07『恋人同士の定義』
恋人同士たる定義とは一体何なのだろうか。
好き合う事だろうか。付き合う事だろうか。
恋人とは自分が恋しく想う人の事。
だから恋人同士とはお互いに想い合う関係。
自分の胸の内は自分にしか分からない。
だから二人以外には分からない関係。
そしてその二人でも時々分からなくなる関係。
分からなくても大丈夫。確認はできないが、絆は確実に存在はするのだから。
恋人達よ、自信を持て。
私達は恋人同士なのだ、どこかにある私達の絆は不安などには壊せはしないと。
あれからファルガールとマーシアの二人は特に会話するでもなく黙って酒を酌み交わしていた。
その音を許さない雰囲気に参ったのは店主である。
元々この酒場は酒を飲んで盛り上がるような酒場ではないが、ここまで静かなのは初めての事だ。
「ファルガール」と、マーシアが沈黙を破る。
たった一言だったが、その場の雰囲気は一気に柔らかくなった。
「何だ?」
「あなたがここにいるって事は、やっぱり弟子を育てて決闘大会に出すって事かしら?」
「時期を見計らってきた事は認める。だが出る、出ねぇはアイツの自由だ」
答えて、ファルガールは一口カルに口を付ける。
その様子を眺めながら、マーシアは更に質問を重ねた。
「もし出るとして優勝は出来そう?」
「もし出るなら間違いなく今回の大会の優勝者だ。苦戦する奴もいるかもしれねぇが、俺でさえ、あいつに勝てるかどうかは怪しいね」
即答。しかも一部の謙遜もなし。ファルガールは完全に言い切った。
変わってないな、とマーシアは微笑んだ。
昔からファルガールは自分に自信を持っている男だった。
時には過剰なくらいだったが、それでも自分を信じて最後には目的を成し遂げるのだ。
そのような自信があるからこそ、十三年前自分の信じたやり方を貫き、自分の信じたやり方以外の方法はとらなかった。
が、同時にマーシアは驚いた。
あのファルガールが勝てるかどうか怪しい、と言ったのだ。
いつだって自分は勝つに決まっている、と言っていたのがマーシアの知るファルガールだった。
「マーシアこそ、この街に何をしにきたんだ? 今さら大会に出るわけじゃねぇだろうが」
ファトルエルの決闘大会に年齢制限は無い。
しかしこの大会に出場するのは四捨五入して二十歳から三十歳までの間に入る人間、というのが相場だ。
マーシアも一応この中の年齢に入るには入るが、この年代の出場者のほとんどは何回も出場しているベテラン達である。
ベテランと言うと聞こえはいいが、何回挑戦しても優勝できない連中なのだ。今さらそんな連中に混じろうとは思わない。
「私も……一人の魔導士を育てたの」
「そいつを大会に出場させるのか?」
彼女は静かに首を振った。
「あの子自身が出たいって言ったのよ。ちょっと信じられなかったけれど。カルクの育てた弟子も出るって言うし」
「で、弟子弟子って言ってるって事は、カルクの言ってたやり方を学校側が受け入れたって事だな」
ファルガールの指摘にマーシアは口元を押さえ、答えるのを少し躊躇った。
少し間が開いた後、口元を押さえていた手を下ろしフレスニーを一口飲んで、口を湿らせると話し出した。
「ええ、彼の提案はあなたが出てからすぐに承諾されたの。それで生徒を選抜して、他の生徒の処遇を手配が行われて、二年と掛からずに学校の規模は縮小されて、それぞれの生徒に担当の教師がつくようになった。カルクはいつも言ってるわ。あなたがもう少し我慢していてくれればって」
「へっ、俺がいりゃ、まとまる話もまとまらなかったんだ。いなくて正解だよ」と、言うファルガールの口元に浮かべられた笑みはシニカルな感じがした。だが、昔のように棘は感じられない。もう、どうでもいいといった感じだ。
