20『故郷を背に』
戦いを求めるのは、何のために。
大切な何かをまもるためか、
それとも、ただ自分の居場所をつくるためか。
戦う人がいるのは、誰のために。
戦えない大切な誰かなのか、
それとも、同じく戦いを求める者達のためか。
平和は戦いに背を向ける。
戦いは平和に刃を向ける。
世に争いが無くならないのは、
きっと、
平和と戦いの仲が悪いから。
「そっちも終わったか」
“砂影”でも最強の一角であったニードを下したコーダのもとに、図ったかのようなタイミングで現れたのはリクだった。肩には目の前の暗殺者と同じく砂色の衣をまとった女――シアヤが担がれている。
「ひょっとして見てやした?」
「途中からな」
音の魔法で、追い詰められていたころ、リクはコーダとニードが戦う場所を見つけ出した。ニードの《ジェングスタフ》の羽音はとても遠くまで響いていたのでここを見つけ出すのに苦労はなかった。
「ちょっと打つ手がなさそうだったから、ギリギリまで待ってから助けようと思ってたんだが、その必要はなかったみてぇだな」
「いえ、一歩間違っていたら間違いなくやられてたのはこっちスから、いい保険になったスよ」
コーダはどのみちリクが負けるとは考えていなかった。それでなくとも、カーエスやジェシカなど、自分より戦闘に慣れた魔導士がこの町にはいる。だから自分が負けてもニードを止める力を持つ者がいることはよくわかっていた。
しかし、今も続く暗殺者一族“砂影”からの逃亡のなかで、かつての相棒であったニードとは最後まで戦い、決着をつけなければならないと思っていた。たとえ、自分が殺されることになっても。
“一族”の中では一番近しい人間だっただけに、かの暗殺者一族と、袂を完全に分かつためには“砂影”であるかつて自分が慕っていたニードを自らの手で倒すことは必要な儀式のようなものだったのだ。
ただ、自分が負けることで、周囲に迷惑がかかるのは避けたかったので、リクたちの存在はありがたく、コーダはニードとの戦いに余計な重圧は感じずに済んだ。
「シアヤまでやられましたか……。どうやら私たちはあなた達を見くびっていたようですね」
もはや抵抗を見せようともせず、神妙な様子でニードは苦笑して言った。
「認めましょう。私たちの負けです。しかし、私はこれまで話した以上の情報をあなた方に与えることはありません。だから――あなたなら分かるでしょう、コーダ?」
あえてそういう世界に縁の深いコーダに問いかけたニードだったが、リクにも彼の意図していることはわかっているだろう。
つまり、ニードは自分を殺せと言っているのだ。
諜報員でもある“砂影”の暗殺者たちは万が一失敗して、敵に捕らわれたとき、間違っても敵に自分たちの情報が知れることのないように、幾重もの防護策が施されている。
たとえば《読み取り》でニードの記憶を読み取ろうとしても、その瞬間、ニードは内部から自爆してあわよくば敵を巻き添えにして果てるだろう。吐かせるために自白剤でも飲ませても同じことだ。
そんなものに頼らず、ニードを説得し、仲間に引き込んで情報を語らせようとしても同じことだ。どんな手段であれ、ある条件に合った情報がニードから引き出されると、それは感知され、ニードは自爆することになる。
そして、情報源としての価値がなくなった暗殺者は、放置しておけば脱出して報復に出かねないので、とどめを刺しておくほかない。
しかし、
「言ったはずスよ、ニード。俺は“殺すために戦うんじゃないス”」
コーダは微塵も躊躇せずにそう答えた。
「いいのですか? 私は必ずあなたに報復をしますよ? 狙うのはあなた自身じゃない。あなたの周りの方々です」
「させやせん。今からあなたたちから“殺すための力”を引きはがしやス」
そう言って、コーダはもはや抵抗のないニードの腕をつかみ上げると砂色の衣を一気に引き上げた。その下からは、自分の背中にもよく似た、蜂を模した刺青が表れる。
それは“烙印魔法”の刺青だ。ニードの“暗獣”《ジェングスタフ》を呼ぶための。
