30『可能性』
盤上の遊戯ではないのだから、投了は許されない。
諦める事はできるが、結果を考えるとそれも出来ない。
打つ手は全て封じられている。
相手の勝ちはほぼ確定している。
彼にできる事は諦めない事、そして待つ事。
盤上の遊戯ではないのだから、可能性が途切れたわけではない。
彼自身が動かなくても、外が動いている。
刻々と状況は変わって行く。
劇的に変わるのかもしれない、結局変わらないのかもしれない。
どちらにしても、彼は今、待つ事しか出来ない事に変わりはない。
ドォン、と重い音が“忘却の間”内に響いた後、その扉が開いた。
否、開かれたのではなく、破られたのだ。ジッタークの“鍵”が開けるのは禁術に関する物が収められている金庫であり、“忘却の間”それ自体の扉は開けられない。時間を掛けて魔法で穏やかに解錠する選択肢もあったが、結局力技で手っ取り早くいくことにした。カーエスの魔法で、一撃を加え、ジェシカが止めを差し、扉は破られた。
「ああ、本格的に犯罪者やな、俺ら」
派手に壊れた扉と、その向こうに見える“ディージー”の残骸を振り返り、カーエスが苦笑する。
もっとスマートに行っていれば、禁術破りをした事すら分からなかったかもしれないが、今は一目見ただけで、それが行われた事がはっきりする。
おまけに、破壊された防衛用魔導兵器や扉には自分の魔力の痕跡が残っているだろう。人の持つ魔力には個性があり、犯罪捜査においては、指紋と同じくらい個人を特定する鍵となる。特に、カーエスは魔導研究所に身を置くものとして、自分の魔力のデータを研究所に把握されているので、解析用の魔導器にかければ直ぐに自分がしたことであると発覚する。
「リク様の為なら、喜んで悪魔にでもなろう」
「真面目な話、そういう人の信じかたはどうかと思うで」と、ジェシカの先に歩いているカーエスが返す。「素直に相手を認められるのはええ事やと思うけど、一度認めたらそいつの全てを肯定するっていうのは危ないんちゃうか? どんな人にでもええトコと悪いトコがあるんやから」
思わぬカーエスの意見に、ジェシカは痛いところを突かれた思いを禁じ得なかった。
確かに、自分は物事を両極端で考え過ぎるのかもしれない。ファトルエルで抱いていた性別の悩みも、今から思えば、結局は自分自身の偏見から来ているものだった。
沈黙が二人の間を包む。彼女らの立てる足音が、“忘却の間”の薄暗い空間に響いていく。
“忘却の間”は広さがさっぱり分からない。自分達のいる周りの床のみが淡い光を放ち、周りを照らしている。その光は弱く、自分達の立っているところから五メートル先からは完全に何があるのかさっぱり掴む事が出来ない。完全に闇ではないが、入り口のある面を除いた壁、天井など、この部屋を形成する要素が全く見えないのである。
ただ、淡い光で分かるのは、膨大な量の金庫棚が縦横無尽に並んでおり、それぞれの列にある番号の案内が側面に表示されているだけである。
はっきり言って、薄気味悪く、不安な気持ちを掻き立てる雰囲気を持つ部屋だった。
ジェシカの先を歩くカーエスは、棚の側面に表示されている番号を目で追いながら黙って歩く。
そして「お」と、短く声をあげると、棚のある列に入って行った。
棚の列は一メートルほどの幅しかなく、酷く狭く感じられる。特にこの薄暗闇の中ではそれが一層心細く感じられた。
それからも、カーエスは黙って先を歩き続け、列の片側の番号に目を走らせて行く。
やがて、カーエスは目的の金庫を探し当てた。確かにジッタークから聞いた一四七九番という番号が刻まれた札がつけられている。見た目はただの金庫が積み重なったようなものだが、質はそんじょそこらのものとはハッキリと違うはずだ。“ディージー”に使われているよりも遥かに堅い、魔法で合成された金属に、魔導処理を施して、何重にもプロテクトを施し、絶対に壊れることはないと保証できるほどには堅牢なはずである。
金庫の扉にぽつんと存在する鍵穴に、ジッタークから預かった“鍵”を差し込むと、中でがちゃり、と鍵が外れる音がした。
