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祝福を 2

雨量の割りに流れが穏やかな大きな川。

漆黒を見つめながらその中に片足を突っ込み、ただ時間だけを送っていた。


―――― これから

その始まりの言葉を噛み砕くのには勇気が要った。

ここから先の世界は四つ角の見えない檻のように思えた。


ザアアアアァァァ……ッ


相変わらず雨は止む気配を見せない。

興奮が行き過ぎ、放心から返ると、そろそろと体に自覚が戻り始める。


寒い

冷たい

痛い


ずくずくと疼く足を引き揚げようかと思い始めた頃、変わらぬ音を立て続ける水面に、

―――― とぷん

それは、波が波を飛び越える音。

何気なく視線を上げたその先に、白いものが見えた。

ゆっくりと緩く上下を繰り返しながら、何かが上流から流れてくる。


……あれは、白い……服?


自分の立つ岸からそんなに離れていない。

アオは浸けていた左足を軸に、川の中へ入り込んだ。

幸いその川はそれほど深くない。

流れてくる白いものに向かって近づいていくと、それがただの服ではないことに気づいた。


人形……?

いや、

……人だ。


思わず手を伸ばし、白い服を掴み寄せた。

ぷかりと浮かんだその顔をよく見ると、何とカクゲン。

アオはその体を引っ張りながら水を掻き掻き、また元の川原に戻る。

岸に上がり、意識のないカクゲンを砂利の上に寝かせてはみたが、こんな時どうすればいいのやら。

うつ伏せにした方がいいのか、それとも仰向けの方がいいのか。

彼はピクリとも動かない。

息をしているのかどうかも、よく分からない。

まずは顔を平手で叩いてみたが、何の反応もない。

次に腹を叩いたら、その瞬間「ゲボッ!」と口から水を吐いた。


「アレ……ここどこ?」

「川」

「あ、そっか。僕、川に落ちたんだ」

けろりとした顔でカクゲンが呟く。

……死んだかと思うた。

そう言いそうになったが、止めておく。

自然と笑みが零れた。

あの灯りまで1人で行かずに済んだ。

「平気なら行くで」

「うん」

そうして2人、立ち上がる。


「イタイイタイイタイ!!僕、靴失くしたよ。歩くの痛ェ!」

「我慢せぇ」


並んで歩くこの方向に、きっとあの光があるはず。

追い風を感じたわけではない。

自惚れたわけでもない。

ただ自分のうぶ毛に嫌気が差し、何かが裏返るその前に。

……そう思った。


5月15日 初夏 28時頃 

ここから始まる。




5月16日 初夏 10時頃 雨


ある程度の距離を逃げたと思う。

辿り着いたこの街が、2人で指差したあの光る街だとも思う。


何に対する懸念だというのか、これまでと反し旗色を窺うかのようにゆっくりと歩を進めて行くアオとカクゲン。

しばらくして2人は、商店街らしき小さな通りの真ん中で立ち止まった。

閉まったシャッターの前、雨を避けるように庇の下で座り込む。

「ねぇアオ……お腹空いたね」

「………」

「ねぇ、アオってば」

「うるさいのぅ!」

この街並みに、自分たちの姿がそぐわないのは重々承知している。

今のこの状況を、見当違いとも思っていない。

金がなければ、もちろん食う物も手に入らないことも理解していた。

それに…

いつもの膝を抱えた体勢で座っているカクゲンの姿を見つめる。

こいつに至っちゃあ裸足じゃんか。

どうするかのぅ…。


止むことを忘れたかのように、昨日から降り続いている雨。

空を見上げながら浅はかなりに思案を繰り返すが、やはり何年も山奥に監禁されていた自分たちの頭には、どう裏を引っ繰り返そうとも対策という文字はない。

再び視線をカクゲンに戻し、アオは自分に何ができるのか考えを巡らせる。

今 これから 2人で

何をして 何ができる?

どうしたらいい?

今、……

しかし所詮どの方向へ向かい、どこへ行きついたとしても行き止まり。

そんな、気づかなくても知っていたようなことを思い出し、落胆とともに大きく息を吐く。


……が、アオは不意にその溜息を途中で止めた。

神経に触れた、やけに明瞭な、コツコツと地を叩く靴の音。

それまでの思考を切り、俯いたまま、アオはじっと耳を澄ませる。

人々が無関心に通り過ぎる中、音の持ち主が自分たち2人に照準を合わせたのが分かった。

足音はだんだんとこちらに近づいて来る。

やがて、ベージュの薄汚れたタイルの上に止まった、黒い靴。

同時に、傘と一体化した大きな黒い影が二人の体に覆い被さる。

「君ら、ここで何してるの?」

2人、見上げたその大人。


閉鎖されて生きてきた。

与えられた情報は極僅かだったが、今自分たちの前に立つ制服を着た大人が何者かくらいは知っている。


「君ら、学校は?あれ、君、裸足だね」

アオはそっと体を傾け、カクゲンの耳元に顔を近づけた。

そして小さく囁く。

「逃げるで」

それに大きく肯くカクゲン。

「君たち、兄弟かな?じゃあお兄ちゃんの方に聞こうか。お父さんとお母さんは?学校はどこ?」

そう言って伸びてきた触手を闇雲に両手で振り払った。

「ほら立て!!」

アオの掛け声で、2人はその場から走り出す。

アオは左へ、カクゲンは右へ。

決めてあったルールに従い二手に分かれ、その場から一心不乱に走り去る。


後ろから何か大声が聞こえてきた。

しかしそんなもの、耳に入れる必要はない。

通りには、逃げるのに苦労しないほどの人影。

ぽつん、ぽつんと在る障害物を難なく避けながら、必死に走り抜ける。

息急く間に考えてみた。

……こんな状況は容易に想像がついた。

なるほど、ワシらみとうな子供は、普通この時間は学校行っとるんじゃのぅ。


息切れするほどの距離を走った。


こらぁ…昼間はウロチョロできんじゃんか。

どがいにするかのぅ…。


雨に打たれながら周りを見渡す。

そしてひたすら、まだ走る。


賑やかな場所に子供がおると目立つんじゃのぅ。


視線を上げる。

低いビルの間に見え隠れする、あの高い赤い塔。

目指すのは、あそこ。

バラけたときにはあの場所で落ち合おうと決めていた。


警察っちゅーんに捕まったらアウトなんよのぅ。

それくらい知っとるで。


一度、ぶるりと体が震えた。


双曲線上に振舞う今の自分たち。

雑言を唱えるかのように、とにかく目的地へと逃げ続ける。




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