マーシアはセピア色のカルを飲み干すファルガールを見つめ、ふと不安にかられ、尋ねようと話し掛けた。
「ねえ、ファルガール」
しかしその時外から聞こえてきた声で、二人の注意がそちらに移ってしまった。
「つ、連れがいるところって、ここかぁっ!?」
二人でしばらく店のドアを見つめていると、がちゃりと音がしてリクとフィラレスが入ってくる。
そして、ファルガール達が自分達を見つめているのに気付いて、顔を合わせる。そしてファルガールに言った。
「俺はファルにもらった金を使ってやろうと買い物に行き、ナンパ男に絡まれている女の子を助けてやった。たまたま、だ。
それで女の子が口が利けないと知り、一人じゃ不便だろうと連れの元まで送ってやる事にした。男として当然の事、だ。
で、女の子の案内に従ってきてみりゃこの酒場だ。しかも入ってきてみりゃ、俺の連れとフィリーの連れが親密そうに酒かっくらってる、と。
いやぁ、これ以上の驚きはそうそう味わえねーだろうな」
「若い内は刺激を受けとくもんだぜ。免疫がねぇと年寄りになった時にビックリして本当に心臓止まっちまうからな」と、ファルガールはグラスを片手にニッと笑ってみせる。
「でもあなたどうしてフィリーの名前を知ってるの?」と、その隣のマーシアは不思議そうな面持ちで尋ねた。
フィラレスは口が利けないのだから、自分で名乗れるはずがない。
その質問にリクは悪戯っぽい笑顔を見せる。
「あんたの名前も知っているよ。“冷炎の魔女”マーシア=ミスターシャ先生。背の高い美人って事もね」
「まあ、ありがとう。でも誰が?」
「背の高い美人はフィリー。名前の方は……ええと、……眼鏡掛けてて、妙な方言を口走って、俺に飛び蹴りかましてきて、……名前は……」
苦悩し、頭を抱えてしゃがみ込むリクに、マーシアが助け舟を出した。
「カーエス=ルジュリスの事かしら?」
「そう、そいつだ!」と、リクはがばっ、と立ち上がった。
「あとあんたに言っとこーと思った事があるんだが」
「何かしら?」
マーシアが聞き返すと、リクはその鼻先にびしっと人さし指を突き付けた。
「今度から口の利けねーような娘を一人にさせるんじゃねーぞ。道にでも迷ったらどうなってたか」
リクが言い切ってから、しばらくマーシアは目を丸くして突き付けられた指先を見つめていたが、やがて、小さく笑って、「ごめんなさい。今度から気を付けるわ」と、謝った。
リクは偉そうに腰に手を当てて、うむ、と頷く。
「それとファル!」と、今度は勢い良くファルガールを指差す。
「今度は俺か」
リクはつかつかとファルガールの前に移動するとぼそっと言った。
「ファトルエルの決闘大会のこと聞いたぞ。別れ際に言いかけただろ」
「お前を蹴飛ばしかけたやつか?」
「んにゃ、その師匠から」
そして、少し間をおいて付け足す。
「……あとその前にサソリ便の御者からおーまかに」
サソリ便、という言葉にファルガールは反応し、酒を傾ける手を止める。
「……バレたか」
そんなファルガールに勝ち誇った笑みを浮かべ、リクは腰に手を当て胸を張る。
「弁明を聞いてやろう」
「……まぁ、修行の一環だ。俺だけサソリ便に乗って行かなかっただけマシだと思え」
「荷物を全部持たされたぞ」
「ありがたき苦難だろ」
ああ攻めても、こう返される。リクにできるのは顔を歪ませる事ぐらいで、ファルガールに謝らせるところまでいったためしはなかった。
今度は自分が言葉に詰まる羽目になったリクを見てマーシアはくすっ、と笑った。
「あ、そう言えば、そのか……か……」
「カーネルだろ、一回で覚えろよ」
「カーエスよ」
偉そうに言ったファルガールの横からマーシアが訂正する。
するとファルガールが飲みかけていたカルをぶっ、と吹き出した。
「くくく……」