カーエスが慎重な動作で金庫の扉を開く。
ジェシカは、固唾を飲んで、その中を覗いてみた。その中には一つの卵のようなものが安置されている。
「“圧縮卵”か」
この魔導研究所自体も、空間が圧縮され、見た目よりも遥かに中が大きいように、荷物などを持ち運び易いように、圧縮して卵の形にしたものが“圧縮卵”である。それに設定された条件が満たされない限り、この圧縮が解けて元に戻る事はない。
その性質から、持ち運びや、物の管理に非常に重宝できる魔法だが、空間および物品の圧縮という魔法は非常に高度である為、コストが掛かり世間には普及されていない。
「正直大荷物をえっちらおっちら運んでいかなあかんのや思っとったから、ちょっと安心したわ」と、先ほどまで押し黙っていたカーエスがやっといつもの呑気さを見せた。「圧縮の解き方は多分おっちゃんが知っとるやろ」と、その“圧縮卵”を自分の懐に納める。
ジェシカはそれを自分の目で確認すると、カーエスに頷いて見せた。
「よし、急いで帰るぞ」
そして踵を返し、今度はカーエスの先に立って走りはじめた。
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アルムスが、“英知の宝珠”の取り外し方を白状してから、既に六分刻(三十分)が経過していた。そしてアルムス自身が、“英知の宝珠”が接続されている制御用魔導器の前に座って操作を行っている。
普段からここで勤務している者はほとんど眠らされてしまっているので、所長として一通りの事ができるアルムスがこの作業を行っているのである。しかし、ほとんど触った事がないのも事実で、元々時間の掛かる作業であることを差し置いても、彼の作業は遅れていた。
見た目にももたついているアルムスの作業を、ディオスカスは特に苛立った様子もなく見張っている。その視線が気になり、アルムスが作業の合間にディオスカスを盗み見ると、ディオスカスは余裕のある笑みを返して言う。
「ごゆっくりどうぞ。特に急いでいるわけではないので」
その余裕をどうにかして削り取ってやりたい、とアルムスは思うが、今は自分の非力を呪う事しか出来ない。
このような大掛かりなクーデターの発生を許してしまった責任は大きい。どんな結果に転がっても、もう自分はエンペルファータ市長兼魔導研究所所長という地位を無くしたも同然だろう。否、これが終われば、彼は自分から降りようと思っている。
何故か、あまり未練は感じていない。今の自分の地位が、昔憧れていたほど名誉と栄光に満ちたものでは無かったからだろう。
時代も悪かったと思う。魔導文明の中で、黄金期と呼ばれた時代とは違う。文明の発展と進歩が目に見えて遅くなった今の時代、もはやエンペルファータは“時代の最先端”という呼称に見合うほど飛び抜けた存在では無くなっているのだ。
黄金時代という過去の栄光に捕われた自分より、現在、前を見られる人物の方が今は適任だろう。そう思うと、彼は清々しい気持ちにさえなれた。何故もっと早くそうしておかなかったのだろうと思いながら。
だが、今となっては、その前にやらなければならない事がある。自分以上に過去に捕われ、第二の黄金期を夢見てこのような馬鹿げた行動を起こしているこの男を何とかしなければならない。
しかし、打てる手が見つからない。下手に抵抗をすれば、彼はエンペルファータを滅ぼすつもりだ。戦力を集めようにも、魔導士団は彼の指揮下にあり、その卵である魔導士養成学校の生徒達は魔導学校棟ごと封鎖され、閉じ込められてしまっている。
唯一期待できるのは、上手く姿を消す事が出来たエイスだが、これも一人でどうにかできる問題ではないだろう。
考えに没頭しながら作業をしていると、扉の開く音と共に、一人の魔導士がこの部屋に入ってきた。
その魔導士と、ディオスカスの会話にアルムスはさり気なく耳を傾けた。
「何? 禁術破りだと?」
その魔導士は、ディオスカスに指示され、なぜか制圧の手を逃れている研究・開発室棟の医務室で何かあった場合、知らせる役目を帯びていたらしい。
