21『逃げずに、最後まで』
危険を避けて、逃げるのは賢明だ。
例えそれが今見ている夢を失う事になっても。
生きていれば、また別の夢が見られる。
ただ、後になってそれを悔いる事は許されない。
いくら悔いても失なわれた夢は戻らない。
胸に手を当てて考えてみるがいい。
その夢を失う事、命を失う事。
どちらがより辛いのか。
夢をとるなら、やるがいい。
逃げずに、最後まで。
もっと早く、もっと遠くへ。
リクは決して立ち止まらなかった。
立ち止まった瞬間に死ぬとさえ思った。
とにかく、とにかく彼は全速力で逃げた。
途中どこをどう通ったかは忘れてしまった。
最後には周りの景色は見えなくなっていた。
目を閉じると無惨に全身から鮮血を噴き出しているシノンの姿が脳裏に掠める。そして、もしジルヴァルトと闘ったら、と思うとそのシノンの姿は自分に置き換わった。
やればかならずそうなる。
それは確信だった。
「おわっ……っ!?」走っている内に何かに足をとられ、頭から砂の上に身体を投げ出された。「……何だ?」
擦った額をさすりながら、眉を潜めて自分の足を引っ掛けたものを確認すようとするが、いつの間にかあたりは暗くなっており、目を凝らしてもそれが何なのか分からない。
そこでリクは、荷物から松明を取り出すと、その先に火をつけた。松明に灯った光はある程度の範囲を明るく照らし出す。
その瞬間、リクは目を丸くした。
「な、何だこりゃ!?」
砂の地面、道の両側に並ぶ建物のところどころに大穴があいており、その大穴の奥で一人ずつ命には別状ないが、しばらくは動けないくらいの怪我を負った男達が呻いていた。どうやら彼らもこの大会の参加者らしい。
その穴は跡、というより痕、と言った方がしっくりくるくらいで、リクは地面に穿たれた穴の一つに足をとられてしまったのだろう。確信は出来ないが、見る限りかなり大掛かりな魔法によって形成されたもののようだ。
「……一体全体どうやったらこんな事になるんだ?」
男達に聞いてみたかったが、彼等は皆気を失っているようだ。
首をかしげていると、リクにふわりとした風が吹いてきた。その風に乗ってきたのだろう、彼の耳に微かな笛の音が聞こえてきた。
(誰だ……?)
笛の音がする方向に小走りで行ってみる。さっきは風にのってやっと偶然聞こえてきた笛の音がだんだんはっきり聞こえるようになり、その先にぼんやり光るものがあるのが見えてきた。
その光源にあたる場所には、ゆらゆらと宙を舞う何本もの光の帯をまとって横笛を吹く少女が立っている。その情景は美しく、リクはそれを見た時、一瞬目を奪われた。
「フィリー……」
リクがうっかり漏らした言葉にその少女、フィラレスが反応したのか、笛の音に乱れが起きた。その瞬間、美しかった光の帯達が突然、リクに向かって猛然と伸びてくる。
「え……?」と、リクは目を丸くした。
だが、その一瞬の間に、光の帯達は先を争うようにこちらに向かい、目前に迫ってきた。
もう一瞬遅ければどうなっていた事か。とにかくリクはそれをかろうじてかわした。
ところがかわしたはずの光の帯達はリクのいた地点の地面を擦ると、空に昇りながら方向を変え、現在いる方に下りてくる。
(ま、本気かよ……!?)
それは明らかにリクに対する攻撃だった。
はじめに自分のいた場所をちらりと見ると、地面が抉れていた。さっき見た闘いの痕と同じだ。あれをまともに喰っていたら、リクはひょっとすると命がなかったかもしれない。
フィラレスとは数回会った程度だが、リクにはこんなに強く、そしてこんなにも容赦の無い闘いをするタイプには思えなかったので、彼は内心信じられない気持ちで一杯だった。
だが、リクを攻撃してきているのは疑い用のない事実で、立ち向かうか逃げるかしなくてはリクがやられる状況だった。
だが立ち向かうにも、この無数の光の帯に追い掛けられている状況では、フィラレスに近付くのもままならない。
(大体この膨大な魔力は何なんだよ!? 明らかにファルよりずっと多いじゃねーか。)
そんな余計な事を考えていたからだろう、彼は四方を光の帯に囲まれてしまった。
「我が足に宿れ《飛躍》の力!」と、唱えると、彼の足がぼんやり光る。そして彼は自分を狙う光の帯達を精一杯引き付けると、唯一開けている空中に跳んだ。
「てめーら同士でぶつかって相殺しちまえっ!」
リクの目論見通り彼の足下で光の帯同士の衝突が起こった。しかし、打ち消されるのかと思いきや、一本に寄り合わさって、跳んだリクに向かって再び追撃を始めた。それを確認したリクは顔を引きつらせた。
「ウ、ウソだろぉ……」
彼は家屋の屋根に降りると猛然と走りはじめた。狙いはただ一つ、本陣のフィラレスだ。
だがいくら屋根の上に逃げても、後ろを追いかけてくる光の帯とは別の光の帯が、横から前からその攻撃の手を伸ばしてくる。
リクは何度も危ない目にあったが、その度に《飛躍》を使って、向こう側の家屋の屋根だの、あるいは地面だのに避難して、フィラレスに向かって突進し続けた。その甲斐あってか、着実に二人の距離は縮まって行く。
ようやく、光の帯の影に隠れていたフィラレスがちらちら見えるところまで近付けた。
しかし近付いたとして、フィラレスが纏っている光は、光の帯の元というだけではなく、かなり分厚い魔力の障壁である事は間違いない。それを破って攻撃するのは至難の技だ。
思案の過程で、ちらりとフィラレスを見ると、不意に彼女を目があった。
その目を見てリクは眉を潜めた。何かが可笑しい。
その目は闘っている者の目ではなかった。そして、彼に訴えている。
一刻も早く逃げてくれ、と。
(……まさか……!?)