「汝に刻まれし業よ、痛みと共に消え去れ。汝を縛る《烙印との別れ》によりて」
詠唱し終わって、光を帯びた手を構え、コーダはニードに言った。
「かなり痛いんで、舌を噛まないように気をつけやんせ」
そう言って、コーダはその手をニードの刺青に押し当てた。
「うっ……あっ……!」
ニードはまるで真っ赤に焼けた鉄でも押し当てられたように、苦しげに身をよじるが、それでもその手の拷問の訓練も怠らない“砂影”、悲鳴はできるだけ押し殺し、動きも最低限に抑えている。
コーダはニードの刺青の上をゆっくりと手を滑らせていく。その手が通ったあとにはもう入れ墨はない、“砂影”特有の褐色の肌の背中が残るだけだ。
昔はあれだけ頼もしく見え、そして先ほどまでは自分を苦しめていた、蜂の“暗獣”はもう呼び出されることはない。
今、この瞬間、“砂影”の暗殺者・ニードは死んだのだ。
同じ処置をシアヤにも施した。
実はリクがシアヤをここに担いでまで連れてきたのは、このためだった。彼ら二人の襲撃が始まって、迎撃に出る時、“砂影”と戦い“暗獣”を倒して負かした場合、ほうっておくとその“砂影”は死んでしまうことを教えていたのだ。そして、自分ならそれを助けることができることも。
あとは“暗獣”召喚以外の魔法も使えないように、魔力封じの手錠をかけ、縛り上げる。もちろん、ただの縛り方では関節を外す、縄を切るための刃物などを隠し持つなどの可能性もあるが、そこは元“砂影”のコーダ、特殊な結び方で“砂影”であってもほどけないように縛っている。
「これから、アンタ達を保安局に引き渡しやス。おそらく、戦う力を奪われて監獄に送られることになるでやしょう」
ウォンリルグを除く世界では、死刑制度は撤廃されている。その代わりに、身体能力などを奪われ、人を傷つけることができない、一種の呪いをかけられる。
「戦いの世にこそ人は輝く、とアンタは言いやしたね、ニード。これから始まる戦争の中で一度見てみるといいス。迫る戦争を前に、戦う力のない人たちの表情がどれだけ曇るのかをね」
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その頃、避難所として使っていた集会所の正面では、扉の前に陣取り《家を砦に》を維持するカーエスと、それを守るジェシカ、そして先ほどニコラスを連れて戻ったフィラレスがいた。
「……どうにもこの待ちの状況は気に食わへんなー」
集会所の扉に背を持たれてカーエスは苛立ちを隠そうとせずに言った。組んだ腕の先では指がトントンと二の腕をたたいている。
「苛立ちをいちいち口に出すな、馬鹿。こっちの気持ちまで焦れてくるだろうが」
「焦れてくるったって、お前も倒す敵がおらへんようになってから、さっきからうろうろ落ちつかへんやん。そんなん見せられるほうが焦れるわい」
もう、周囲に蜂や蜘蛛は見当たらない。リクとコーダがそれぞれ“砂影”を撃退、もっと正確に言うならば《ランチェーレ》と《ジェングスタフ》が召喚された時点で消滅している。
本来ならこの時点で、集会所に避難している住民たちを解放してもよかったのだが、やはり、リク達の口からこの事件の終結を確認しなければどうにも安心できない。
それで、今はただ、することもなくリク達を待っているという状況になっている。
「うるさい。私はまだ敵が残っていないか、歩き回って確かめていたんだ。事情も知らないで揚げ足をとるな、バカーエス」
「バ、バカーエス……!?」
奇妙な呼び名にカーエスが顔色を変える。
「馬鹿とカーエスを足したんだ」
「説明せんでも分かるわっ! 何でそんな古傷をえぐられるような呼び方されなあかんねん!」
どうやら、こう呼ばれるのは初めてではないらしい。
「お前が馬鹿だからじゃないのか。というかやっぱり昔はこう呼ばれてたんだな」
「……やっぱりってなんやねん」
「ああ、お前は反応がいいから、きっと子供のころもこんな感じで遊ばれていたんじゃないかと思った」
