こぼれおちるもの 5
「………」
アオの仕事をじっと見ていたサクラも、その金具をぐっと引っ張ってみる。
「……ほんとだ、直ってる」
「また帰って来るなんてメンドクセェよ。こうやって直しとけよ」
「うん」
カクゲンの言葉にサクラは頷き、入口の傍に置いてあったエサの袋を持ち上げた。
アオが再びメリッと金具を外すと、サクラはその袋を持って小屋の中へ入って行く。
袋を傾けてざらざらと器に移し、またすぐに外に出て、今度はブラシを持って中に入る。
鳥たちがエサに群がっている間に掃除をするのだ。
サクラの行動一つひとつに納得しながら、アオも見よう見真似で手伝い始める。
メンドクセエ!と嫌がるカクゲンにも、アオは「ええからお前もやれ」と無理やり手伝わせ、3人は丁寧に小屋を掃除した。
小屋の中にはにわとりが6羽、孔雀のオスが1羽にメスが2羽飼われていた。
アオとカクゲンにとって、にわとりの飼育はまだ理解できている。
あの場所にもにわとりはいた。
にわとりは卵を産むから。
だが、不思議なのはこの孔雀という鳥。
美しいというだけで、他に何の取り柄もなさそうな鳥。
しかもメスはキジに似た色をしていて、お世辞にも美しいとは言えない。
なのに、わざわざ休みの日にまで出てきてエサをやり、フンの掃除までしてやらなければならない理由がさっぱり分からない。
この問題の難易は一体どのくらいのものなのだろう。
難しいのか、易しいのか…。
サクラに聞きたいと思ったが、この問いはきっと浮世離れしているものだろうと理解し、口に出すことはしなかった。
エサやりと小屋の掃除を済ませると、3人は小屋から出た。
アオがまた金具をガンガン打ちつけ、鍵を掛ける。
「2人ともさ、お昼からもヒマ?」
顔の汗をTシャツの袖で拭いながらサクラが問うのに、カクゲンが、
「おう!昼間はいつだってヒマだよ」
「じゃあさ、お昼済ませたらもう一度バスケやろうよ。実は私、小学校のクラブ、バスケ部なんだよね。負けたままじゃ悔しくってさ」
それを聞いて、カクゲンが首を傾げる。
「オヒルスマス?何だそれ?今からやろうぜ」
「え、私、お腹空いたよ。2人もお昼食べてからおいでよ」
「何だー?お昼ごはんのことか。ねぇよ、昼ごはんは」
「え?お母さん、作ってくれないの?」
「………」
サクラの言葉に、カクゲンが少しテンションを落とした。
言葉が見つからないというよりは、親についての問いに口籠ったのだ。
それを見て、アオが慌てて間に入る。
「ウ、ウチはそういう風になっとるんじゃ!そん代わり、夜ごはんが豪勢に出てくるんよね!じゃけぇ、昼メシは抜きなんじゃ」
「そうなんだ…」
カクゲンの表情の変わり具合につられたのか、サクラも彼の顔を心配そうに見ている。
やがて、そのサクラが口を開いた。
「……ウチへ来る?」
「……え?」
「だってお昼ないとお腹空くじゃん。ウチ、今日お母さん休みだから。昨日カレーだったから、たくさんあるはずだよ。ウチで食べる?」
「………」
その申し出に、迷いはあった。
だが、
「カレーかよ!行っていいのか!?」
そう喜び、たちまち笑顔になるカクゲンを見て、それを咎めるのに躊躇する。
何より、自分も久しぶりにカクゲン以外の同年代の人間と話しているこの時間を、貴重に思っていた。
サクラの家に向かって歩きながら、彼女の話を沢山聞いた。
「第三って、○○くんって足の速い人いるよね」
「……おう」
「テストの平均点も高いよね」
「……そうじゃね」
知りはしたいが、知られたくはない。
サクラにはなるべく嘘は吐きたくなかったが、実際は一つ吐く嘘を守るために、次から次へと…。
相槌を打つアオの歯切れはとことん悪い。
自分の心弱さ。
知っている。仕方がないと、分かっているのに。
「おーいサクラ!この道は右?左?」
「右だよ!」
振り向いたカクゲンに応えたサクラに、アオは話を変える、そしてこちらの興味の好機とばかりに聞いてみる。
「第二小学校は、…サクラはバスケット以外に何して遊ぶんじゃ?」
「………」
その問いに、しかしサクラはそれまでの口を閉じ、視線を前に移した。
石を蹴りながら足取り軽く進んで行くカクゲンの姿を、じっと目で追っている。
悩ませる質問だっただろうか。
しかし考え込んでいるようでもない、その様子。
選り好みをせず、普通のことを普通に聞いたつもりだったが…。
「みんなと何するんじゃ?」
「………」
アオの再びの問いにも、サクラは前方を見つめたまま。
……動じているのは、彼女の方?
