きみと世界を離れても
11月11日 秋 25時半頃
カクゲンが、川のほとりで死んだ。
暗闇に、目はとうに慣れていた。
承知の事実であったことが、想像通りに目の前で図示されている。
重い体をのし上げて川から這い出ると、川原で背中を丸め、横たわったカクゲンの後姿が見えた。
振るうでもなく絞るでもなく、拘束染みた四肢をただそこへと向かわせる。
自分は川に落ちたのが功を奏し肩と足を射抜かれた程度で済んだが、陸に残っていたカクゲンはそうはいかなかった様子。
ようやく動く足を引き摺り、右手で左肩を押さえながら黒い塊に更に近づく。
アオにとって幸いだったのは、彼が即死ではなかったこと。
それが何より。
掛けるべき言葉など、最初からない。
突っ立ったまま、カクゲンの胸倉を掴んで引き起こしてみた。
「……あぁ、……アオ……」
か細い声が微かに耳に届く。
アオの頭から肩から手の先から、滴り落ちる川の水を全身に浴びながら、それを遥かに凌ぐ夥しい量の血液がカクゲンの黒い体から流れ出していた。
「僕ならさ……へ、平気だよ……だからさ、」
そう言ったきり、彼はこの世から消えた。
どちらか一方が死んだ時どうするか。それはもう何年も前に打ち合わせ済みだったこと。
自分も足と肩にある痛みを庇わなければならない。
アオはカクゲンの着ているジャンパーのフードを掴み、ズルズルと地面を引き摺りながら川原を抜け、近くの山道へと入って行く。
こういう時はこうする。
カクゲンに垂範するかの如く、重荷を引き摺り歩くアオ。
陽が昇るまで、あともう僅か。
獣道を進み、山の中腹まで来たところで、アオは更に木々の密集する場所へと歩を進めていく。
この山が一体どこの誰のものなのか。
人が足を踏み入れる場所なのか。
そんなことは、もちろん知らない。
知を知る動物が息づかないであろう場所まで辿り着くと、アオはカクゲンの体を傍らに転がし、両手で穴を掘り始めた。
土は硬い。
根が阻み、石が塞ぐ。
しかしアオにとってそれは、この行為の障害にはならない。
掘って掘って、一心不乱にざくざくと。
掘り起こされてはかなわない。
できるだけ深く、深く。
自分が今何をしているのか迷わぬように大きく、大きく。
それは、事前の打ち合わせでも決めた通り。
―――― 最悪なのは2人共が消えること。1人残れば何とかなる。
あの声はカクゲンのものだったか、それとも自分のものだったか…。
アオはひたすら穴を掘り続け、やがてその手を止めた。
「チッ!1人になってしもうたじゃんか。参ったのぅ…」
自分が廃れぬよう、自分が千変万化の生物であることに気づかぬよう、そう口に出してみせた。
穴はかなり深い。
傍に放ってあったカクゲンの体をそこ目掛けて引き摺り寄せた時、アオはふと彼の掛けていたサングラスに手を伸ばした。
見慣れたそれで、自分の目元を覆い隠す。
それから今度こそ、カクゲンを穴の中に投げ捨てた。
力のない肉は、穴の曲線に沿ってぐにゃりと曲がる。
仰向けで一心にこちらを見つめる目を見下げながらポケットに手を突っ込み、タバコを取り出した。
ライターで火をつけようとしたが、そぼ濡れたそれには当然点らない。
それならばと、仕方なくじっと穴を見下ろす。
羨望の眼差しにも似た、その視線。
……こいつ、タバコ持っとったんかのぅ。
ちらりとそう思ったが、確認はしない。
もうきっと、夜明けは近い。
細い息を吐き戻し、アオはおもむろに足で土を掻き寄せ始めた。
繰り返し集めては寄せ、掻いては寄せ、窪みを覆い、見慣れた体を埋めていく。
枝と葉の重なる山の中は、更に漆黒の闇。
過去は静まり返り、鉄の腕は既に失く、牙すら折れた。
濡れたタバコを銜えたまま、覆い茂る木々の間から夜空を見上げる。
恐らく、広き余白を辿ることはもうないのではないか、茫洋とそう考えた。