11『隠れ里』
国が身体なら、国民は細胞。
ただ国の言うがままに機能し、
使えなくなれば切り捨てられる。
細胞はそれでも何も言わない。
細胞個々には意思がなくても、
全体として意思があればいい。
それも理想の国家の形。
その理想の国家が“孤高の国”ウォンリルグ。
「寂しい国だろ?」
クァルタイン山脈の峡谷にある国境を越えてから、半日かけて谷を抜け、ちょうど見晴らしのいい丘からウォンリルグを見下ろして、ファルガールは言った。
「それもそうだ。“孤高”も裏を返せば孤独に過ぎねぇ」
緑が茂り、食料も豊富なエンペルリースはもとより、小さくない面積を乾燥した砂漠に占められるカンファータも荒野でもせめて太陽は煌々と輝いている。
だが、目の前に広がる景色は作物が実っているわけではない。瑞々しさに欠ける草が無造作に生え、空に輝く太陽の光もどこか寒々しい。
「……感傷的に寂しがるのも結構だが、このままでは食料の確保もままならん。どうするつもりだ?」
カルクが持ってきた荷物に目をやりながら言う。
食料などはもってあと1日分ほどしかない。見渡す限りでは食べられるものといえば、おそらく地中の虫や乾いた風にさらされた草くらいしかないだろう。無論、野外生活にあまり慣れていないカルクとしてはできる限りそれらを口にするのは避けたいところだが。
そんなカルクの心配をよそに、ファルガールはのんきそうな笑みを返して答えた。
「任せておけって。ただ、手に入れられる時間は決まってるから説明してる時間はない。行くぞ」
今まで幾度か述べたように、ウォンリルグは“孤高の国”と呼ばれ、三大国協商に加盟はしているものの、単なる不可侵条約という形で他の二大国、カンファータやエンペルリースとは商品のやり取りや、技術のやり取りなどは一切行っていない。
国民の行き来も最小に制限され、ウォンリルグ国内の情報は、便利屋でさえ、ほとんど知らないのである。
ただ、気候としては気温が低いことは知られており、作物はあまり育たず、国内の食糧事情はあまり豊かでないであろうという予想はされている。
しかしそれでもウォンリルグが、他国から食料を調達せずにすんでいるのは、国民が“生きた駒”として徹底的に管理される制度のためだ。人と同じように国物資も同じように管理が徹底的に行き届いているのだおる。
どこでどれだけ作物がとれ、どこに、何を運ぶか、などがキッチリと決められ、それゆえにとれた作物を無駄にすることなく、国が成り立っている。
「それは、実は大当たりなんだ」と、ファルガールは言った。
自然の中で作物は育たないものの、何とか魔法で人口で環境を作り、食料はほとんど養殖されている。が、コストがかかる分、その量はギリギリ全員分である。その管理において、国民には国が決めたものを配給し、食べさせるため、食料の無駄が非常に少ない。
「食料は専用のところで作られて、各地に配分されるんだが、これを運ぶ日にちとルートは大体決まっていてな」
「アレがそう?」
マーシアが指差した方向、前方を横切る道を走るカリアード(荷車を引くのに特化した大型犬の一種。寒さに強い)二頭立ての食糧輸送車らしき荷車を確認し、ファルガールが顔を引きつらせる。
「げ、もう来やがったのかよ、ちょいとのんびりしすぎたかな」
「おい、待てファルガール、お前まさか――」
やや駆け足気味に、その食料輸送車にむかって歩いていくファルガールに声をかけるが、止める言葉を掛ける前に、前方に稲光が起こった。次の瞬間には、食糧輸送車を引っ張るカリアードの足は止まり、御者席に座っていた男はそばの地面に倒れ伏していた。
「あら、今日は突発的な雷が多いのね。気をつけなくちゃ」
「マーシア……」
いたずらを仕掛けた子供のような含み笑いを浮かべながら言うマーシアに、カルクが助けを求めるような目を向ける。おそらく、ファルガールを止められる可能性を持っているのは彼女しかいない。
しかし、彼女は肩を竦めて言った。
「無理よ。止めようとしても止まる人じゃないわ」
「……」
食糧輸送車に積んでいる食料を物色し始めたファルガールの手伝いに行くマーシアを見送ったカルクは絶望的な気分でタバコを一本取り出して口にくわえる。
