも学校が楽しくなればいいんだけどね」
「………」
アオも心からそう思う。
タダシは学校へ行ける環境にいる。
ちゃんと勉強して、みんなと遊んで。
きっと9月からは、楽しい毎日が待っているだろう。
今日も朝から暑いが、午前中はまだ外からいくらか涼しい風が入って来る。
アオは後ろに手を突き、天井を見上げた。
とっくに慣れたこの家の匂いを吸い込み、吐き、そしてまだ足りないとばかりにさらに吸い込む。
あと数日で、匂えなくなるから。
「ターくん!こっちこっち!」
「サクラ!僕にも水くれよ!ほら、タダシも!」
「んー」
サクラの母は庭で水を被って遊んでいる3人を、いつものように微笑みながら眺めている。
アオはそっとその横顔を窺ってみた。
そこには最初の、あの悲しそうな表情は浮かんでいない。
それを確かめ、また庭へと視線を移す。
おばちゃん。
毎日の昼ごはん、ありがとう。
お風呂もありがとう。
電車も海も、ありがとう。
お湯の匂いすら、久しぶりじゃった。
ワシらは雨が降っても、傘がないんじゃ。
おばちゃんに可愛がってもろうてもええような、そんな人間じゃないんじゃ。
「ダイスケくん」
「……うん?」
「おばちゃん、一度ダイスケくんのお母さんに会って、お話したいんだけど」
「………」
「いろいろとサクラとタダシが……おばちゃんもだね、2人にお世話になったから、お礼しなきゃ」
何かとお礼を言いたがる、そしてお礼を口にする、自分たちとは違う人たち。
これも学んだ。
自分がいざ口にする時、振りでなければいいのだがと思う。
おばちゃん。
お礼なんかいらん。
お礼なんかいらんけぇ、できるだけ早く、……早うにワシらのことを忘れてほしい。
「……うん。分かった。エエよ。母ちゃんに言うとくけぇ」
アオはこれが最後のつもりで、サクラの母に嘘を吐く。
「そう!2人のお母さんってどんな人なんだろうねぇ?」
そう言ってにこっと笑うサクラの母は、とても白くてやわらかい。
答えを持ち合わせていない自分にすら、こんなにも。
「ダイスケ! お昼からは学校だよ!」
―――― サクラの声を聞く。
お前も早う忘れてくれよ。
人はそう簡単に忘れられんのんじゃ。……一度見たものは。
自分から捨ててしまおうとしても、知ってしもうたもんは、なかなか忘れんのんじゃ。
「おう。野球な。ワシも大分上手くなったけぇのぅ」
―――― タダシの声。
「ぼくもー。いくー」
そして、―――― 母の声。
「今日も暑いし、お昼はそうめんと玉子焼きにしようか」
庭にはサクラの作った小さな虹が、キラキラと輝いていた。
はしゃいだ笑い声が、いくつもいくつも折り重なっていく。
3人に寄生した自分たちを、どうか許してほしいと思う。
あと5日間、どうか甘えさせてほしいと思う。
そしてどうか、勘弁してほしいと思う……。