「ううううう」
あっさりとそう答えられて、カーエスは怒りも忘れて悲しそうにうずくまる。そんなカーエスの背中をフィラレスが、さすって慰めてやっている。
「うううう、俺の味方はフィリーだけやなぁ」
「いや、喋れんだけで、きっとフィリーも同じ気持ちのはずだ」
ジェシカの言葉に、カーエスがはじけるように振り返った。
「そうなんか、フィリー!?」
「…………」
「何で目ェそらすのん!?」
「……お前ら元気だなァ」
その声に全員が振り向く。
そこには、それぞれ砂色の衣をまとった人物を背負ったリクとコーダが歩いてきていたた。
「リク!」「リク様!」
「「……と、コーダ」」
「……うわあ、何か俺、すごく付け足しっぽいスね」
コーダは苦笑して、カーエスたちの前に背負っていたニードを下ろす。転がされた“砂影”の暗殺者は、敗北による憔悴と、万が一の抵抗の予防に、とコーダがかけた眠りの魔法で死んだように眠っている。リクが背負っていたシアヤも同様だ。
「コイツらが例の“砂影”なん? ホンマにコーダと同じ肌の色してんねんなぁ」
実のところ、カーエスだけは今の今まで“砂影”と相対したことがない。フォートアリントンに向かう魔導列車を襲撃された際、ジェシカとシアヤが闘った際、ニアミスはしたが、まともに顔を合わせることすらできていなかった。
フィラレスも、今回、リクを助けるためにシアヤの前に姿を現したが、それまではカーエスと同じく“砂影”と接触していない。
シアヤと直接闘ったことのあるジェシカにしても、ニードとは会ったことがない。結局のところ、魔導列車の襲撃から、この二人の“砂影”と深くかかわっていたのは実のところコーダとリクだけなのである。
「この女は確かにあの時の女……ですね」
シアヤの顔を確認して、ジェシカはコーダに尋ねた。
「この二人以外に潜んでいるということは考えられないか?」
「ありえやスが、襲撃はこれまでスよ」
本当にこの二人の他に誰かがかかわってるとすれば、多数の蟲を操って街を襲う者と、リクやコーダ、フィラレスなど目的の人物を確保する者は別々のほうが良かったはずだ。それをせずに両方の役を自分たちで引き受けていたということは、彼ら二人以外に作戦に加わる者がいなかったと考えられるのである。
もし、三人目がいたとしてもそれは、作戦に参加するためではない、事の一部始終を一族に報告するための見届け役だ。それならば確実に情報を持ち帰るために、余計なことは一切せず、とっくにこの場を去っているだろう。
「なら、もうニコラスはんやドニーはん達には外に出てきてもろてええんやな」
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ずっとカーエスが維持していた《家を砦に》は解除され、集会所に避難していた街の住人と行商市のために訪れていた行商人たちが外に出てきた。
彼らは、まず街の惨状にうめき声をもらした。コーダが事前に防衛策を練っておいたことで、死傷者はゼロだったが、建物の損害はかなりのものだ。所々が食い破られ、悪ければ全焼してしまっている建物も集会所からだけでも何戸か見受けられた。
それから、住民たちはリク達に説明を求めたが、「それよりも先に」と、まだ止まっていない火を消すことや、自分の家や荷物の安全を確保することなどの提案をのみ、散り散りにその場を去って行った。
一人だけ、外に出てから全く動かない人物がいた。
「ドニーおじさん……」
リクが話しかけると、ドニーは彼に向きなおった。動揺していると予想していたが、リクを見据えるその眼は驚くほど感情を映していない。それを意味するところは――
「……まず、息子を救ってくれたことに、それから、みんなを守ってくれたことには礼を言う」
「いや、そもそも巻き込んだのは俺達のほうだ」
そう言ってリクは、フォートアリントンからの“砂影の一族”との関わりから、今夜の結末に至るまでの話をする。要は自分たちがここにやってきたことが、結果的にこの襲撃の原因になってしまった、という話もした。