そこにクリン=クランが、ぽん、と肩をたたき、同情を示すように苦笑し、カルクのタバコに魔法で火をつけてやった。
「で? 三、四日分ばかりの食料をかっぱらった後はどうするつもりだ?」
「かっぱらったなんて人聞きの悪ィこというなよ。落雷で一部の食料が焼失しただけだ」
半ばヤケ気味にたずねたカルクに対して、ファルガールはしれっと答える。
「なるほど、わざわざなくなった部分の周囲を雷で焼いたのは、そういう言い訳が上の人にできるようにするためだったのね」
「違う! ファルガールの場合、冗談に手が込んでいるだけだ!」
本気でノッているのか、それとも諦めたゆえの皮肉なのかは定かではないが(おそらくどちらでもないであろう)、ファルガールの行為を最大限に好意的に解釈して見せるマーシアに対して、語調も荒く突っ込んだカルクを抑えるようにクリン=クランが口を挟んだ。
「まあまあ、落ち着いて下さいよ、カルク先生。ところでファルガール先生、本当にこれからどうするんですか? 食料だって三、四日後に手に入る算段もついてるんですか」
「とりあえず、もうしばらく北上する。馴染みがいるんだ。しばらくは、そこに世話になろうと思う」
「北?」
この道は東西に走っているので、北というとこの道から外れることになる。ちょうど自分たちが歩いてきた方向の反対側だ。
そちらに目をやると、カルクはまたため息をつきそうになった。
そこには、いかにも深そうな針葉樹林が広がっていた。
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ウォンリルグでは、国民は生まれると同時に育児施設に入れられ、均一の環境で均一の教育を受け、マータへの絶対服従を植えつけられる。己の権限内での判断力を育てるノウハウもあり、自分の考えでは動けないただの“駒”ではなく、ただし、自分の利益よりマータと国家の利益を第一に考えるため、組織としては非常によい人材がそろう。
家柄というものが存在しないため、国の役職は完全に能力によって決められる。立場として上に行けば行くほど裁量が大きく、そのためか、上層部にいる人間ほど個性の色が濃くなる傾向がある。そうして自我が形成されていく際、何かの拍子にマータへの絶対服従が解け、国のあり方に疑問を持つ者もいる。
それが明らかになった場合、その人間は処分の対象になるが、うまく生き延びて野に下れば、国を出るか、それとも“もうひとつの選択”をすることになる。
そのもうひとつの選択が反政府組織“ジントグラート”である。
“個人”を認めないウォンリルグの政策に人道的でないという批判を下す人は数多い。しかし、これも理想の国家と形の一つだ、と評価する一部の専門家はこの国の体制を人体に例える。つまり、国を人としたら民は細胞。それぞれに意思はないが、自分たちの存在が国を生かしているという自覚がある、ということだ。
“ジントグラート”はそういった細胞たちの中でも、自我に目覚めた者達が集う、あるいは結果的に追いやられる場所の名前であり、その集団の総称でもある。
この存在に感化されて、自我に目覚め、そちらに下ってしまうものも多い(その場合は“ジントグラート”の面々がサポートするので比較的安全に逃げ切ることが出来る)。
それゆえに言うことを聞かず国家に不利益を与える存在として、ウォンリルグの人々はこれを、処置をしない限りどんどん広がって体を蝕んでいく「病巣」に例え、ウォンリルグの地域で主に用いられていた古代語で“ジントグラート”、と呼ぶようになったのである。
「つまり、その反政府組織の集落に向かうんだな?」
「正確にはその集落の一つ、だけどな。そいつらは自分で食料を確保してるし、ウォンリルグの中でも別の国みてぇな存在なんだよ」
ウォンリルグ国内であって、ウォンリルグの人間ではない。確かにそれなら自分たちが追っているグランベルク=ジャガントラとやらの情報を得られるし、食べ物も手に入るわけだ。