「はっ、毒に倒れたリク=エールの治療の為、禁術を使うつもりでいるようです」
「禁術?」
つい、ディオスカスが聞き返すのも無理はない。一言に禁術といっても、“忘却の間”には膨大な量の禁術が眠っている。そのうちのどれかを使えばリク=エールを救えるかもしれない、という考えは分かるが、あの金庫棚の列の中からそれを探し当てるのは、森の中で一枚の木の葉を探すよりも難しいはずだ。
「はっ、彼等の話では“どんな病気、怪我でも治す魔法”を使うのだとか」
それを聞いたディオスカスの目が細まる。
「……その提案に至るまでの詳しい経緯を」
魔導士が報告するところによると、医務室の魔導医師が助けられないと判断した為、カーエス=ルジュリスの知り合いである元魔導医師・ジッターク=フェイシンが呼び出され、その彼の提案で、禁術破りをすることに決定したらしい。
そして今から三分刻(一時間)ほど前に、カーエス=ルジュリスとジェシカ=ランスリアが、“忘却の間”に向けて出発したのだ、とその魔導士は報告した。
「ジッターク=フェイシンか……」と、得心が行ったように、ディオスカスが呟く。
その名前を聞いてアルムスもようやく話が掴めた。今から十年ほど前に“どんな病気、怪我でも治す魔法”を開発しながら、人々に公表する前に早々と“忘却の間”に禁術として封印してしまった人物として、当時まだ開発部の部長補佐でしかなかったアルムスの記憶に残っていた。
家族に重病人を抱え、その噂を聞いた者達が、こぞって魔導研究所の扉を叩いたあの騒動は昔の事ながら鮮明に憶えている。彼があの事件の後、魔導研究所を辞したのは知っていたが、まだエンペルファータ内に残っているとは知らなかった。
そして、あの魔法を生み出して、封印したジッターク自身ならば金庫を開ける為の“鍵”と、その金庫の在り処を示す番号を持っていても不思議ではない。
そして、ふとアルムスは思い当たる。今、医務室で倒れているのはリク=エールだ。ならばカーエスやジェシカばかりではなく、彼らと連れ立ってファトルエルからやってきた、フィラレス=ルクマ-スに、サソリ便の御者で、便利屋もやっているという、あの褐色の肌の青年も一緒だろう。
魔導研究所に所属する二人以外の戦力は未知数だが、それでも“滅びの魔力”があるフィラレスがいる。あの無限にも等しい大きさの魔力は使える。一度発動すれば何が起こるか分からないが、上手く作用すればディオスカスの野望を打ち砕く事も不可能ではない。実際、ディオスカスもフィラレスを下手に刺激したくない、という事情から医務室に手を出さなかったのだと考えられる。便利屋をやっている青年とやらも、情報収集などはお手のものだろう。
カーエス達が帰ってくれば、便利屋の青年が収集した情報を元に、策を練って動く事ができる。そこにエイスも加わってくれれば、さらに可能性は高まる。
しかし、心配なのは“忘却の間”に向かったカーエスとジェシカだ。あそこには防衛用魔導兵器“ディージー”が配備されていたはずだ。資料を見る限り、あれを倒す術は思い付かない。自分も魔導士の資格は持っているとは言え、そうそう戦闘に長けたものではないので、彼等なら何とかするかもしれない。
「他に報告する事は?」
「そう言えば、リク=エールに、治療を施す時間は限られており、カーエス=ルジュリスらは本日赤の刻(午後三時)までに禁術を持って帰らなければならないようです」
「ふむ、タイムリミットか……」
ディオスカスは、少し視線を外して思案し、指示した。
「ならば焦りを誘ってやるのが吉だな。以下の事を各所で見張っている連中に連絡しろ」
「はっ」
「カーエス=ルジュリスとジェシカ=ランスリアの二名を見かけたら、奴等の行く手を妨害。捕らえたり、倒したりする事より、より手間を掛けさせる事に重点を置く事。赤の刻まで奴らを医務室に近付けるな。以上だ」
「了解しました」
ディオスカスの迅速な判断に敬礼をし、魔導士は部屋を出て行く。
