09『闇に騙し合う砂影たち』
彼らは殺すことが役割で、
平和な世の中に彼らは要らない。
戦いの世の影は渡りやすかった。
危険は待っていたが、それをくぐり抜けることが彼らを満たしてくれた。
平和な世では影に光が侵蝕していく。
渡るのに危険はないが、次第に影が狭められ、居場所を奪われる。
影ごと世界から閉め出されつつあった彼らは、一つの決意をした。
影として光に抗い、自分達の居場所と生き甲斐を取り戻すことを。
フォートアリントンの公的機関が集中する行政地区は繁華街とは違い、真夜中は明かりも人気もなく、ひっそりとした静かな空間になる。昼間は清潔感のある青で統一された建物も、今は暗いシルエットとして夜空に浮かぶばかりだ。
そのシルエットの状態でも建物群の中で一際目立つ建物が、この行政地区のシンボル的な存在である時計塔“ブランフィル・ハロク”である。現代語に訳すと“凪を刻む柱時計”となるその名の通り、百年前に三大国協商体制が確立した記念に立てられて後、ずっと平和な時を刻み続けてきた時計なのだ。
その尖っている屋根の上に、コーダはいた。夜の闇には目立つ砂色の衣を身に纏い、屋根の端に立ち、夜のフォートアリントンを見下ろしている。
カチ、と屋根の下で機械音がした。時計塔が黒の刻(午前零時)を刻んだのだ。
コーダはおもむろに誰もいないはずの背後に向かって話し掛けた。
「声も掛けずに影から忍び寄るとは呼び出した人間の態度じゃないな」
「おや、バレてしまいましたか」
見破られて開き直ったのか、突如背後に人の気配が感じられるようになる。コーダが、くるりと振り返ると、そこにいたのは昼間、この時間にここで会おうと矢文を放ってきた張本人であるニードとシアヤが立っていた。
コーダとは違い、彼等は濃い藍色の服をきており、夜の闇には輪郭すらハッキリとしない服装となっている。
「もっとも呼び出した手段も俺を狙った矢文だったんだ、流れから考えればそういう近付き方のほうが正しいのかもしれないな。……とくにお前達“一族”の常識を考えると」
ユーモアのようであるが、コーダの声には刺が見えたのか、ニードは苦笑する。
「やっとゆっくり話す時間ができたのに、どうも懐かしがる雰囲気ではないですね。いいんですか? いろいろ聞きたいことがあるのでしょう?」
「止めた」
一言だけ、即答する。真正直に聞いても、彼等は思い通りには答えてくれない。はぐらかされるかもしれないし、嘘をつかれるかもしれない。ともかく正直に答えてくれる確率は皆無に等しい。
「ニード、お前も言っただろう。俺はもう“砂影”とは関係ない。俺にできるのは最後まで“一族”に反抗し続けることだけだ。――たとえ、気が変わってウォンリルグと手を結んでいたとしても」
“砂影”はどこにも属しない。ただ請け負った暗殺を確実に全うするだけの集団だ。それだけ純粋に暗殺に全てを捧げている。
だが、ここ最近、特にエンペルファータの魔導研究所で起こった事件は明らかに“砂影”の活動はウォンリルグへ亡命しようとするディオスカスに手を貸す形だった。そしてウォンリルグの定例国際会議の無断欠席、先日の“砂影”による魔導列車を使ったテロ未遂事件。
タイミングが良すぎる。ウォンリルグがそれを依頼した形にしろ、“砂影”はそこまで他組織と連係して動くことはないはずなのに。
「“砂影”は何も変わっていませんよ」
ニードはふ、と微笑んで言った。
「この百年間は、“砂影”にとって試練の期間でした」
三大国協商体制が始まっても、すぐまた戦争は始まるだろう、と初めは楽観していたが、二十年、三十年 と経過しても戦いらしい戦いの起こる気配がない。内乱や属国間で諍い等、ちいさな争いは会ってもすぐにカンファータやエンペルリースが介入して解決してしまう。
戦いのある世の中でこそ恐れられた“砂影”も、続く平和の中で人々の記憶から忘れ去られつつあり、“砂影”は早急に対策を練る必要があった。