木の影も分からなくなるくらい夜も更けて、ファルガールたちは針葉樹林の中で野宿をすることになった。そこで食事をしている際にファルガールから前述の説明を行われて、カルクはファルガールの行動に初めて納得がいった。
「でも、そんな立派な反政府組織がその集落の場所も知られて、よく弾圧されないわね」
マーシアの疑問に対して、ファルガールは答える。
「いや、集落の場所が正確に割れているわけじゃねェ。分かってるのはこの森の中にあることだけだ」
「どういうことですか?」
「百聞は一見に如かず。明日になれば分かるさ」
クリン=クランが詳しい説明を求めると、ファルガールはそういってはぐらかした。
やれやれまたか、とカルクは心中で深い深いため息をつく。時間がないわけではなく、ただ面倒くさがったわけでもない。何も知らされずに振り回されて、うろたえる自分たち、特にカルク自身の姿を見て楽しみたいだけだ。
つい先ごろ十年来の再会を果たしたこの友人は確かにそんな悪癖を持っている。
(それでもマーシアも、クリン=クランも、そして私自身も、お前だからこそ、ただ信じてここまでついてきているんだ)
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翌日、ファルガール達はさらに針葉樹の森の奥へと進んでいた。これといった話題もなく、体力消耗を防ぐ意味もあって、みんな黙りこくってただ歩いている。針葉樹の落ち葉に覆われた地面を踏むわずかな音だけが、この場を支配していた。
「ここだ」
不意に、ファルガールは足を止め、クリン=クランにロープを出すように指示をする。クリン=クランは特に何の質問もはさまず、荷物から昨夜野宿をするテントを張るために使ったロープを取り出してファルガールに渡す。
「よし、お前ら、このロープをしっかりつかめ」
ファルガールは受け取ったロープを、カルクとクリン=クランに握らせる。
「何らかの形で俺とつながってなきゃいけねぇんだ」と、最後にファルガールはマーシアの手を握る。
「やはり、何かの結界が張ってあるんだな」
森の中に集落を持つ秘密結社ではよく聞く話だ。ある範囲の森を覆い、条件を満たさない者が侵入してきた場合、何らかの手段で森の外に排除する。中には、踏み込んだが最後、永遠に迷い続けるというものも存在する。
「いったい何をもって判別してるんですか?」
「あるものを持っているか持っていないか、だな。とある木が結界の核になってるんだが、その木の枝を持っていればいいんだ」
そういって、ファルガールは懐から木から削りだしたと思われる小さな護符を取り出して見せた。
「今までバレたりしなかったのか?」
「ないこともない」
“ジントグラート”は、いくつかの集落に別れており、それぞれが独立した結界を持っている。
もともと、この針葉樹林は他より自然の持つ魔力が豊富で、特にところどころに“精樹”と呼ばれる、同じ質量の魔石と同等以上の魔力を秘めている木がある。無論、それを魔力資源として使用する計画もあったが、切り離す、掘り起こすなどして地面から離すと、たちまちその魔力を失ってしまうという不思議な性質があるために、資源として使われることはなかった。
ただ、地面に植わったままであれば使うことができるので、この針葉樹林を住処とする“ジントグラート”は、この“精樹”を核として結界を張っている。
つまるところ、集落はそれぞれ独立しており、一つの集落が見つかっても、他の集落は無事というわけだ。おまけに他の集落が襲われれば、それを囲む他の集落から応援が駆けつけ、その討伐隊も被害は少なくない。それを見越して討伐隊が大人数で組まれることもあるが、その場合は忍んで見捨てる。
「幸い、討伐以外で減ることはねェし、集落がひとつなくなっても、数年かければ新しい集落ができる」
「そうやって、必死で身を守ってきたのね……」
しばらく歩いているうちに、目に見えて景観に変化がおきた。今まではどれだけ距離感や方向感を狂わせるような、同じような道が続いていたのだが、さきほどから、針葉樹がまばらになり、わずかずつであるが道が広くなっていく。
「着いたぞ」
深い森をくり貫かれて曇り空が覗いている。そんな森の穴に存在したのは、まさに“集落”だった。