こぼれおちるもの 15
《なつやすみ【夏休[み]】
夏に、暑さを避けて学校などの授業や講義を休みにすること。また、その期間。》
あの後、サクラにこっぴどく怒られてしまった。
大声になのか雰囲気になのか、タダシも驚いてしまい、大泣きをして、宥めるのが大変だった。
「こうするしか、…これしか方法を知らんのじゃ。堪えてくれぇや」
そう言った自分に、サクラはそれ以上何も言わなかった。
サクラにも、打破するための方法がなかったのだろう。
認められたとは思わないが、きっとそうなのだと思う。
7月30日 晴れ
昨日は何とも言えない空気のまま、サクラ・タダシと別れてしまったが、だから今日は会い難いなどとは言えない。
アオにはサクラの母との約束がある。
常識の範囲内だろうと午前10時になるのを待ち、カクゲンと連れ立ってサクラの家へ遊びに行った。
カクゲンとは昨夜のうちに、その日あったことのおさらいは済ませている。
今日はきっと、昨日よりも上手く振る舞える自分たちがいると信じていた。
顔を合わせたサクラは、何事もなかったかのような声音で自分たちに話し掛けてきたが、
「昨夜はあれから大変だったんだよ」
そう言って、あの後の経緯を説明してくれた。
サクラは母と一緒に、昨日自分たちが殴った2人の家に謝りに行ったと言う。
わざわざあいつらの家に、頭を下げに行った…。
初めての相手であったし、自分としては大分手加減したつもりだったが、大ごとにでもなったのだろうか。
もっと均衡しているように見せるために、一発ずつでも殴らせてやれば良かったのか?
《ルール[rule]
①会議・運動競技などを公正に行うために決めた規則。「野球の-・会議の-」》
《きそく【規則】
それに基づいて、行動や手続きが行われるように定めたきまり。》
その日、サクラの母はお昼ごはんを自分たちの分まで用意して、仕事に出掛けていた。
『お昼休憩』という時間帯に、一度家に帰って来るらしい。
2人が遊びに来たらおばちゃんが話があるから、と自分たちへの伝言をサクラが言付かっていた。
……話。
考えるまでもなく、昨日のことに決まっている。
こんな緊張感は今までなかったが、逃げずにサクラの母と話をしようと思う。
時計ばかりを気にしていた午前の時間はあっという間に過ぎ、遠慮なく頂いた昼食の後、サクラの母が帰って来た。
「ただいま~」
ドアが開くと同時に聞こえてきた声に、タダシを含めた3人が我先にと玄関へ走る。
サクラの母は出迎えた自分たち2人を見て、
「いらっしゃい」
と声を掛け、それからすぐに、
何があっても暴力はいけないことなんだ。
と、4つの目を覗き込んでそう言った。
だけど、
でも、
先日の、何一つ偽装のない自分たちのあの行動を説明しようとするが、サクラの母はそんな自分たちの口を抑えてしまう。
だって…
言葉と感情のやり場がなく、耳をくいっと引っ張ってみた。
何故?
しかし落ち着いてみると、叱られている、そう思っていたこの時間は実はそうではないことに気が付く。
話は途中から、本当はおばちゃんも文句を言ってやりたかった、という主旨に変わって行き、そして、タダシも男の子なら少しは2人のように剛健になってほしい、で終わった。
『剛健』の意味は分からなかったが、サクラの母がにこっと笑って最後に言った、
「でも、本当にありがとうね」
その言葉で、同調と緩和が押し寄せ、何故か自分たちが救われたような、そんな気分になった。
遅ればせながら、歩を進めて行こうと思った。
『将来必ず役に立つから』
その名目でさせられた、あの場所での学習。
その『将来』が、今まさに体感しているこれだ、と思ったから。
セピアの横顔はキョウコ姉ちゃんで、カラーの真顔はコウイチ兄で…。
自分たちに物事を教えてくれている顔は思い出せても、残念ながら内容を思い出せない。
それが歯痒く思えるようになった。
仕方がないので、サクラの母に教えてもらった『図書館』に、時間を見つけては通うようにしている。
平行線であってはいけないとか、少しでも交わるべきだとか、作戦や計画に似た感情精神は、取り合えず置いておくことにする。
何よりサクラの家に遊びに行くのは、これまでにない楽しさがあったから。
8月2日 晴れ
毎朝校舎の時計を見上げ、9時ちょうどになると自分たちはサクラの家へ遊びに行く。
先日8時に行ったとき、
「ちょっとー、早いねぇ。起きたばっかりだよ」
そう言われてしまい、それ以降は9時に出発することにしていた。
サクラは午前の数時間、居間のテーブルで『宿題』というものをやっている。
これは夏休みの間でも勉強するようにと、学校から指示されたものらしい。
同じ時間、タダシもサクラと向かい合ってテーブルに着き、同じように勉強している。
サクラのは見ても何が書いてあるのか分からないが、タダシのは足し算や引き算がほとんどで、自分たちにも分かるもの。
だからタダシに教える振りをして、自分たちも学ぶことにしていた。
「2人は宿題、済ませたの?」
その言葉に、
「おう。ワシらは夜やっとるよ」
そう返事をし、徐々にではあったが、サクラたちへの嘘も板に付き始めている。
『ワシら毎日ここへ来るで!』
ああ言ったことが、良かったのか悪かったのか。
サクラの母は毎日、自分たちの分のお昼ごはんを用意してくれていた。
それらはもちろん、食べたこともなければ見たこともないような食べ物がほとんどで、おにぎりでさえあの場所のものとは違う味がした。
カクゲンは、用意されているこの食事をどう思っているのだろうか。
2人で確認し合い、話し合った結果、夕方帰ってくるサクラの母に、『ウチの親からだ』とお金を渡そうとしたが、何故か彼女は笑顔でそれを受け取らなかった。
8月4日
習慣は次第に身についてきた。
夕方6時になり、街の至る所でチャイムが鳴ると、子供は家に帰らなければならない。
そんなルールも知った。
アオはサクラの母に会うのも毎日の楽しみの一つだったが、彼女は6時を過ぎないと帰って来ない。
サクラの母に会うこと。
他の子供たちと同じように、6時に塒へ帰ること。
2つを天秤に掛けたとき、アオはやはりみんなと同じ行動を取るべきという結論を出した。
その方が3人と長く付き合えると思ったから。
《へんじん【変人】
[行い・考え方などの基準が]普通の人とは大分違い、頑固[ガンコ]な所が有る人。「-扱い」》
《ランドセル[オ ranselの変化]
小学生が学用品を入れて背負うかばん。》
てかてか光る、あの赤と黒の箱。
……ありゃあ『ランドセル』っちゅーんじゃの。
《新明解国語辞典
初版 昭和47年1月24日
編集 山田忠雄(主幹) 金田一京介 金田一晴彦 見坊豪紀 柴田武
発行 三省堂》より抜粋。以下同。




