13『夢と既視感』
前へ、前へと足を進めて、
いつしか、過去は置き去られ、
前へ、前へと歩みを続けて、
ふと、過去を思い出し、
懐かしさを求めて振り返る。
その先に見えたのは―――
泣くな、泣かすな。
それがリクの父の教育方針だった。あまり口の上手い方ではなく、叱る時は先ず手が出てくる。泣いて殴られると、鳴き声を噛み殺すまで、あるいは母に諌められるまで続けられた。
一番こっぴどく怒られたのは、イタズラで近所の女の子を泣かせた時だ。奥歯が折れて母が父に対して激昂するまでなぐられた。折れた奥歯は乳歯だったので程なくして再び生えてきたが。
リクは素直だったし、大好きな両親が怒るのを見るのはイヤだったので、一回怒られたことを繰り返すことは少なかった。だから、ある程度成長した後はほとんどそうやって叱られることはなくなったし、滅多に泣かなくなった。
最後に泣いたのはいつだろうか。確か、何かの理由でいじめをうけ、耐え切れなくなって父に泣きついて助けを求めた時。その時だけは叱られなかった。
「リク、そんなに情けないことを言うんじゃない」
そう言ってリクの顔を覗き込んだ父は本当に哀しそうだった。もう少しで泣きそうなくらいに。
「父さん達はな、いつまでも生きている訳じゃない。いつか、お前が一人になる時が来るんだ。その時はもうお前を助けてやれない。お前が自分で何とかするしかない。――その為にも強くなれ、リク。一人で生きていけるくらいに、何だってできるようになれ」
一言一句、あの時の説教はリクの心に染み付いている。それからリクは努力をするようになった。勉強も人一倍するようになったし、身体も鍛えた。いじめは一人一人喧嘩で負かすことでなくなっていき、ついには他人がいじめられているのも助けられるようになったものである。
そうして村一番強い子供になった日。それを両親に報告しようと家に帰っている時だった。
――大災厄が村を襲ったのは。
クリーチャー達が次々と村人達を屠っていく。
この日、大一番の喧嘩をしたラズもあっけなく殺されて道ばたに転がっていた。いつもあまった生地で焼いたパンをおまけしてくれていたパン屋が嵐の中、炎に包まれている。木造が基本の村の中で、唯一立派な石造りの建物だった村役場も超巨大なクリーチャーに踏みつぶされてしまったのか、無惨な姿を残すのみとなっていた。
壊れていく。崩れていく。失われていく。
ずっとずっと、続いていくのだと思っていた村が。ずっとずっと共に暮らしていくのだと信じていた人々が。そして――両親でさえも。
炎を上げて、燃える自宅の前で、抱き合ったまま息絶えている両親を見た時、リクは今まで押し殺してきた声を開放するように、叫んだ。
「――――――――――ッ!!」
リクはパチリと目を開けると、同時に立ち上がり、天井に頭をぶつけた。
「…………ッッ! 痛ってぇぇ」
恨めし気に天井を睨み付け、改めて室内を見渡す。
そこは、最近すっかり見なれた《シッカーリド》“運搬モード”の客室だった。今はティオ街道を西へ西へと進んでいる最中であり、コーダの《シッカーリド》という存在のお陰でかなり早く目的地に辿り着けそうだった。
どうやら、その運搬サソリの召喚獣はその足を止めているようだ。一緒に乗っていたはずの仲間達の姿もない。窓の外は静かな森が広がっており、先程見た夢とは対照的だった。
(随分懐かしい夢を見ちまったなぁ……)
村を離れたばかりのころはよくこの夢を見たものだが、ファルガールの破天荒な行動に付き合わされている内に、半ば忘れかけていたくらいなのだが。
客室から外に出ると、香しい匂いがまず鼻をつく。太陽の位置からして、そろそろ夕食の時間だ。街道には宿場町の他に、かまど等を設けた簡易炊事場が配置されている。今はそこで小休止して食事の準備をしているのだろう。
カンファータからフォートアリントンを経て、エンペルリースに入ってからというもの、シッカーリドの客室から見える景色は一変した。草原や砂漠の多いカンファータに比べ、エンペルリースは森林が多く、このティオ街道も森を貫く形で東西に伸びている。
「ん?」
食事の用意を少しでも手伝おうと、外に出たリクは、そこに想像とは少し違った光景が繰り広げられていることに気がついた食事の用意がされているところまでは合っているが、準備をしているのはいつもコーダであったのが今日はフィラレスだったのだ。
そして、目の前に残りの三人、コーダ、カーエス、ジェシカが揃ってその様子を眺めつつ眉をしかめている。
「どうかしたのか、お前ら」
「あ、兄さん。おはようス。見ての通り、今日はフィリーさんが料理をしてやしてね。それで、まあ、エヘヘ……」
買い物時のカーエスを除けば一番口達者なはずのコーダが言い淀んでいるのでリクはますます訳が分からなくなる。
「別にフィリーが料理しちゃマズイってものでもねぇだろうに」
