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魔法使い達の夢  作者: 想 詩拓
第三部:聖地への旅路
108/114

14『大災厄から甦った街』

 もう戻らないと思っていた。

 もう滅んでしまったと思っていた。


 だから過去として振り返らずにいられたのに。

 だから未来だけを見て歩んで来られたのに。


 夢に見た過去と重なる景色に心が動かない訳じゃない。

 むしろ素直に懐かしさに身を任せたい。

 そして思いきり喜びを噛み締めたい。


 それができないのは何故だろう。

 心から溢れだす喜びに混ざる、暗い感情。

 それは喜びと同じくらいに強く、嬉しさと共に心に渦巻く。


 この感情は、なんだろう。




 今でこそ、夜が明ける前に起きることもできるようになったが、子供の頃のリクは早起きが苦手だった。少なくとも自分で起きられた記憶はない。そんなリクを毎朝起こすのは母の役割だった。


 ぱたぱたぱた、と大股で歩く父とは対照的な足音が近付いてくる。

 ドアが開かれて、その足音は一段階大きくなり、心地よくリクの耳朶を打つ。


 次に、窓が開けられ、太陽の暖かな光が部屋に満ちた。


 ――ん~、いい天気ね。


 彼女は光の差し込む窓に向かって伸びをしている姿がとても似合っていた。


 両親が喧嘩した次の朝も、リクがひどく叱られた次の朝も、同じように起こしに来てくれた。だから、イヤなことを翌日に持ち越すことは全くなかった。どんなにイヤなことがあっても、次の朝には同じ母の姿が見られたから。

 実は、そうして起こされるのが楽しみで、いつも目を覚ましていたのに布団から出ずに母を待っていたのだった。


 ――さあ起きなさい、リク。これ以上寝ていると、折角の一日が短くなるわよ。


 ゆさゆさ、と優しく揺すられながら声を掛けられて、リクは初めて目を開けるのだ。





「……おはよー、母さん。でもまだ眠いよ。一緒にもうちょっと寝ようよー」


 そう言って目を開け、朝日が入る窓に目をやる。そこで目が合ったのは――もちろん母ではない。


「フィ……リー?」


 そこで窓を開けていたのはフィラレスだった。リクの目と合ったまま顔を赤くして固まってしまっている。

 それは何故か、を考えたリクは、さほど時間を掛けずに自分が寝起きざまに言った一言を思い出し、一気に身体を起こした。


「うああああ」


 呻きとも嘆きともつかない声を上げ、リクは顔を見事に紅潮させる。

 あまりの恥ずかしさに一気に目が覚めた。


 フィラレスと母親を間違えた。しかも思いきり甘えたことを言ってしまった。


 いや、フィラレスであったことを幸運に思うべきだろう。彼女の場合、口止めをするまでもなくこれを他言することはない。これがカーエスだったらしばらくこのネタでからかわれ続けるだろうし、コーダの場合恥は欠かさなくとも、ヘタをしたら全国の便利屋ギルドにこの情報が流れかねない。

 リクは考え直して、気を取り戻すと、未だ固まったままのフィラレスの肩に手をおいて言った。


「……できればこのことは忘れてくれ」


 フィラレスは、やっと正気に返ったようにぱちぱちとまばたきをすると、リクへの返事としてこくりと頷いた。




「お、やっと起きてきよったで」


 宿の階下にある食堂で彼を迎えたのは、カーエス、ジェシカ、コーダの三人だった。どうやら朝食になってもリクが起きてこないので、フィラレスを迎えにやらせたらしい。テーブルにはもう朝食の準備ができていた。旅の野宿では中々味わえない卵料理が美味しそうだ。


「おはようございます、リク様」

「珍しいスね、兄さんがこんな時間になっても起きて来ないなんて」


 リクは、普段かなり早起きな方で早朝のトレーニングを欠かさないように、朝は夜明けとほぼ同時か、それより前に起きるのが常だった。一行の中でも一番先に起きる確率が高い人間なのである。


「くっそー……不覚だ」


 自分でもこの寝過ごしの原因が分からず、寝坊して特に支障がある訳ではないのだが、何だか悔しい。リクは顔をしかめながら、自分の席につき、全員揃ったところで朝食が始まった。


「今日はすぐ出発するのか?」


 と、リクはコーダに本日の予定を尋ねた。便宜上、この一行の代表者は行き先を決めているリクということになってはいるが、旅のペースや物資の調達の予定は便利屋であり、情報に通じているコーダに一任している。


