33『本当は』
やるべき事と、やりたい事は全くの別物だ。
やりたい事を優先したい。
しかしやるべき事をやった方が絶対に良い。
人は皆そんなジレンマを持っている。
やるべき事をやれる人は偉いと言われる。
しかしそんな人でも本当はやりたい事があるはずなのだ。
自分のやっている事がやりたい事ではない事は分かっているはずなのだ。
人の悲しみはやるべき事とやりたい事が別である事。
やるべき事とやりたい事が同じである事。
それは人として最上の幸せである。
ここは第四決闘場、別名は“サバンナの決闘場”である。
地面はさらさらとした砂ではなく、乾きにひび割れた真っ平らな地面、あちこちにサボテンや、枯れ木、そしてむき出しの岩石のある正八角形のバトルフィールドだ。
その固くひび割れた地面には何かによってえぐれた後がいくつか付いていた。
その地面の上には二人の人間。うち一人は少女で、身体に光を纏い、その光から何本もの輝く帯が伸びている。
フィラレス=ルクマースは生涯で初めて自らの意思で“滅びの魔力”を発動させていた。
止めるのにあれだけ労力を要するというのに、この好戦的な魔力はあっさりと発動し、光の帯を彼女の意識のむくがままにその手を伸ばす。
その先には、静かにフィラレスを見据え続ける漆黒の髪と瞳を持つ青年、ジルヴァルト=ベルセイクが立っている。
光の帯達の連続攻撃にジルヴァルトは全く身じろぎせずに攻撃をかわし続けていた。しかしその動きは、ドタバタと危なっかしかったリクのそれとは違い、全く無作為であるはずの光の帯達の攻撃を全て読み切ったかのような余裕のある動きだった。
それを見てフィラレスは安心した。
これなら自分はこの人を傷つける心配はない。
周りに観客がいるのでフィラレスの意識がそっちに行く事もあった。
そして光の帯はそっちに向かうわけであるが、各決闘場には決闘のとばっちりを観客が受けたりしないように、観客席とバトルフィールドの境目に魔力の障壁が張られている。
この障壁はかなり優秀で、滅多な事では破れないらしく、フィラレスの光の帯がかなりの勢いでぶつかってもビクともしなかった。
フィラレスがジルヴァルトとの闘いに決闘場を選んだ理由である。
「風よ、不可視なる刃をもって全てを切り裂く《真空波》となれ」
静かでゆっくりとした魔法の詠唱とは裏腹に、魔法は素早く発動した。彼に向かってくる光の帯達は全て真っ二つに切り裂かれ、フィラレスにその刃を届かせる。
しかしそれも彼女の纏う光の衣には全く通用しなかった。真っ二つに切り裂かれた光の帯達もそのまま二本の光の帯として相変わらずジルヴァルトを狙い続ける。
フィラレスはただそこに立ってジッとジルヴァルトを見つめ続けている。
ジルヴァルトはまたしばらく黙り込んで回避行動を続け、次の魔法を詠唱し始めた。
「実体を持たぬ《死霊の鎌》は、肉体は刈り取れず。されど実体なき心は刈り取り、代わりに恐怖を植え付けん」
ジルヴァルトの伸ばした手の先に魔法陣が浮かび上がり、そこから大鎌をたずさえた死霊の形をした魔力が具現化し、それを振り上げてフィラレスを襲う。精神攻撃魔法《死霊の鎌》だ。
しかし、鎌がフィラレスに届く前に衣から新たに光の帯が生え、死霊を吹き飛ばす。
肉体への攻撃も、精神への攻撃も効かない。
光の衣を破るくらい強力な魔法も無いわけではない。そしてジルヴァルトはそれを使える。しかし、光の帯の連続攻撃がそれを唱える隙を与えない。
(全てはあの魔力のため……それならば)
ジルヴァルトは次の行動を決めた後、しばらく黙って回避行動を取る。
タイミングを計っているのだ。
出来るだけ、攻撃が来ない時間を長くしたい。それでもギリギリの筈だ。
八角形のバトルフィールドのある一辺に一時待機し、出来るだけ多くの光の帯の注意をひく。そしてギリギリまで来た時、ジルヴァルトは《電光石火》を唱え、向かい合った辺まで一瞬で移動した。
これでしばらくは光の帯は攻撃に来ない。
ジルヴァルトは躊躇わずに魔法の詠唱に入った。
「あれに見ゆるは全てを脅かす力、全てに轟く力、全てを害する力。《魔縛りの影》によりて我、その力を封じん。その影この場にあるかぎり、決して再び暴れ出す事無し」
唱え終わると同時にジルヴァルトの影が形を変えてフィラレスの元に伸びて行く。ただでさえ長い詠唱時間で光の帯達はジルヴァルトとの距離を詰めている。
