祝福を 10
随分と長くそうやっていた気がする。
アオが何気なく膝から額を剥がし、顔を上げたのと同時に、小屋の入口が突然開いた。
「!!?」
ビクッと体を震わせ、驚いて見上げた先には、―――― カクゲン。
彼だということはその顔ですぐに判断できたが、どういうわけだか見間違うほどの姿になっている。
「!? ………」
言葉を発しようと口を開きかけたアオを無視するかのように、カクゲンが顔一杯に笑みを浮かべて大声で話し始めた。
「アオ!これ見てよ!!」
その手には大きな紙袋が握られている。
カクゲンはそれをアオの目の前で、勢い良くガバッと広げた。
呆気に取られるアオは言葉が出ない。
「1時間は待ってるって決めてただろ?何でいないのさー?僕、1人になったかと思ってびっくりしたよ」
ああ、と返事をしようとしたアオに、カクゲンはそんな隙を与えない。
「だけどさ、これ見て!」
袋の入口を広げて、カクゲンが迫ってくる。
「………」
その中には何かがいっぱいに詰まっていた。
しかしアオの知識ではそれが一体何なのか、さっぱり分からない。
ただ呆気に取られ、至近距離の興奮した顔を見ているばかり。
一言も発せないアオに構うことのないカクゲンのテンションは、一向に下がらない。
「ねえ見て!!」
尚もアオに膝を寄せ、袋から一つひとつ物を取り出しながら、説明をし始める。
「この鉄の箱の中にはさ、お菓子が入ってんだよ!確かマド……う~ん……マド何とかって言ってたよ。マドー何とかかな。すごくおいしいんだよ!それと、これはゲームなんだって。遊び方は紙に書いて中に入ってるんだって。簡単だから遊びなさいってくれた。あとね…」
カクゲンが次々と取り出す見たこともないような物を目で追いながら、しかしアオはそんなものに興味が湧かない。
はしゃぐカクゲンの前で、アオもそろそろ落ち着きを取り戻し始める。
まず、何故最初に1人で逃げなかったのか、それを指摘してやりたかったが、自分もこの小屋で丸くなっていたことを思い出し、ひとまず言うのを止めた。
「……お前のぅ、」
何とかいつもの声を取り戻す。
先ほどまでの自分の逸りを思い出し、少し顔が赤くなった。
「お前何じゃその頭!」
誤魔化すように、まずはカクゲンの変わった容姿を指摘してみた。
「え?」
「このええニオイ、その頭からしよるんじゃろうが。何で髪がそんなに真っ直ぐになっとるんじゃ。そんなに前髪が短うなったらビー玉が丸見えじゃんか。ええんか」
大きく問うた内容に、それほどの興味はなかった。
が、
「……うーん……でもおじさんがね」
「おじさん?」
「うん、おじさん。おじさんがさ、キレイにしなきゃダメだって言ってさ。そのおじさん家にビヨーインさんて人がいてさ、ヤダって言ってるのに、僕の髪切っちゃったんだよ。自分でハサミで切るからいいって言ったんだけどさ」
袋の中から物を取り出しながらそう言うカクゲン。
アオはカクゲンの説明に追いつけないでいる。
馴染みのくせに、難訓を宛がわれたような、そんな気分になった。
………。
………だから、おじさんって誰じゃ?
「それに何じゃ、その服。またかっばらったんか」
「ううん、違うよ。貰ったんだよ」
カクゲンはしゃがんでいた体勢から立ち上がり、両手を広げてアオに自分の格好を見せた。
「ちょっとさー、硬くって動きにくいんだけどさ、すぐに慣れるって」
カクゲンが着ているのは青いシャツにジーンズ。
盗んだものではない、真っ白なスニーカー。
「硬いの着てれば直るんだってさ。カッコイイでしょ!」
「カッコ……まぁ、ええっちゃーええが。何でそんなもんくれるんじゃ」
「アオのもあるよ」
「え、ウソ!」
「えっとねー、確かねー、これとこれとこれだ」
引き攣れる声を上手く操縦できない自分が歯痒いが、袋が気になる。
いそいそと中から取り出された、透明なビニールに入ったシャツと値札の付いたままのジーンズ、そして箱に入ったままの靴。
カクゲンはそれを「はい」とアオに差し出した。
「アオは僕より大きいから、大きいサイズのがいいって言っておいたから、多分アオも着れるよ」
「………」
一旦喜びそうになったが、無理やり抑え付ける。
何事もなくカクゲンが帰ってきた現実。
それに更に加えるように、与えられたモノ。
目の前の現実に、アオは冷静に取り組むように自分を落ち着けた。
あの大人たちは何者だったのか、自分たちは被疑者なのか被告人なのか、大人たちは自分たちのことを何と話したのか。
聞きたいところだったが、カクゲンの張った声は更に続く。
「それよりさ」
「ん?」
「これ見てみなよ」
カクゲンがジーンズのポケットから何かを取り出し、アオの目の前で手を広げた。
それは、1枚の紙のお金。
アオは驚くのと同時に、カクゲンを疑いの眼差しで見つめる。
「お前…」
「ん?」
「まさか……盗んだんか」
その言葉に、カクゲンは慌てて、
「しない!しないよ、そんなこと!!」
「じゃあお前、それ何なら」
「くれたんだよ!」
「くれた?何で?」
カクゲンがお札をぴっと伸ばしてじっと見つめる。
「よく分かんないんだけどさ、アル……アル何とかって言ってたな」
「アル何とか?」
「うん。僕が遊びに来たから、そのご褒美だって言ってた」
「………」
「本当だって。毎日来たら毎日あげるって言ってたよ」
アル何とか……
恐らく『何とか』の部分をカクゲンが覚えて帰ってきたとしても、意味は分からないだろう。
人は賃金を貰うために毎日仕事に出かける。
『皆は将来、そうやって生きていかなければならない』
それくらいのことは知っていたが、奴らはあの場所で知ったかぶりをするように自分たちにそう言っていた。
「おい」
アオは手を伸ばしながらカクゲンに話しかける。
「そのお金、ちょっと貸してくれぇ」
「うん、いいよ」
カクゲンからお金を受け取り、皺の入ったそれを手の平で伸ばした。
それから、パンパンと二度叩く。
自分の記憶力など信じてはいないが、お札を手に取ったのは多分これが生まれて初めて。
数字の部分を指でなぞり、一、十、百、千、万……
「……こらぁ一万円よのぅ?」
「ほんと?」
「ああ。一番デカイお金じゃ。次は五千円、次が千円じゃ」
「うん」
「お金の中で一番エライ奴じゃ」
「うん」
そしてアオは座ったまま、カクゲンを見上げた。
「お前、これ……これはほんまに盗んだんじゃのうて、ちゃんと褒美として貰うたもんなんじゃの?」
「そうだよ」
「………」
たかだか家に遊びに行った、それだけで紙のお金を貰ってきたカクゲン。
身綺麗になって帰ってきた事実はあれ、外傷があるようには見えない。
だから意味が分からない。
嘘がバレたら一発本気で殴られなければならない。それは2人の法律の一つ。
カクゲンはこの世で起こりうる事象の中で、人から殴られることが一番嫌いなのをアオは知っていた。
だから嘘を吐かないことも知っている。
アオは黙って一万円札をカクゲンに返した。