「いえ、今日は“行商市”の日なので、いろいろ調達していきやしょう」

「“行商市”?」


 耳なれない言葉に反応したのはカーエスだ。


「このイユエールは前にも言ったとおり、一度大災厄によって滅ぼされてやス。それを生き残って甦らせたのは行商人の男だったんス」


 イユエールを甦らせるにあたって、その行商人の男は物資の調達のためにいろいろな行商人に協力を呼び掛けた。それが効を奏したのか、イユエールは自然とティオ街道を東西に行き来する者と、ここから南の方面へと行き来する者が交流し、品物のやり取りが盛んに行われる地点となった。

 七日に一回、エンペルリースの各地方の品々を商人達が持ち寄って開かれる行商市はこの街の名物となり、この市が開かれる日は近隣の街からの訪問者も多い。


「その市の事を“イユエール行商市”って呼ぶんス。これのお陰でイユエールは大災厄の前より活気づいたくらいスよ。いろいろ珍しい品物が並ぶみたいス」

「またどっかの誰かが恥ずかしい真似を晒しそうなネタだな」


 やや、うんざりするような調子でジェシカが言う。


「何が恥ずかしいねん!」

「ほう、自覚はあるらしいな。貴様の事だとは言ってなかったのだが」


 それぞれ向い合せに座っていたジェシカとカーエスの非友好的な視線が交差する。だが確かに、鬼のようにしつこく値切るカーエスは、時々他人のフリをしたくなる。


「まあまあ。何にしろ面白そうな話じゃねぇか。こういうのも旅の楽しみ。急ぐ旅でもねぇし、ちょっと冷やかしていこうぜ」


 な、とリクが話を振ると、フィラレスはこくりと頷いて、おかわりしたての熱い豆茶を一気に飲み干した。




   *****************************


 


 イユエール行商市は想像以上に活気にあふれていた。昨夜到着した時にはかなり広い道路だった大通りに所狭しと並べられた露店に、人々はみなその騒然とした空気に負けないように大声を張り上げて話をしている。

 並べられた品も様々で、リクが今までみたことのない道具や食べ物なども数多く見受けられる。


「どっから出てきたんだ、この人数は」

「みんな外からスよ。毎回この市の前日は宿は全部埋まるのが普通だそうで、野宿する人もでるみたいスね」


 リク達が昨日泊まれたのは、コーダが事前に手紙で予約をしてあったかららしい。コーダらしい気の利いた手回しである。


「とりあえず、みんなで旅の必需品の補充をしておきやしょう。一応リストは作ってありやスから」


 コーダがぺらぺらと品物を羅列した紙を振ってみせる。


「おう、値段交渉なら俺に任せや」


 ひひひ、と楽しそうに笑い声を漏らしながらカーエスが先頭に立って歩き出す。


「アイツに目を付けられた商人が可哀想だな」

「我々も恥をかく羽目になるのだから、お互い様でしょう」


 そう言いながら、一行はカーエスの後についていく。


 十年間のファルガールとの旅の途中で何度か市というものをみたことはあるが、イユエールの行商市はそのどれとも違った独特の雰囲気を持っていた。まず一つは、客の半分が行商人、つまり素人ではないことだ。何人かは台車を引いて、商談をしている。時には取り引きはお金ではなく物々交換で行われているようだ。

 呼び込みの声も、聞き慣れない専門用語が多い。




 リクの生まれた村には年に一度、キャラバンと呼ばれる世界中の村や街を転々として品物を取り扱う商人のグループがやってきていた。市場を開く訳ではないのだが、通り道になっていたらしい。その商人らが持ってくる品物は珍しいものが多く、好奇心の大きかったリクの関心を大きく引いた。

 しかし、あまり村の中でもあまり裕福な方ではなかったリクはそうした品物を買ってもらったことは一切なかった。リクも自分の家に余裕がないことは十分承知していたので、ねだったりはしなかったのだが、それでも買えないことに関して悲しくは思っていた。


 ある日、キャラバンの商人の荷物の中に風車小屋の模型があった。後ろにあるネジを巻くと風車が回るようになっており、それが面白くて、時間の許す限り回し続けて商人を困らせたものである。リクは欲しいとは言わなかったが、そのキャラバンが旅立った日の名残惜しさは強く記憶に残っている。