「で、そのカーエスがどうしたんだよ」と、いい気味だとばかりに笑いを漏らすリクに、赤くなった顔で店主に用意してもらった布巾で飛び散ったカルを拭き取りながらファルガールが話を急かす。
「くく…ああ、その師匠ってのがな、ファルを知ってたらしくてさ。十五年前の決闘大会で優勝したんだってファルのこと偉く誉めてたぞ」
今度はそれを聞いたマーシアが笑った。
「どうしたんだ?」
「その人、カルク=ジーマンっていってね、ファルガールが十五年前のファトルエルの決闘大会で決勝を闘った人なのよ」
「強いのか?」
今度の質問にはファルガールが答えた。
「ああ、強いね。並みの魔導士じゃ先ずアイツに傷一つ付けられねぇよ」
「へえ、じゃあライバルって訳か。あ、もう一つさっきから聞きたい事があったんだ」
「何だ?」
リクは自分を見るファルガールとマーシアを交互に見て、言った。
「ファルとマーシアの関係は? まさか行きずりじゃねーだろ」
その質問にファルガールとマーシアが顔を合わせた。
そしてそのまましばらく沈黙が続き、揃ってリクに向き直るとマーシアが答えた。
「恋人同士よ」
「こいびとどーし?」
マーシアのその答えはリクの想像を絶するものであり、一瞬戸惑う。
しばらく間が開き、遅ればせながら理解すると、さっきとは比べ物にならない衝撃が彼を襲った。
「なっ、何ィィィッ!?」
「うるせえよ、リク」
リクの驚嘆にそばにいたファルガールが耳を塞ぐ。
「だ、だってよ、俺と会ってから十年くれーになるけど、一度もそんな気配見せなかったんだぜ!?」
「当たり前だ。お前と会ってからはさっき偶然会うまで、手紙一枚書かなかったからな」
「世間じゃ、そーいう関係の事を元恋人ってんだ」
「まだまだ若いな、お前は。連絡取り合わねぇまでも、心が繋がってりゃいい恋人同士もあるってこった」
リクの突っ込みにちちち、とファルガールは指を振る。
そこでリクは少し黙り込んで考えると反論に出た。
「ファル、それは違うぜ。まあ、心が繋がってれば十年間連絡がなくても恋人同士でいられるとしよう。
でも恋人同士ってのはお互いに愛しあってて、逢いたがるもんだろ? 忙しくかったりやむを得ねー事情があるなら別だけど、ファルの場合、俺といろんなトコ旅して来たんだ。そのついでに逢いに行く余裕は十分あったじゃねーか。
そりゃ、野宿も多かったけど、街に寄ったりして手紙を書けない状況でもなかった。でも、そんな事はしなかった。それでも恋人同士って言えるのか?」
リクにしては珍しく真面目に筋道立てた反論だった。
ファルガールは、表情は変えなかったが、いつもは即時に切り返すところを、黙ってしまっている。リクの目を見ながら、言葉を探しているようだ。
マーシアは黙ってファルガールの答えを待っている。
そしてファルガールが口を開いた。
「……お前そこまで俺とマーシアの仲を否定したいのか?」
「え?」
それはリクにとって意外な一言だった。慌てて自分の言った事を思い返す。
「う~ん、そーなるな」
驚くだけで良い話なのに、本気で理論立てて捲し立ててファルガールとマーシアの仲を否定してしまった。
若いと言われたからだろうか、いやそれは違うだろう。
そう言われるのは今に始まった事ではない。
「そうだな」と、ファルガールはやはりしゃがみ込んで考え込むリクに話し掛ける。
そしてリクと自分が目の合うのを確認して続ける。
「逢いたいとは思ってた。だが同時に思ってた事もある」
「何だ?」
リクが聞き返すと、ファルガールはいつものように口元に悪戯っぽい笑みを浮かべて一言答えた。
「気が向いたら教えてやるよ」
そして残りのカルを飲み干してファルガールは立ち上がり、手でポンとリクの頭を叩いた。
「そろそろ帰るぞ、リク」