「だから、その……」
「もういい」
謝って済む話ではないが、と続けようとしたリクを、ドニーは制する。その次にドニーが放った言葉はリクの胸に突き刺さった。
「どれだけ誠実さを見せられても、街は元に戻らない」
「父さんっ」
ドニーと一緒にいたニコラスが諌めるように口をはさむ。
「そんな言い方しなくてもいいじゃないか。少なくとも、これはリクやカーエス君が望んで招いた事態じゃない」
「そんなことはどうでもいい」
責任の所在がどこにあろうと、この街が壊れたという事実は覆らない。むしろ、リク達に悪意があったほうがハッキリ責められる対象があるだけ気分は少しは晴れはしただろう。
物理的な話だけではない。
ここにくれば儲かる。ここなら安心して商売ができる。
そんな市場にあるべき信頼を、今回の事件は損なってしまったかもしれない。襲撃の前までは仲良く酒を酌み交わしてはいたものの、商人はまず、儲かる儲からないで動かなければ話にならない。感情で物事を判断するのは金銭的な保証が成り立ってからのことだ。
こうした襲撃が起こり、大事な商品が損なわれる可能性があるとなると、足も遠のく。
きっと商売仲間たちは、慰め、励ましの言葉はかけてくれるだろう。だが、ここを去った後、次の行商市に姿を現すかどうかはわからない。逆の立場であれば自分だってそうする、とドニーは言う。
「八年だ。ここまで形にするのに八年かかった」
はじめから何もかもうまくいったわけではない。商売仲間たちは一つの街を商業で復興させた男として一目置かれるようになったが、それはここ最近のことだ。それまでは、誇大妄想を本気にしてみっともなくかけずり回っている馬鹿としかとられていなかったのである。
ようやく初めて開いた行商市も、ほとんど身内と呼べるような少数の近しい者たちしか集まらず、ほとんど商売にならなかったものだ。
それでも少しずつ改善しつつ、続けた結果、今のような賑やかさをもつ行商市が育ったのである。
「それが、たった一刻でだ! たった二人に、たった一刻で、八年かけて積み上げてきたものが壊されたん
だ! これだから“魔導士”ってやつはっ!」
一般人にとって魔導士の力は脅威だ。自分たちなら危険を冒し、時間をかけてやっとできるものを、さっとやってのけてしまう。
そして、彼らの使う魔法の威力の大きさだ。魔法を使えない手練の戦士百人と、上級魔導士一人では後者のほうが強いのだ。
彼らが壊そうと思えば、一般人がどれだけの想いをもって護ろうとしても、向かい風ほどの抵抗も感じずに壊せてしまえる。魔導士とは、つまり、それだけ圧倒的な存在なのだ。
一般人の中には魔法と魔導士を毛嫌いする人間も珍しくない。ドニーがそうであったとは言えないが、今回の一件でドニーの魔導士に向ける目が厳しくなったことは確かなようだ。
「ドニーおじさん……」
リクが、どう反応していいか分からず、彼の名を呼ぶと、ドニーは自分の悪態に気づき、気まずそうにリクから視線をそらし、そのまま背を向けてしまった。
「……損害を弁償してくれとは言わん。ただ、なるべく早くこの街から出て行ってくれ」
「父さんッ! どうしてそんなことが言えるんだ!? リクはエールの生き残りなのに」
「ワシはこの街を守らなきゃならん。何よりもそれを優先しなければならん。例え、親だろうが、街に甚大な損害を与えかねないと判断すれば、同じことを言う」
リクは、ニコラスの言葉に対するドニーの反論は正しいだと思った。最も護らなければならないもののためならば、二番目に大切なものをも切り捨てる。
ニコラスも、その父親の苦労と、この街にかける想いを知っているだけに、これ以上の反論ができない。
「……わかった。今から荷物をまとめて街を出るよ」