 その次にやってきたリクの誕生日。母親は、大好物のシチューのパイ包み焼きと一緒に一つの包みを差し出した。


 ――はい、誕生日おめでとう。


 誕生日の贈り物。それを開けた時ほどリクは驚いたことはない。そこに入っていたのは、風車小屋の模型だった。とても欲しかった。でも手に入らないと諦めていたもの。

 それは手作りのようで、精巧さにおいて段違いに劣っていたが、それでも風車は回るようにはなっていた。父が仕事のかたわら木材の欠片を削りだして組み立て、母が装飾を施したのだという。

 欲しいという強い気持ちを両親が分かってくれたことが、買えなくても工夫して手作りでそれを与えてくれたことが、ただただ嬉しくて、リクは感謝の言葉も見つからずに声を上げて泣いた。




(あの模型も大災厄でなくしたんだっけ……)


 あんなに大切にしていたのに、存在ごと、今の今まで忘れていた。

 あの大災厄は、大切だと思う気持ちごと忘れさせるほどに、衝撃的だったということか。


 不意に、袖を引っ張られた。そこで現実に引き戻されたリクの視界に入ってきたのは心配そうに自分の顔を覗き込むフィラレスの姿だった。


「おい、リク。あんまぼーっとしてると置いていくで」


 すでに一件目での買い物を済ませたらしい。“戦利品”の詰まった紙袋を抱えながらカーエスがリクを急かす。店の中にいる店主の顔は泣きそうな顔でそれを見送っていた。


「ああ、悪ぃ。今行く」


 そう言って、カーエスの元へと歩き出すリクに、ジェシカが話し掛けた。


「最近、よく上の空になっておられますが、身体の調子が悪いのでは?」

「いや、いたって健康だぞ。熱でも出てたらコーダあたりが気がついてるだろ」


 コーダは便利屋でいて医師免許も持っている。その観察眼は鋭く、以前にジェシカが熱をだした時やカーエスが下痢を起こした時にいち早く気がついて薬を処方したものである。従ってリクの体調に異変があれば本人より先に気がついているだろう。


(しかし、なんで最近こんなにいろんなことを思い出すんだろう)


 また、水底のどこからか浮き上がってくる気泡のように、何かを思い出しそうになった時、リクの隣を子供が数人、駆け抜けた。


「アドミーが追い掛けてきたぞ! 逃げろー!」

「待ってよー!」


 おどけながら走る複数の少年を、気の弱そうな少年が追い掛けていく。この村で一番広い通りを駆け抜けていくと、その先には――



 気がついたら走り出していた。


「お、おいどこに行くねん、リク!?」


 そんなカーエスの驚く言葉に留まることなく、子供達を追いこして、人が込む市場を走っていく。



 母は、リクが力一杯動き回ることを喜んでいた。たとえそのために、服を汚したり破いたりしても、そのことを怒ったりはしない。

 リクは、走るのが好きだった。比較的背の高い建物の並んでいた、村で一番広い通りを駆け抜けて、その終わりを曲がると、とたんに目の前が開けて遠くまで見渡せるようになる。その開放感が、たまらない。

 そして、その開けた視界の中で悠然と立っていたあの――


「――“王様”?」


 想像した光景はそこにはなかった。目の前に広がる森。その木々の先頭に立つようにそびえ、あまりにも目立つその木を、村人達が分かりやすく“森の王”と呼んでいた巨大な樹木。リクの“記憶”に焼き付いていたその光景と、今の光景は大きく違っている。


 たしかに目の前にある巨木は、間違いなく、これは自分が慣れ親しんだ樹だった。だが“森の王”は、今はその枝を太陽に伸ばすことなく、リクの前にその身を横たえている。おそらく、あのグランクリーチャーあたりに大災厄の時に倒されたのだろう。

 しかし、倒れてはいるが、その命を絶やした訳ではないようだ。巨像一つは削り出せそうな太い幹を温床に、至る所から芽が吹き、若木が背伸びを始めており、それらの変化が、十年の月日をリクに思い起こさせる。


 もう疑いようのないことだった。

 今、自分のいる場所・大災厄から甦った街・イユエールはかつての生まれ故郷・エールの生まれ変わった姿だという事実は確信を超えて、目を逸らすことができない現実として彼に提示されてしまった。

 道理で、ここ最近いろいろなことを思い出すはずだ。知らない間に、彼は失われてしまったはずの故郷に帰ってきていたのだから。昨夜の調理場で見つかりにくい水場を見つけだせたのも、旅立つ際にファルガールと一度寄ったことのある場所だったからだ。



