16『闘いの幕開け』
昔、奇襲を掛けようと計画した一人の武将がいた。
こちらは多勢に無勢、相手はこちらの戦力をみて油断しているはずだからと。
その夜計画は実行に移された。
しかし結局それは遂げられぬままに終わった。
奇襲に人員を割き、手薄になった陣を攻め込まれた。
その武将は後に語る。
相手の油断を悟った時、一番の油断が生まれるのだと。
一人の男が斧を手に持ち、立っていた。彼の目の前には寝心地のよさそうなベッドがあり、何故か寝袋に身を包んで一人の青年が時々小さくうなされながら寝息を立てている。
栗色の髪を持つその青年の寝顔は、まだ少しあどけなさが残っていた。
(悪く思うなよ……)と、男は心の中で言った。
しかし、すぐに首を振って考え直す。
(いや、昨夜日付けが変わった瞬間から大会は始まってるんだ。呑気に寝ているこいつが悪いんだ!)
そして男は、青年の首を狙い、斧を振りかぶる。
(死ねっ……!)
斧を振り下ろしはじめた瞬間、そのエメラルドグリーンの瞳がカッと見開く。
それと同時に、反射的に身体を起こし、間一髪のところで、斬撃を躱した。
次の瞬間、ガキン、と金属音が鳴り、二重の悲鳴が上がった。
「「うわぁっ!」」
青年は寝汗にまみれた顔で急いで息をし、男は見かけだけのレンガ製のベッドに斧を打ち付けた衝撃に手を痺れさせている。
(くそ、またか……)
青年、リクは心の中で悪態をつき、汗でべたべたになった服を身体から剥がしながら、寝ぼけ眼でベッドから降りた。
「ぐふっ……」
どうも床の感触が柔らかい。そればかりか、妙な鳴き声まで出す始末だ。
(……?)
疑問符を浮かべながら足元を見ると、リクの足に腹部と頚部を踏み付けられ、泡を吹いて失神しかけている男がいた。
(……誰だこいつ?)
取り敢えずその男から降りて考える。男を観察して行く内に、不自然な方向に折れ曲がっている左手首についている腕輪に気がついた。
三秒、考え、リクは状況を理解した。
その時、失神しかけていた男が目を開き、自分を覗き込んでいるリクに気がつく。
すぐさまその男は立ち上がり、なんとか無事だった右手でリクを指差した。
「汚いぞ貴様! そのような固いベッドに寝ているとは! しかし! 寝ぼけて予測不能な動きをしていたが為にこのような不覚もとったが目覚めてしまえばこちらのもの!
行くぞ、負いし傷に《治癒》のほどこ……」
「やかましい」と、男が自分の左手首を治す為に《治癒》の魔法を詠唱している最中に、リクがその左手首に蹴りを入れた。
「……ぐああ!」
たまらず男は悶絶する。
男は左手首を抑え、なんとか声を絞り出して言った。
「き、汚いぞ貴様ァ……」
「人の寝首掻こーとした奴の台詞かぁっ!」と、リクは突っ込みも兼ねた見事なアッパーカットを決める。
完全に気を失った男を目の前にし、リクはどうしたものかと考えた。
そして荷物の中から大会規約書を取り出して開く。それを一読すると、男の手首から腕輪をもぎ取る。すると腕輪はみるみる形を崩し、最後には砂になってしまった。
こうしてリク=エールはあまり記念したくない、大会初の勝利をおさめたのだった。
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階下に降りて食堂に入ると、オウナがテーブルに布を掛けていた。
「おはようさん、寝覚めはどうかね?」
「良いとは言えねーよ。それよか何だ、あの斧持った奴は?」と、リクが寝首を掻かれかけた一件を話す。
「あたしは通した訳じゃないよ。大方どっかの窓から忍び込んだんだろ。この町の窓は四角い穴が開いてるだけだからねぇ。今朝食を持ってくるから」
こうしてオキナに差し出された朝食は随分とボリュームがある。
リクが不思議そうな顔をオウナに向けると、オウナは答えた。
「昨日あんたが食べなかった夕食だよ。これから大会でたくさん食べなきゃならないんだからちょうど良いと思ってね」
「そっか、いただきます」
昨日、酒場で頼んで食べた軽食きり食べてなかったリクは、その朝食はぺろりと平らげ、食器を台所に戻すと、外に出る準備をしようと部屋に戻ろうとした。
すると、オウナが呼び止めた。
「お待ち」
「何?」
オウナは黙って何やらたくさん物が入った袋を突き出した。
「何だ? これ」と、リクが袋の中身を覗いて見ると相当な量の食料が入っていた。
「いいかい? 参加者は大会中、どの店もどの宿も利用出来ない事になってるんだ。だからあんたはどっかで負けない限り決勝戦まで外で野宿する事になる。そのつもりで準備してお行き」
「店と宿が使えない? 何で?」
リクの質問にオウナは首を横に振る。
「あたしは知らないよ。それより、外でウチの爺さん見つけたら帰ってくるように言ってくれないかい?」
「オキナ? 昨日帰ってねーのか?」
オウナは頷いた。
ファルガールも昨日から帰っていない。
(つまり二人は一緒に行動しているという事か)
一昨日からの話の筋からすると、そう考えるのが普通だ。と、なるとリクがオキナを見つけられる可能性は低い。
一緒に行動しているファルガールがここに来てから何故か自分から離れて行動したがっている素振りを見せているからだ。
あっちから帰ってこない限り、運命の手助けでもなければ見つけられないだろう。
「……もし見つけたら言っとくよ」
「頼んだよ」
リクは礼をいうと、部屋に戻って荷物をまとめた。
野宿すると言っても、全て持って行く訳には行かないから、ギリギリまで荷物を小さくし、山登りなどの時に使う、リュックサックのように背負える小さな鞄に入れる。
そして何を思ったのかいきなり窓から飛び出した。
リクの身のこなしはなかなか見事なもので、二階の高さから飛び下りてもほとんど音を立てずに着地出来た。
立ち上がった彼が睨むのは玄関先だ。そこには四人の男達が待ち伏せていた。
男達はリクに気付くと驚愕し、目を見開いた。
「なっ!?」
「出迎え御苦労」
リクは低い声で一言言うと、四人の中に突っ込んだ。
当然男達も応戦したが、実力の差は目に見えて明らかだった。
何しろ自分を取り囲む数人の複雑な攻撃を全て紙一重でかわし、その勢いを攻撃に持って行く。その反動を次の相手の攻撃を避けるのに使い、またその勢いを攻撃用に転換する。
それは流れだった。一切の淀みのない、全てを読み切った流れ。
この時点で既にリクの勝利は決まっていた。