この調子では届くかどうかはギリギリだ。光の帯達はその凶暴なる手をジルヴァルトに伸ばす。しかしジルヴァルトは一切の回避行動を取らない。
そしてついに目前に迫った時、光の帯達は突然、その光を薄れさせ、具現化されていた実体を無くしてジルヴァルトの身体を通り抜けて行く。
そしてついにそれらが消えた時、観客達にジルヴァルトの影がフィラレスに届いているのが確認出来た。
あれだけ派手に暴れていた光の帯達が一瞬にして消えてしまったのに対し、観客がおお、と感嘆の声をあげる。
「汝、《砂の戒め》によりて縛られよ」
息を付く暇も無く唱えたその魔法で、フィラレスの手足に砂が絡み付き、フィラレスが動きをとれなくなる。
フィラレスが“滅びの魔力”によって守られ攻撃するのならば、その魔力自体を封じ、そしてその状態から抜けられないようにした今、もう彼を攻撃するものは無い。そして、彼の攻撃を遮るものも無い。
この時点で、ジルヴァルトの勝利は決まった。
しかしジルヴァルトという男が、決闘大会のルールの上での勝利をもぎ取っただけで済ませる男ではない事はシノン戦後一日経った今、良く知られていた。
そして彼がそのような男ならば、フィラレスも彼を相手には選ばなかった。
ジルヴァルトはゆっくりとフィラレスに歩み寄って静かに話し掛けた。
「どうやらお前の望み通りにしてやれそうだな。死をもって罪の苦しみから解放されるがいい」
そういってジルヴァルトはフィラレスの方に手をかざして唱えた。
「汝は大地に愛されし。よって汝は《地への帰依》によりて母の大地に還るがいい」
フィラレス足元の地面に黄色い魔法陣が描かれる。するとその魔法陣の中は砂になり、フィラレスの身体はゆっくりと沈み始めた。
「時間を与えよう。未練を断ち切る努力でもするがいい」
そういってジルヴァルトはくるりと背を向け、近くの壁に身をもたれかける。
未練、と言われてもフィラレスは何も思い付かなかった。
この力が発現して以来、死んだ方が人のためだと思い続け、いつか死ぬ機会が来た時のために、なるべく未練は残さないように心掛けていた。
だんだんと低くなる視界。下を見れば自分がだんだんと地面に沈んで行くのが実感できる。そして、自分が死へと、自分が目指していたゴールへと歩んでいっている事も。
この歩みがスタートしたのは五年前、十二歳の時。
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生まれた時にフィラレスが膨大ゆえに危険な魔力を持っている事は分かっていた。
フィラレスの一族には時々そういうものが現れる。一族の掟では、そういうものが現れた場合、暴走しない内に殺す事になっていた。
しかし彼女の両親はそうしなかった。二人の間にはなかなか子宝が得られず、やっと授かった一人の子供だったからだ。
後にそれを知った時、フィラレスは両親にこれ以上ないほどの感謝を感じた。
それが後悔に変わったのは五年前のときだった。
その夜、よそから村にやってきた四人の強盗が入ってきた。
時々フィラレスの様な子供が生まれる他は何の変哲もない一族で、両親のどちらも戦闘訓練を受けた事がないので抵抗のしようはなかった。
ただ、なされるがままに、強盗達に金目のものを漁らせるしかなかった。
そし金目の物をありったけさらったところで、強盗達はフィラレスに目をつけた。
彼女からその頃から評判の容貌だったので、娼婦館にでも売れば高く売れるという事だった。
強盗の一人がフィラレスに手を掛けたところで、フィラレス自身もそして彼女の両親も激しく抗った。
しかし両親は張り倒され、フィラレスは羽交い締めにされた。
いやだ、離ればなれになるのはイヤだ。
フィラレスは泣き叫んだ。
それと同時に、体から光がほとばしり、先ず自分を羽交い締めにいていた強盗が吹き飛んだ。
それを見た他の強盗が、驚愕の後、怒りを露にして、彼女に斬り付けようとしたが、その強盗も彼女の体から伸びた光の帯が腹を貫き、壁まで飛ばされた後に悶絶した。
逃げようとした残る二人も、あっという間にやられた。
そこまではまだよかった。
四つの命を奪ったとしても、十三歳で自我が目覚めているとは言え、まだ幼いフィラレスにはその重要性は理解できず、大好きな両親を殴った悪い人間をやっつけたぐらいにしか思っていなかった。
