こぼれおちるもの 17
《しょうがい【障害】[正しくは、障碍]
①正常な活動や動作の進行をさえぎりとどめる・こと(もの)。じゃま(もの)。「計画の-・-を乗り越える」②[陸上競技で]飛び越えて走るための木のわく。ハードル。》
「………?」
これに、人……者?
……こと? ……物??
《けんじょう【献上】-する
①[天皇・貴人などに]物をさし上げること。》
《けんじょう【謙譲】
自分の能力や功績を人前で誇ったりしないこと。「-の美徳」》
『健常者』の『健常』が辞書には載っていなかったので、サクラの母に聞いてみたら、
「常に健康な人っていう意味よ」
と教えられた。
自分たちだけでなく、タダシだって健康だ。
『障害』『健常』そして『障害者』『健常者』
結局意味はよく分からなかったが、気付いたことがある。
言葉は全てが文字通りではない。
辞書に載ってないこともあるし、辞書に載っていることでは理解しきれないこともある。
使う人、そしてニュアンスで知識よりも随分と広義になる。
言葉というのは、そういうものなのだ。
夏休みの途中には『お盆』という期間がある。
普段会社勤めをしている大人たちも、日曜日でもないのに会社が休みになる。
この3日間の休みを利用して、サクラの母とサクラ・タダシは、死んでしまったお父さんの田舎に行くのだそうだ。
以前聞いた『中国地方』に。
自分の故郷かもしれない場所に。
カクゲンの、
「何しに行くんだ?」
という問いに、
「お墓参りよ」
という答えが返ってきた。
今回は「連れて行ってあげよう」とは言われなかったので、『お盆』そして『お墓参り』というのはそういうものなのだと理解した。
サクラたちのいないこの3日間は、予想していた以上に退屈な日々だった。
朝から晩まで、お盆の3日間と登校日の午前を除けば、毎日一緒に遊んでいる。
会ってから一週間で、タダシは自分たちのことを『ダイスケくん』『タロウくん』と呼んでくれるようになった。
「僕たち年上だけど、別に呼び捨てでいいぞ」
カクゲンはタダシにそう言ったが、タダシは自分たちのことを常に『くん』付けで呼ぶ。
サクラも初めて会った日以来、あの暗く沈んだ、下しか向かない表情は見せていない。
ワシらでも、少しは役に立っとるんじゃろうか…?
……あの日、あいつらを殴ってやった。
あれはあれで、役に立ったのだろうか?
サクラの母には『でも、本当にありがとうね』と言われたが、あの件についてサクラがどう思っているのかはいまだに聞いていない。
いつだったか、タダシが海へ行くと駄々を捏ねた日があった。
疲れた、けれどとても楽しかったあの日を思い出したのだろう。
しかしサクラの母は、
「お盆を過ぎたら海はクラゲでいっぱいだから、泳ぎに行っちゃぁダメなのよ。刺されたら大変なことになっちゃうんだから」
そう言って、タダシを諭した。
くらげ……
魚の名前?
その、人を刺すという『くらげ』に会ってみたいと思ったが、それは常識の範囲外のことだろうと理解し、言うのは止めておく。
この頃には、もう夏休みが8月31日で終了することは知っていた。
その10日くらい前、サクラはまた『登校日』とやらで学校に行き、家を留守にしていた。
2人はタダシと、サクラが帰って来るのを待っている。
涼しいからと玄関のドアを開け放し、それぞれ廊下で寝そべって。
そこへ突然、サクラが飛び込んできた。
いつもは綺麗に並べて脱ぐ靴を放るように脱ぎ捨て、家の中まで駆け込んで来る。
そして勢いそのままに、廊下を正座で滑ってカクゲンの目の前で止まった。
「何だー?」
目を見開いているサクラの表情は驚いているのか喜んでいるのか、それとも怒っているのかよく分からない。
「事件だ!!」
サクラの大声に、カクゲンがその場にスッと立ち上がった。
「何だ?また学校でイジメられたのか?今ならまだあいつら、学校にいるんじゃないのか。また僕たちがやっつけてやろうか」
アオもそのつもりで立ち上がる。
しかしサクラは、勢い良く何度も首を横に振った。
「違うの!田村くんたち、私に謝ってきたよ!!」
「え?」
「田村くんて誰じゃ?」
「この前2人が殴っちゃったうちの1人だよ」
「「………」」
「今まで意地悪してごめんって、謝ってきた!!」
「「………」」
無礼な、あのニタニタした4つの顔を思い出す。
「お前はどうなんじゃ?一回謝られたくらいで許してやってもええんか?」
するとサクラは、
「謝って許してあげなかったら、これ以上どうしろって話にならない?」
と逆に問い掛けてきた。
「……ほ…ほうじゃのぅ」
考えたが、返す言葉が見つからない。
では多分、サクラの言う通りなのだろう。
サクラは笑顔で続ける。
「2人にも会わせてくれって!」
「ナニ!?ワシらにか!?」
「そう!2人にも謝りたいって」
「……そうか」
訳が分からない。
仕返しをしたいとか、決闘の申し込みなら、まだ理解できるのだが…。
あいつらはワシらに何を謝りたいんじゃ?
嘘を吐き通さなければならない自分たちにとって、人づきあいというものは想像以上に難儀であり、時間を要するもの。
しかしアオのその心配を余所に、
「いいぞ」
と返事をするカクゲン。
「!?」
思わず、ここでは不適切な何かを言いそうになった。
身も心も一般人になったと勘違いしているのではないのか。
たった1カ月の経過でそうなってしまったのではないのか。
……カクゲンも自分も。
アオはそんな心配に駆られていた。
8月21日 くもり
この日、いつもと同じように午前中からサクラの家で4人で遊んでいると、電話が鳴った。
母のいない時は、サクラが必ず電話に出ることになっている。
立ち上がった彼女に構わず、2人は変わらずタダシと遊んでいたが、電話を終えたサクラが小走りでこちらへ戻って来たのに気付き、顔を上げた。
サクラは昨日と同じように目を見開き、「ねえ!!」と大きな声を上げた。
「昼から学校に行ってもいい!?」
それにカクゲンが応える。
「おう。何だー?僕たちも一緒にってことだろ?」
「そうだよ」
サクラはそう返事をして、先ほどの電話の内容を話し始めた。
昨日も聞いたが、あのサクラとタダシをイジメていた奴らが、今日自分たち2人に会いたいと言っているらしい。
「昨日サクラは、あいつらがワシらに謝りたい言うとったのぅ」
「うん」
「何でワシらに謝りたいんじゃ?」
「え?」
「……あ、いや、……何でもないわい」
アオはごにょごにょと語尾をダブつかせ、サクラから視線を外した。
自分の問いに、問いで返される。
これがいまだに慣れない。
用意していた答え、更に言えば問うた言葉から間違っているような気がして、それ以上何も言えなくなる。
仕方がないので、昨日のカクゲンの真似をして、
「ワシら、別にええで」
そう返事をすることにした。
難儀を忘れたわけではない。
しかし、この場で他に何と答えれば良かったのだろうか…?