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召喚しなおして、受けた傷も回復した《シッカーリド》に荷物と“砂影”達を載せ、リク達はイユエールの西側の入り口にやってきていた。
彼らが旅立ちの準備をする間に、街のほうは大分落ち着きを取り戻しているようだった。もう火事は消し止められているようであるし、家を焼け出された者たちのために、あちこちでたき火をおこし、炊き出しが始まっている。
ただ、リク達に積極的に声をかけようとする者はいない。カーエス達と顔見知りになったばかりの行商人たちでさえ、気まずそうに目をそらすばかりだ。
「………久しぶりやな。こういうの」
基本的に一般人が魔導士に対してとる態度は二種類だ。頼るか、疎むか、羨むか。
特に魔法に頼らなくても難儀していない人間、あるいは以前に魔法絡みで嫌な経験のある者たちは、この街の住人たちのように二番目の態度になる。
カーエスやジェシカは、何度か盗賊、もしくはクリーチャー退治のための遠征でこうした空気を感じたことがある。
ファトルエルを出てからは、エンペルファータやフォートアリントンなど、比較的魔導士に対する理解が深い、というより魔法への依存度が高い都市を通ってきたので、あまり“魔導士に対する隔意”を感じた事はなかったが、今このイユエールで感じるこの空気は、決して初めてのものではないし、珍しいものではない。
「リク様……、本当にあのままでよかったのですか?」
「良いも悪ぃも、俺達のせいでこの町に迷惑かけちまったのは事実だろ」
そう答えるリクは別段何でもないようにそう答えた。しかし、そんなリクの顔を、フィラレスは心配そうに覗き込んでくる。
そういえばフィラレスも、五年前に“滅びの魔力”を暴発させたことで故郷を追放されたと聞いている。故郷に拒まれた者の気持ちは他人ごとではないのだろう。
気遣いの色を見せるフィラレスと目が合い、リクは顔を綻ばせた。
「……フィリーには敵わねぇなぁ。確かに悲しくねぇと言えば嘘になるけど、ちょっと時間おけばまた元気になれるさ」
そう言って、リクはフィラレスの頭を撫でる。どうもこの娘には自分の心の弱いところを見られっぱなしだ。
「ここから西に二日も行けばバッカーベリに着きやス。かなり大きな街で保安局の体制もしっかりしてやスから、そこでこの二人を引き渡しやしょう」
イユエールの西門にたどり着くと、コーダは当面の予定をリクに確認する。
「近くに大きな街があるのか、そりゃラッキーだなぁ。どうも小さい街の保安局だと“砂影”なんて大物引き渡せねぇもんな。うし、それで行こう」
リクがそれを了承すると、コーダが御者席に上り、手綱を握って《シッカーリド》を前進させようとしたその時、
「待って! 頼むから待って!」
聞き覚えのある声に、リクが運搬サソリの客室から顔を覗かせる。そこには思い浮かんだとおりの人物がいた。
「ニコ……」
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「さっきはごめん、父さんを説得できなくて」
コーダに《シッカーリド》を止めてもらい、外に出たリクに、ニコラスは頭を下げた。
「いや、いいよ。ドニーおじさんは間違ってない。俺でもそうしたさ」
何事にも優先順位というものがある。たとえば、あの時ドニーが償いとしてリクに下働きとして一生働けと言われても、リクはドニーへの償いよりも、夢をかなえるために前進するほうを選んだだろう。
イユエールはドニーの夢だ。何事にも優先されなければならない。
ドニーと二人きりでこの十年を生きてきたニコラスも、彼がどれだけイユエールを大切に思っているかをリク以上に分かっているからあの場では二の句が継げなかった。
しかし、ニコラスはそうは思わなかったようだ。
「この村の生き残りは僕ら三人しかいないんだよ?」
リクにしてみれば十年経ってやっと見つけた故郷だ。
“砂影”のような、伝説的な暗殺組織から狙われるような危険な旅を続けているのだ。故郷の存在はどれだけ心休まる存在だろう。