「勘定は?」と、リクが尋ねると、ファルガールは入り口に向かう足を一度止めた。
「お前がやっとけ」
「自分でやれよ」
「酔っ払いに勘定させるとえれぇことになるぞ」
「まっすぐ歩いてる奴は酔っ払いとは認めねー」
リクが言ったとたんに、ファルガールはふらふらとわざとらしく千鳥足で歩いてみせる。
「じゃあ、勘定頼むぜ」
「ち・く・しょ~」と、リクは舌打ちすると、店主に全部で幾らか聞き、その値段に眉根を寄せつつ、その金額を支払った。
そして、彼は財布に使っている袋を大事にしまうと急いでファルガールの後を追って入り口まで駆け足で行くとそこで振り返り、マーシアとフィリーに小さく手を振った。
「じゃ、またな。マーシア、フィリー。」
二人が去った後、マーシアとフィラレスの二人だけになり、場がシーンとなった。
マーシアは今飲みかけている一杯を飲み干すと、まだ入り口の方を見ているフィラレスに尋ねた。
「今日、何かいい事あった?」
フィラレスはこくりと頷いた。
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ファトルエルの日没は早い。街を囲む高い壁がある為である。
リクはまだほんのりと明るい空を見上げながらファルガールの後を付いて行っていた。
「酒で火照った身体にゃ丁度いい気温だな」
「酒飲んでねー俺には寒いんだよ。それに腹減ってるし。早く宿に戻って飯食いてー」
ぶつぶつ言いながら、彼は視線を地面に落とした。
彼の歩いている脇にファルガールに足跡がある。それはくねくねと曲がっていた。
ファルガールを見ると、なかなか危なっかしい足取りだ。
「まだやってんのかよ、もういいからまっすぐ歩け」
彼がいっても、ファルガールはまっすぐ歩こうとしなかった。
それどころかますますふらふらになっている。
「?」と、リクは眉をしかめる。そして後ろを振り返ってみた。
ファルガールの足跡は店を出た後からだんだんと真直ぐから程遠くなって行っている。
これは彼がまっすぐ歩けと言う前からのことであるから、わざわざ反発してわざわざやっていることではない、ということだ。
「ファル……まさか本気で酔ってるのか?」
答える代わりに、ファルガールはどてっと、前のめりに倒れた。
「ファルッ!」
リクは急いでファルガールに駆け寄った。
仰向けにして、上体を起こす。ファルガールはまだ意識があった。
「一体どんだけ飲んだらこうなるんだ?」
リクが尋ねると、ファルガールはにやっと笑って、両手を持ち上げ、全ての指を開く。
「十杯!?」
リクは驚いた。いつもは不味い、不味いと言いながらちびちびと一杯飲むだけだったからだ。
ファルガールはもう一度にやっと笑うと、そのまま頭を垂れて、寝息を立てはじめた。
「……そんなに恋人に逢えたのが嬉しかったのかね……?」
リクはやれやれとため息を付くと、しゃがんでファルガールの腕を肩に掛け、背負うと、気合一発、ファルガールを持ち上げて立ち上がる。
「おっと……!」と、その途端に体勢を崩して少しふらついた。
巨漢に上にその体積のほとんどが筋肉だ。軽かろうはずはない。
リクは慌てて体勢を直すと、少し跳ねて、ファルガールの位置を直す。
その際に自分の肩ごしにファルガールの寝顔が見えた。
「……逢いたいのと同時に思ってたことねェ……」
その時、リクは不意に思い出した。
-------これ何?
-------最強の証だ
-------さいきょう? 一番強いって事?
-------ああ、そうだ。信じるか? ……信じられるわけねぇよな。
(そうか、あの時のペンダントだ。見られたのはあれっきりだけど……)
そして、あのようなファルガールを見たのも、あれで最後だった。
リクはもう一度夜空を見上げた。
「最強の証、か……」