だが、三大国体制は思いのほか堅く、ある国の首脳を暗殺して、他の二国を敵に回させようと思っても、この安定した体制が瓦解するのを怖れたのか、諍いは起こるものの、戦争には中々踏み切らなかったのだ。
だが、雌伏の百年を経て、ついにウォンリルグが戦争の火種を巻こうとしている。“砂影”としてはそれに便乗しない手はない。
「ウォンリルグのマータ・ツァルアリータはそんな我々のことに理解を示し、約束してくれたのです。戦乱の世を、“砂影”の存在意義を、再び作り出すことを」
どこか、恍惚とした表情さえ見せるニードに、コーダは曲げ短刀を引き抜き、その喉元に突き付ける。
「芝居がかった戯れ言はそれで終わりか」
「……そういきり立つものではないでしょう、人が折角和やかに話そうとしているのですから」
「だが、俺をここに呼んだのは仲良く話をする為ではないだろう」
“砂影”では、裏切り者は許さない。去る者は存在してはならない。
情報収集のため、とも考えられるが、それを拒んだところでただで帰す訳がないはずだ。
「取りつく島がないッテ、こういうことネ」
いままで黙って会話を見届けていた“砂影”の女・シアヤが肩を竦めてみせた。吊り気味の目を細め、悪戯っぽく笑ってみせる。
「お前らの目的は分かったが理解を示すつもりはない。暗殺の場がなくなって滅びそうになっていたなら滅びてしまえば良かった」
生き残ろうというのなら、他の道も考えられただろう。
暗殺の技能は決して暗殺だけにしか使えない汎用性の低いものではない。その為に培った知識は生きる為に非常に有益である。実際にコーダが便利屋として一人前になれたのは多分に暗殺者として建物等に潜り込む技能を持っていたからに他ならない。
「もし、お前がまだ俺に“兄”と呼ばせ、和やかに話したいのならば、道はたった一つ。お前も一族を抜け、殺しを止めることだ。もっとも――」
コーダは途中で言葉を切り、振り向きざまに曲げ短刀を一閃する。
「――そんな気はさらさらないようだが」
彼の視線の先で真っ二つになっていたのは大きめの蜘蛛だった。恐らくニードがコーダと話をしているウチに、シアヤが背後から忍び寄らせていたのだろう。彼女があまり会話に口を挟まなかったのも、その操作に神経を使っていたからに違いない。
「あラー、避けられちゃったヨー」
「《警戒網》ですか、さすがにこのくらいの事は憶えていたのですね」
《警戒網》とは、自分の感覚を一定範囲内まで広げ、その範囲内に入った全てのものを知覚するという魔法である。コーダは魔導列車での騒動の時、“砂影”の明確な関与を認めた時から、眠る時でさえも、この魔法を維持し続けていた。
だからこそ先ほどは、背後に忍び寄ったニードに気が付き、昼間にはコーダに向けて放たれた矢文を受け止めることもできたのである。
「《シッカーリド》ッ!」
コーダは、自分の召喚獣の名を呼ぶと、時計塔の屋根の上から中空に身を踊らせた。そこへ、下から大サソリがやってきて、コーダはそこに着地する。
「俺がお前達の誘いに応じたのは決着を付ける為だけだ」
「行くぞ」
極めて短い宣戦布告を済ませたコーダは手の中に投擲用と思われる小さなナイフを具現化させると、ニードとシアヤの足元に投げ付けた。
それを指差して唱える。
「光を持って光を奪え、《目くらまし》っ!」
詠唱終了と同時に魔法が発動し、コーダの投げたナイフがあたりの闇を白く塗りつぶさんばかりの大量の光を放つ。
ニードとシアヤは反射的に視界を焼かれることは避けられたものの、つい目を瞑ってしまった。そして目を開けた時には目の前からはコーダの姿は消えていた。
シアヤがすかさず自らの額に指を当てて唱えた。
「魔力よ我が魔力に応えるべし。《探査波》」
《探査波》はその名と呪文が示す通り、微弱な魔力の波を広範囲に渡って放つことで魔力を持つ者の居場所を特定する魔法だ。熟練すれば、その魔力の質をも判別できるようになり、反応があったとして、それが知っている人間のものならば、誰のものなのかを見分けることができる。
ただし、この魔法は諸刃の剣のような魔法であり、気を付けていれば自分が《探査波》で居場所を探られたことが