今回の襲撃にしたって、ドニー達はなんでもない、当然のことと考えているかもしれない。しかし闘いを目の当たりにしたニコラスは、この街を守るためにリクが文字通り命がけであったことを知っている。
それなのに、
「ここで僕たちが追い出したら、リクは、今度こそ一人ぼっちじゃないか!」
ニコラスには想像がつかない。最悪でも父親が一緒だった。
しかしリクはこの十年、一人で生きてきたのだ。大災厄で全員亡くしたのならば、まだあきらめがつくのかもしれない。だが、こんな改まった形で拒絶されなくてもいいはずだ。
「大丈夫だよ、俺は」
数瞬の沈黙の後、リクは答えて言った。
今までだって故郷がなくとも、進んでこれた。元々なくなっていると思っていたのだから、元の状態に戻るだけだ。
「寂しくないか? せっかく帰るところを見つけられたのに、それを失うなんて怖くないか?」
「今は旅をしている途中だ。帰るところなんて考える必要もない」
突き放すように言い、リクはニコラスに笑って見せた。
「それに、俺は独りってわけじゃないしな」
その根拠を示すように、リクは背後の《シッカーリド》に目をやる。まだ出会っていくらもたっていないが、決して浅い付き合いではない仲間たち。
寂しい心を賑やかし、悲しい心を癒してくれる、仲間たちがいる。
「じゃあな。俺はもうここには来られねぇけど、ドニーおじさんを大事にしろよ」
そこまで言ってリクはニコラスに背を向けた。
だが、ニコラスは納得しなかった。背を向けたリクの肩をつかむと、半ば無理やり自分のほうに向かせる。
「旅をしている間はいいけど、それが終わったらどうする? 仲間がいる間はいいけど、ずっと一緒にいるわけじゃない。本当に一人ぼっちになってしまったらどうする?」
最後の最後の拠り所。そこに帰れば必ず自分を迎える人がいる。自分が居られる場所がある。それが故郷だ。
「父さんたちが反対しても、僕が説得する。街が壊れても、また作り直す。そうだ、今度は頑丈な街にしよう! あんな蜂や蜘蛛では攻めようがないくらい、大災厄がきても平気なくらいの丈夫な街だ! それなら、みんなも安心して商売ができる! そんな街になればきっと父さんも納得してくれるはずさ! 僕はイユエールをそんな街にしてみせる! だから――」
ニコラスは、力強い笑顔と共に、リクの手を取って言った。
「――いつでもいい。絶対に帰ってくるんだ、リク」
捲くし立てるようなニコラスの語り口に、リクはしばらく目を丸くしていたが、やがて信頼たっぷりの笑みを返す。
「……ありがとう、ニコ。“イユエール”は俺の故郷だ。帰ってくるよ。全部終わったら、きっと帰ってくる」
そう言って、握手を交わすと、リクは《シッカーリド》の客室に上る簡易はしごに足をかけて体を浮かせ、コーダに出発するように言った。
そして客室からまだ半分身を乗り出したまま、リクは離れていくニコラスに手を振った。
「じゃあ、行ってくる!」
御者席で《シッカーリド》の手綱を握り、満点の夜空を見上げながらコーダはリクとニコラスの話を聞いていた。
その会話に使われた言葉のなんと力強いことか。
先ほど、戦う直前にニードは、戦時に生きる人々は輝かしいと言っていた。だが、リクは、そしてニコラスは、平時の今に生きながらこんなに眩く輝いている。
ニードが戦う者の中にしか輝きを見いだせなかったのは、戦いの中にしか自分が輝ける可能性を見られていなかったからだ。
今回のことで、ニードは戦う力を失った。これからは戦い以外のところに自分の輝きを追い求めていかなければならない。
そうすればニードは気づけるかもしれない。
戦がなくても、この夜空の星のように、世界を飾り立てるように輝く人たちがいることを。
アルファポリス主催のファンタジー小説大賞に対する更新は今回で終了です。応援ありがとうございました!
次のストルヘイズ編はマジで執筆が終わっていないので、こういう機会でも公開はできない状況です。気長にお待ちくだされば幸いと存じます。