誉めてもらおうと、父親を振り向いた時、その光の帯が父を襲い、天井に張り付けた。戸惑いながら母を見ると、今度は母に殺到し、その胸を貫いた。二人ともどう見ても即死だった。
たった一人、部屋に残ったフィラレスは腰が抜けたように床に座り込み、そして、悲鳴を上げた。
その悲鳴に呼応して、光の帯達は四方に広がり、両親と幸せに暮らした思い出がある家の壁を突き破って、街を襲いはじめた。
そして、たった一つの一家を襲った小さな災難は、“大いなる魔法”の災厄にも匹敵しようという、一つの街を巻き込んだ大きな災害に取って変わった。
フィラレスは何度も叫んだ。
もう止めて、お願いだからもう止まって、と。
そしてフィラレスは心の中でこう思った。
もし、自分が生まれてきた時に、両親が私を殺していれば、こうはならなかったのに。
大切な人を殺すような事にはならなかったのに、と。
事態の収集までには三日掛かった。話を聞き付けた魔導研究所が対抗策を用意した人材を派遣し、それによって、フィラレスの魔力はやっと収まった。
被害は奇跡的に軽く、あの時、フィラレスと同じ部屋にいた人間以外の死者は出なかった。しかし、建物の大半は倒壊し、けが人も少なくなかった。
生かしておくのはあまりにも危険だ、と町の物達は口々にフィラレスの処分を訴え、フィラレスもそれを受け入れる意志を示したが、研究所側はフィラレスの魔力は今後の魔導研究に大きな貢献を果たすと考え、その処分を見送る方針を決めた。
そしてフィラレスの持つ魔力にはその威力から“滅びの魔力”という名がつけられ、彼女の手首足首、そして首に、研究所がその最新の魔導技術を尽くして作り上げた魔封アクセサリーをつけさせた。
さらに少しでもコントロールを得る為に、と彼女には魔導学校の一人の教師に預けられた。
その教師こそ、マーシア=ミスターシャだった。
その後もフィラレスの魔力は度々事件を起こした。その度に魔導研究所の会議の議題にフィラレスの処分が検討された。
そしてフィラレス自身もその度に自分の存在を恨めしく思い、心に傷を負う。
その度に人々はフィラレスから距離をとっていった。
しかしそうしない者達もいた。マーシア、カルク、カーエスのような者達だ。
彼らは正直、彼女の心の救いであったが、自分の魔力の暴走に巻き込んでしまうのではないかと気に病んでもいた。
ここに来てから彼女を避けない人間がもう一人増えた。リク=エールである。
彼は彼女の心配通りに“滅びの魔力”の暴走に巻き込まれた。
彼は逃げられたのに逃げなかった。
そして自分に本当に人を傷付けたくないと思うなら自分の魔力をコントロールする事を諦めるな、と言った。人がいても魔力を制御できるようになってみせろと、その場に留まり続けてくれた。
結果的に言うと、彼はやはり傷付いてしまったが、マーシアのように義務があるわけでもないのに、自分のためにあそこまでしてくれた者は初めてだった。
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それから彼女は自分を殺せる相手を見付け、今まさに殺されようとしているが、それはあの時のリクの言葉を裏切る事になるのではないだろうか。
しかし、いくら魔力を制御できるようになったからといって、自分は既に多くの人を傷付け、そして完全に自分の魔力の危険性が消えるわけではない。
やはり自分の存在ごとそっくり消えてしまうのが一番いい。
そうなるべきなのだ。
……そうなりたくはなかったが……
……そうなりたくなかった?
フィラレスは今自分で思った事に対して自問した。
そして何となく一人で納得した。
そう、本当は自分だってもっと生きたかった。
自分の魔力の関係ないところで、楽しい出来事もたくさんあった。
数少なくはあったが、自分の事を真剣に考えてくれる人々がいた。
出来れば、あの人達にもう一度だけ会いたい。
特に会ったばかりだが、あれだけ親切にしてくれたあの青年。
暖かい心を反映したような栗色の髪と、何かをまっすぐに見据えた綺麗なエメラルドグリーンの瞳を持つあの青年に。
それはもう手遅れだと言う事は分かっている。
しかし彼女の目頭は熱くなり、ぽろぽろと涙がこぼれてくる。
これが、未練と言うものなのか。