リクは突如理解した。
フィラレスが、リクを攻撃したのではない。リクの方に意識が行ったから、それに呼応して光の帯達がリクに殺到したのだ。
個人の持つ魔力には性質と言う要素が含まれる。
それは性格と同じように十人十色であり、魔導士によって得意な魔法、苦手な魔法が出てくるのはその為だ。
フィラレスの場合、一度魔導を行いはじめると魔力は彼女の感情の向かう方向に過敏に反応して動く性質を持つらしい。
あれだけ大きな魔力なのだから、そんな厄介な性質を持っていてもおかしくはない。
彼女はリクがさっき見つけた男達と闘う為にあの魔力を使い、それを鎮めている時にリクに気が行ってしまったのだろう。
問題はフィラレスの魔力であるあの光の帯達は、彼女の意志で操られているのではなく、感情で操られているという事だ。
(さてどうする……?)
リクはなおも光の帯の攻撃を避けながら考えた。
気絶させれば意識と一緒に感情も閉ざされるわけだから、この光の帯達も消えるだろうが、さっきから問題になっている、フィラレスを覆う障壁だ。
あれを破るとなると、無事で済ませるための手加減など出来る余裕はない。
あの魔力の量、威力、自分の戦闘力、考慮の要素を一つずつ増やす度に勝算は激減していく。
(フィリーの言う通りに逃げるしかないか……)
そう結論し、リクは一歩後ずさった。そしてふと、フィラレスの方を見ると、彼女と思わず目が合ってしまった。
その瞳に、リクはどきりとした。
それはとても寂しげな眼差しだった。
彼女はこの獰猛なる魔力で人を傷付けたくないと思う反面、一人取り残されることに心細さも感じているのだ。普段、周りにはマーシアもカーエスもいたのだろうが、彼女は基本的に孤独だったのかもしれない。
そんな瞳をしている彼女をおいていくのは、リクには酷く躊躇われた。
その躊躇いはリクの脳裏に一つの疑問を生む。
(また……逃げるのか、俺は?)
その疑問を皮切りに堰を切ったように、次々と自分への問いがリクの心を満たしていく。
(こんなに逃げてばかりでいいのか? ジルヴァルト相手に逃げ、フィリー相手に逃げる。カーエスに会っても逃げることになるんじゃないのか? なら俺は誰が相手なら逃げずに済む? はっきりと俺より弱い相手か? 俺は格下としか闘えないのか?)
……俺は、そんなことでこの大会に優勝するつもりだったのか……?
その疑問に至って、リクは自分の犯した過ちに気が付いた。それを咎めるがごとく、彼の頭にファルガールの言葉が響く。
相手がどんな奴だろうとな、逃げずに立ち向かえば絶対に勝てる。
いいな、夢を失いたくなきゃ、絶対に負けるなよ。
(俺は……夢を失うところだった……。いや、もう失っちまったのかもな、アイツから逃げちまったし……。
今から立ち向かっても間に合うか……? いや、間に合わないにしても、ここで諦める道理は無いっ!)
できるだけやってみよう。
逃げずに、最後まで。
リクは正面を見据えた。そこには既に光の帯が彼に向かって猛スピードで一直線に伸びていた。
それをギリギリまで引き付けると、絶妙のタイミングを持って呪文を詠唱する。
「我が足に宿れ《飛躍》の力!」
その魔法の効力でリクは空高く飛び上がり、屋根の上に降り立つと、屋根に手をかざした。「《身代》よ、我が形となり、影となれ!」
すると、屋根のレンガが砂となり、リクにそっくりな人形を形作った。
さらにリクは屋根に向かって拳を振り上げると、「我が右手は《鋼鉄の拳》!」と、唱え、自らの拳を鉄に変えて屋根を思いきり殴りつけた。
屋根には穴が開き、リクはそのままその建物の二階部分に着地すると、上を見た。
「どうだ!?」
すぐ後に、その屋根は崩壊した。勢いあまって《身代》で作ったリクの人形に突っ込んだ光の帯もあったらしいが、入ってきた角度から見て、光の帯は人形には目もくれずにリクを目指してきた。
《身代》で作った偽者で騙せるかもしれないと考えてやってみたが、どうもごまかしは聞かないらしい。
作戦の失敗にリクは舌打ちをすると、倒壊して自分に向かって落ちてくる屋根と光の帯を避ける為に再び《飛躍》を使って窓から外に飛び出した。
しかし、攻撃を避け続けるのも限界がきたらしい。
窓から通りに出たリクを光の帯達が四方から取り囲み、すでに退路は断たれて無くなっていた。