それとも自分?
「………」
こちらを見ようともせず、そうやって沈黙するサクラを不可解に思った。
諦めずアオがまた問いかけようと口を開いた時、前でそれを聞いていたカクゲンがもう一度振り向く。
「サクラ!何して遊ぶか聞いてんだぞ!」
追及するようなその声音に、無表情になったサクラの横顔がゆっくりと応えた。
「……遊ばないよ」
「………」
「何だー?学校にはたくさん人がいるんだぞ?遊ばねぇのか?」
「……うん」
『学校は遊びではなく、勉強をする場所』
自分だって、同年代と等身大の感覚くらい持っている。
そう信じたい。
アオはサクラのそんな返事を予想して、また尋ねてみる。
「でも勉強ばっかりやっとるわけじゃないじゃろ?遊ぶ時間くらいあるじゃろ?」
その問いにやっとアオの方を向いたサクラは、まるで意を決したように見えた。
「……これ言ったらさ、2人にも嫌われちゃうかなって思って、言わなかったんだけど……」
「えー?何だー?嫌わねぇよ?なあ、アオ」
カクゲンが自分のことを『アオ』と呼んでしまったことに知らん振りをしつつ、表情を失くしていたサクラの顔におかしな笑みが浮かんだのに気付く。
……不思議な顔だった。
ここは、大きな溝に沿ってガードレールの続く道。
カクゲンが、蹴っていた石をころんと溝に落とした。
「……私ね、イジメられてるの」
それは、目に眩しい1台の白い車が、エンジン音を鳴らして通り過ぎるのと同時だった。
「何だー?」
「……だから、イジメられっ子なんだ」
「「………」」
2人は揃って口を閉じる。
制定の最中、分からないことがあったときは顔を見合わせない、という一つを決めていた。
『イジメる』
『イジメられる』
この言葉は知っている。
だが2人はまず『イジメ』というものが具体的にどんなものなのか、よく分からなかった。
そして、『イジメられている』ということが、どれほど大きな問題なのかも理解できなかった。
同時にアオは、外の奴はだらしない。モヤシだ。
そう思った。
それがアオの知る『イジメ』という真実。
目の前でおかしな笑みを浮かべたサクラが小突かれて泣いている、そんな姿を想像する。
「「………」」
しばらくして、カクゲンが発する言葉を見つけたらしい。
「何だー?サクラ、イジメられてんのか?だったら僕たちもそうだったぞ。なあ?」
その言葉から、彼もやはり自分と同じ見解を示したと考えた。
こちらを見て首を傾げるカクゲンに、あの場所のことを思い出す。
頼むから余計なことは喋らないでくれよと思ったが、今ここでその口を塞ぐ行為が怪しいことも知っていた。
まだ出会って数時間ではあるが、カクゲンはもうすっかりサクラに心を許し、まるであの場所にいた頃のような、そんな雰囲気での振る舞いをしている。
……心配は尽きない。
「え?嘘!2人もイジメられてんの!?」
サクラは驚いたように、アオとカクゲンを交互に見る。
「おう、そうだよ?あのねぇ、ワタル兄ちゃんだろ、コウイチ兄ちゃんだろ、キョウ……キョウコ姉ちゃんは違うな。よくな、勉強しろって、ちゃんと勉強しろって、イジメられた」
「……ん?何?」
サクラが訝しげに目の下を落とした。