 ふと、“森の王”が倒れた後の株の傍らに、石碑が立っているのが目に入った。リクは、無言のままそれに歩み寄ると、その石碑に刻まれた文字を読んだ。


『エールの古き良き友たちに安らかなる眠りを。

 そして生まれ変わるイユエールに安息と発展を。

 遺志を継ぎて甦らんとする、この森の王のように。』


「間違いない……懐かしいことを思い出すわけだ」


 どさっと重力に任せ、その石碑の前に座り込んでリクは言った。


「そんなところで立ってねぇでこっちに来いよ」


 リクの言葉は、その背後まで追い掛けてきた人物――フィラレスに向けられていた。彼女は衝動的に追い掛けてきたらしいが、ただならぬリクの様子に近付けずに見守っていたらしい。

 突然声を掛けられたフィラレスは、ぴくりと小さく身体を震わせると、おずおずとリクの傍に寄ってきて、彼の隣に腰を下ろした。

 石碑に視線を向けたまま、リクはフィラレスに語りはじめる。


 このイユエールが、リクの生まれ故郷の村・エールであったこと。

 今朝見た夢の分を含め、近頃思い出してきた昔の思い出。

 それら全てを粉々に壊した大災厄の日。


「本当に、寂しいと思ったことは無かったんだ……。帰るべき故郷はもう無いと思っていたからな」


 だから、帰ろうとは一度も思ったことがないし、場所を忘れるくらいに憶えている努力もしなかった。思い出しても仕方がない、もう自分の愛したあの村は二度とあの姿を取り戻すことはないのだから。

 そう自分に言い聞かせて。


 今を思えば、怖かったのかもしれない。


 思い出せば思い出すほど、懐かしがれば懐かしがるほど、その思いはやりきれないものになる。だから、リクは村は無くなったと理解しつつもちょっとした現実逃避をしていた。

 大災厄はあまりにも突然に、何もかもを壊してしまったために、リクは心の奥底では認めずに済んでいたのだ。この、滅ぼされた村が昨日までの自分の村であることを。


 村は滅ぼされたんじゃない。

 自分は別の場所に来ただけで、帰るところがわからない迷子の延長のようなもの。そう考えていれば、

 もう大好きなあの村と、隣人達がもうこの世にないことを受け止めずに済む。


「でも、これでもう逃げられなくなっちまったなぁ……」


 自分を囲む、孤独から。



 肩と声を震わせ、涙を流し、今までにないほど弱い姿を見せるリクに、口の利けないフィラレスはもちろん掛けられる言葉はない。

 しかし、フィラレスはリクの隣を立つと、リクの目の前に移動して、そっと彼の頭を抱き寄せた。意外なほど抵抗もせず、リクはフィラレスにいくらかの体重をあずけの背中に腕を回す。


「……はは、今日は何かフィリーには情けねぇところばっかりみせるなぁ」


 そう言えば、フィラレスにも故郷はなかったな、とリクは思い起こす。

 存在はしているのかもしれない。それでも愛する両親は亡く、彼女は村人たちから拒絶されている。それはただ滅びるより辛いのかもしれない。

 コーダもそうだ。幼い頃に故郷から連れ去られ、過酷な少年時代を生き抜いてきた。

 彼らの悲しい過去には同情もするし、理解もしていた。でも、実際に孤独を覚えてみると、いかに彼らが強かったのかが分かる。


 その証拠が、このあたたかさだ。

 触れあった身体が伝えてくる体温だけではない。言葉を伝えられないなりに健気にリクを慰めようとしてくれているフィラレスの心のあたたかさは決して、孤独に絶望を覚えた者が持ちうるものではない。


「……おっと。いつのまにか日が暮れてきちまったな。そろそろ宿に戻るか」


 そういって、リクはゆっくりとフィラレスから身体を放すと、街の方に向かって歩き始めた。が、少し歩いたところで、一度フィラレスを振り返る。そして、今になって照れがきたらしい、顔を赤くしてぼうっとしているフィラレスに手を差し出した。


「甘えついでだ。もうちょっとの間だけ、手を繋がせてもらっていいか?」


 ますます赤くなりながらも、フィラレスはおずおずと差し出したリクの手を握り返す。


 先ほどの抱擁とは比べ物にならないが、それでも自分の手よりずっと小さいながら柔らかく包み込んでくれるような優しい熱。


 今は、この熱を少しでも長く感じていたかった。

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