(全く、相手の嫌がる事ばかりを良く突いてくれる)と、アルムスは今のディオスカスの判断に、内心で舌打ちをした。
今の指示から、カーエス達は大幅に医務室に帰るのが遅れる事になるだろう。二人が“忘却の間”を目指して医務室を出た時間からすると、彼等はまだクーデターの事を知らないはずだ。医務室に帰って来るまで、彼等を対クーデターの戦力として当てにする事は出来ない。
おまけに、“ディージー”の戦闘、さきほどディオスカスが指示をした邪魔者との戦闘で随分くたびれる事になる。焦りから失敗をして魔導士団に捕われるかもしれない。それに、その結果、禁術破りまでして助けようとしたリクを助けられなかったショックも少なくはないはずだ。
(まてよ)と、アルムスは一つ引っ掛かりを覚えた。
カーエス達は禁術破りをしている。これは国際法の顔ともいえる“全世界による魔法についての使用制限条約”にしっかりと定められている違反行為。つまり、カーエスは重大な犯罪を現在進行形で行っているのだ。
罪を犯したからには、魔導研究所を追放されるだけでは済まない。“自由都市”フォートアリントンから、司法機関が派遣され、カーエス達は身柄を拘束されてしまう事になる。それが分からない程彼等は子供ではあるまい。
彼等は犯罪者に身を落としてまで肉親でも恋人でもない男を助けようとしている。そのたった一人の男、リク=エールとは一体何者なのだろうか。
(あのファルガール=カーンの弟子とか言っていたが……)
彼が去って、十五年経ったが、まだ彼の影響は魔導学校に色濃く残っている。未だ誰も寄せつけぬエスタームトレイルの最速記録を初め、今魔導士団で抱えている上級魔導士の一部は元々ファルガールの生徒だった者達だ。そして、現在、魔導研究所の抱える魔導士の質を大きく押し上げている一師一弟制は元々ファルガールの推奨していたものだ。
彼と直接話す事は遂になかったが、そんな自分でもファルガールの話になれば話題には事欠かない。
“孤立する日”の初対面の際、“グランクリーチャー”《テンプファリオ》の大災厄を見た際に発した彼の言葉が印象的で、今も耳に残っている。
―――早くなんとかしなくちゃヤバいんじゃないか!?
大災厄に対して、何とかする、と。ファトルエルで大災厄の猛々(たけだけ)しさを知っている人間の言葉とはとても信じられなかった。あれは、大災厄が相手でも何とかできると思っている台詞だ。
確かに、ファトルエルの大災厄に際し、史上初めて人間が大災厄を退けた。しかし、倒しても倒しても湧いて出て来るクリーチャー、異常を通り越した天変地異の数々、その中をただ生き残ったからと言って、大災厄を退けた実感を持つ者はいないはずだ。
実際に、大災厄に止めを刺し、退けた者を除けば。
(まさか……)
アルムスはファトルエルの大災厄を退けたのはおそらくファルガールだろうと思っていた。それか、魔導研究所最強の魔導士にも数えられるであろうカルク=ジーマンとマーシア=ミスターシャ。その三人が揃えば、不可能も可能になると、アルムスは何となく納得してしまっていた。
しかし、彼等の弟子であるリク、カーエス、そしてフィラレス。彼等が今行動を共にしている事からしても、彼等三人がファトルエルでの大偉業に何らかの関わりがあった事は何ら不自然でもない。
何故、今までその可能性を考えなかったのか。
「手が止まっておられるが、どうかされたのか?」
思考に集中してしまい、アルムスはそのディオスカスの声で、自分の手が止まっていた事に初めて気が付いた。
「ああ、どうしたら君を止められるのだろうと考えていてね」と、あまり誤魔化さずに正直に言い、再び指を動かしはじめる。
「それは、思考力の無駄ではないかと思われる。……先ほども聞き耳を立てておられたようだが、少なくともあなたに打てる手はない」
もうすぐ、正念場だ。
アルムスは何の根拠があるわけでもなく、そう感じた。
カーエス=ルジュリスらがリク=エールを助けられるか否か。
それが、このクーデターの結末を左右する分岐点になるのではないか、と。