今まで食事時になると、いつの間にかコーダが食事を用意していたので、何となくコーダが食事係のような気がしていたのだが、別に皆で決めたことではない。
リクもさすがにいつもじゃ悪いと思って何とか食事を作ろうと思っているものの、なぜかなかなかコーダは他の物に食事を作らせる隙を見せないのであった。
コーダが説明するところによると、実はそれには訳があったらしい。
以前、エンペルファータの西方料理店『オワナ・サカ』でリク達がお互い料理を作りあった時、フィラレスはデザートを担当し、ケーキを作った。
それが殺人的な不味さであったことから、そんなケーキでもうまそうに食べていたリク以外の三人は絶対にフィラレスに料理をさせないように、と心に誓ったのである。
それからは、食事時になるとコーダが隙を与えず食事の準備を行い、それが難しければジェシカかカーエスが他の作業を手伝ってくれ、とフィラレスの気をそらすなど、この件に関して三人の息はぴったりだった。
「よくもまあ、そんだけ手の込んだことを……」
やや呆れ気味の様子でリクがコメントすると、カーエスが軽く睨み付けて言った。
「俺らはお前と違うてマトモな舌してんねん。衣食住は生活の基本やで。食に真剣になるのは当然や」
「その通り、彼女には悪いですが、これは我々にとって死活問題なのです」
いつもはカーエスと機会がある度に言い合っているジェシカも、この時ばかりは意見を合わせる。
「そんなに不味かったのか、アレ」
「色でいうたらドドメ色やで。何入れたらアレになるんか想像もつかへん」
カーエスの“魔導眼”は魔力だけではない。風や時間の流れ等、不可視のもので見えるものは数多いのだ。味もその一つで、カーエスは“魔導眼”で見るだけで、大体の味が分かってしまうのである。以前、フィラレスが作ったケーキを見た時、それはそれは毒々しい色に見えたらしい。
「じゃ、今回は何色なんだ?」
「作ってしまった以上、それは重要ですね」
「そうスね。どのくらい覚悟すればいいのかの目安になりやスし。見てもらえやスか?」
リクの疑問に、ジェシカ、コーダが同調し、カーエスに視線を送る。
すると、カーエスは特に勿体ぶるということもなく、普段“魔導眼”の能力を抑えている眼鏡を外した。
「もとよりそうするつもりや」
そして、フィラレスがテキパキと更に盛り付けている料理の方に目を向ける。
「……あら?」
「どうかしたんスか?」
明らかに意外そうな、というか拍子抜けした表情を見せるカーエスは、コーダの問いを無視して、目を一度ぎゅっと瞑って、見直す。
「普通に旨そうな色やで?」
「なんだそりゃ、あれだけ大騒ぎしといて結局何も無しかよ」
リクが何故か若干不満そうに言うが、コーダとジェシカはつかえものが取れたように安堵の吐息をはく。
「そ、そうか。ならば安心して食べられるのだな?」
「……と、いうことはフィリーさんは別段、料理下手ではない、ということスね」
その点はリクもおかしいと思っていた。フィラレスの手付きを見ている限りでは、あれは結構料理をし慣れた者の手付きだ。包丁さばきも危な気なく、調味料を間違えているということもない。分量も見る限りは適正だ。
「でも、ケーキはちゃんと不味かったんだろ?」
「“ちゃんと不味かった”っていうのも妙な言い回しやけどな。本人の前では言えんが、死ぬほど不味かった」
つまり、フィラレスの腕前が不味かったからそのケーキが不味かったのではなく。もともとそのケーキは不味いケーキだったのだ。
「………じゃあ、あのケーキって一体何の為に……」
それは、後にコーダが調べ上げて報告するまでの謎である。
フィラレスの作った夕食は香しい匂いを放ち、見た目もいい。どう転んでも不味いということはなさそうだった。
とはいえ、旅行中は保存食しか使えない為、メニューは質素なもので豆や玉ねぎなどの野菜を缶詰めのトマトで煮込んだスープに、小麦粉の生地に干しブドウ等の乾燥果実を練り込んで焼いたパンくらいのものだった。
しかし、コーダ一人の献立では、正直少々飽きが来ていたところだったので、目新しい味に食欲も湧く。
「おわ」
さっそく食事にありつこうと、炊事場に設置されている木製のテーブルにつこうとしたところで、リクは小さく声を漏らした。椅子を引く為に掛けた手に何かベトベトするものがついたのだ。
恐らく、以前の利用者が何か食べ物を盛大にこぼしたまま拭いもせずに放置していたものだろう。公共で使う割に管理者もいない炊事場ではこういうことがよくある。
「……ったく、マナーの悪ぃヤツもいるもんだ。ちょっと手ぇ洗ってくる」
悪態をつきながら、椅子を別のものに取り替えると、かまどの傍の茂みの方に歩いていく。
「兄さん、水場はそっちじゃないスよ、反対側! こっちの細道を十分ほど歩いて行くんス」
水源がないからか、この炊事場は水場がやたら遠かった。そして食事を作るための水を汲む作業で手間取った為に、今回フィラレスに食事を作る隙を与えてしまったのである。
しかし、リクはかまどの裏手に立ち、茂みの向こうを差して言った。
「ああ、そっちにしか道がないから騙されるんだけどな。実はこっちに井戸があるんだよ」
「え?」
意外なリクの反論に、目を丸くしたカーエスとコーダがリクの傍によってくる。
「本当スね。こんなところにあるなんて知りやせんでした」
「でも、こないに見つけにくいところにある井戸、よう知っとったな」
それは、かまどの影にあり、また周りを囲む茂みがカモフラージュになっていて、近いが、一見したところで見つけられるものではなかった。おまけに、この炊事場はちゃんとした炊事場までの道があるので、それがフェイントになって余計に目が行きにくい。
そんな場所にあるこの井戸を見つけるとは、余程運がいいか、あらかじめ知っているかどちらかだろう。
「何となくそんな確信があったんだよ。う~ん、前にファルと通ったことがある……のかな? 今いち思い出せねぇ」
元々方向音痴の気があるリクだ。それにファルガールと旅を始めた頃は三大国も知らないほど全く地理を知らず、訳の分からないまま連れ回されていたので、その頃通った道がどこなのかさっぱり分からない。だが、明らかに自分はこの分かりにくい井戸の存在を知っていた。
「こういうのを既視感ってのかねぇ……」
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カーエスの見立て通り、フィラレスの料理は美味そのものだった。トマトスープは上手にトマトのえぐみを消せていたし、干し果実パンも一口かじるごとに何らかの果実の甘味が口に広がって楽しみながら食べられるパンに仕上がっていた。
いつしか、一行は夢中になって食べ、半ば無言のまま、テーブルの上の食事は全て食べ尽くされる。
「さて、片付けて出発しやしょうか」
食べるものを食べ、これもまたフィラレスが淹れた茶を啜りながら、しばらく休んだ後にコーダは立ち上がってそう言った。
「ここで一泊するのではないのか?」
「それに、もう動くには遅いんちゃうん?」
夕食を食べ始めたときはまだ空も明るかったが、今は随分と空も暗くなり、もう三分刻(一時間)もすれば真っ暗になるはずである。ティオ街道は整備の行き届いた街道では合ったが、町中の道路のような明かりはついていない。これ以上進むのは危険なのではないか。
そういう疑問をぶつけられたコーダは、苦笑しながら言った。
「ま、そこは魔法で明かりをつけやしょう。もう一刻(三時間)も進めば、つぎの宿場町につくんス。だからここで留まって野宿するより、もう少し頑張って宿に泊まった方がいいと思うんスよ」
コーダの説明になるほど、と全員納得した。野宿は誰かが見張っていなければならない上、寝心地もそれほどいいものではない。宿に泊まれば、睡眠による疲れのとれ具合は段違いであるし、翌日朝食を作る必要もないのだ。
そうなると、全員がいそいで器を洗い、荷物をまとめて《シッカーリド》に載せると全員が乗り込んだ。すると《シッカーリド》の目から光が発せられ、ランタンなみの光が前方を照らす。どうも最初からそういう夜間走行能力も備えていたらしい。つくづく便利な乗り物である。
しばらく、運搬サソリに乗ってすっかり暗くなった道を進んでいくと、前方が二つに別れていた。一つは直進できる太い道で、もう一つが少し左に逸れている道で、こちらのほうはやや細い。リクはこの道を真直ぐ進むものだと思っていたのだが、予想を裏切ってコーダは左の道を選択した。
「昔は真直ぐ行った先に大きな街があったんスけどね。十年前に大災厄に襲われてなくなっちゃったんス。これから行くのは、それより少し南にある小さな村スよ」
コーダの説明するところによると、この南のほうの村もこっちも一緒に大災厄に襲われたのだが、生き残りがいたらしく、復興している。そして前の宿場町が無くなった今は、新しい宿場町として立ち寄るものも多いのだという。
コーダが選択した道は、寄り道のような道で、村を通り抜けた先で再び街道の本筋と合流するらしい。今ではこっちの方が主流のルートで、急ぐものだけが直進するのだそうだ。
「昼間見れば分かるんスけど、実際こっちの道のほうがあっちの道より荒れてなくて走りやすいくらいスよ」
「皮肉なモンだな。大災厄で滅びる大きな街もあれば、蘇って栄える小さな村もある」
「そうスね」
森羅万象、良くも悪くも何が物事の流れを変えるキッカケになるかわからないものだ。
コーダの申告通り、かの炊事場からきっかり一刻後、リク達はその宿場町『イユエール』に着いた。夜闇に包まれた今では、並ぶ建物の様子はほとんど分からないが、酒場や宿屋のような夜遅くまで営業する店は窓から明かりが漏れているのですぐ分かる。
ともかく、今夜はもうすることもなく(コーダは酒場に出掛けていたが)、宿を取り、質素なベッドの上で眠りに着く一行だった。