シアヤはコーダの魔力の質を知っているので、もしコーダの者ならばそれと判別できるはずだった。しかし、反応を確かめたシアヤは眉をしかめた。
「!? コーダの魔力が二つ感じられル!?」
「……やってくれますね」
「どういうコト?」
そのからくりを知っている風なニードに、シアヤは不思議そうな顔で聞いた。
「簡単なことですよ。コーダは召喚をしているんです。一つは《シッカーリド》、もう一つはコーダのものでしょう」
恐らく、二対一の不利な状況を打破する為に、まずはニードとシアヤをふた手に分けさせる作戦に出たのだろう。
だが、その狙いが分かった以上、その期待を裏切ってやるのが勝負の鉄則だ。
「適当に片方を選んで攻撃しましょう」
「挟み撃ちされるカモよ?」
片方を集中攻撃する選択をした場合、選ばれなかったもう片方が背後から近付いて攻撃をしてくる恐れがある、というのがシアヤの懸念だ。
「その時はその時です。警戒さえ怠らなければどうにでも処理できるでしょう」
そう言って、ニードは暗闇の町並みへと足を踏み出した。
時計塔と隣の建物の屋根とは随分高さが違ったが、それでも着地した時は怪我をするどころか音すらしない。高いところから飛び下りた衝撃等全くないかのように滑るように目標へと速やかな移動へと移行する。それに習ってシアヤも音を全く立てずにあとに続いた。
五分もしないうちに、《探査波》で探った場所の近くまで到達した。ここからは五感を研ぎ澄まさなければならない。夜は影達の天国だ。どこにでも隠れられる。視覚に頼っていてはあっという間に騙し討たれてしまうだろう。
しばらく付近の影を点検しつつ歩いていると、自分の張った《警戒網》から何かが侵入した。正体が分からない以上、迂闊に受ける訳にも行かず、ニードは振り向きざま短刀を抜き放ち、飛んできたものを弾く。
弾かれてくるくると宙に浮いていたのは、先ほどコーダが具現化したのと同じ投擲用ナイフだった。
ニードは、飛んできた方向、勢い等から計算し、このナイフが投げられた場所を目指して駆ける。だが、その途中で、ニードの脇の物陰からコーダが飛び出し、曲げ短刀で斬り掛かってきた。ニードが投げた場所を特定することを計算に入れ、投げた直後にそちらに向かう道筋で待ち伏せていたのだ。
(恐らくは攻撃は一瞬だけ、そのまま走り抜けてまた隠れるつもりでしょう)
シアヤが同行していることをコーダが把握していない訳がない。下手に斬り結んで立ち回るとニードで手一杯の所にシアヤが攻撃を仕掛けられ、手も足も出なくなってしまう。
そう考えているのなら、ただそれを邪魔してやればいい。
ニードはコーダの刃を自分の短刀で受け止めると、コーダの進行方向に回り込み、立ちふさがった。襲い繰る刃をキッチリと自分の短刀で受け止め、迫り合いへと持って行く。
「シアヤ」
「分かってるヨ」
ニードが抑え、身動きの取り辛いコーダに向かって、シアヤがいくつものナイフを投げ付けた。夜で視界も聞かず、風も強い中、一つも狙いをあやまたず、真直ぐコーダに突き刺さる。
あまりにもあっさりと、ナイフをその身に受けたコーダだったが、うめき声一つ上げない。それはニードに強烈な違和感を与えた。それはそのまま悪寒へと繋がり、ナイフの刺さったコーダの身を突き飛ばすように離すと、シアヤのナイフが刺さったままのコーダの身体はたちまち存在感を失い、霧のように消えてしまった。
「《現し身》……!?」
それは実体の伴う分身を作り出す魔法だ。普通は本体と同じ動きしかできないが、熟練した使い手ならば、遠隔操作のように本体とは違った、複雑な動きもできるようになる。
さらにニード達の悪寒が増すところに、今度は屋根の下の死角から数条の光線が放たれてきた。コーダが得意とする《狙撃》の連射だ。前回、ニードがコーダと戦ったときに見せたように、光線を曲げて攻撃しているので狙撃手であるコーダの姿は見えない。
コーダの放った光条はまっすぐにニードへと伸びていく。《現し身》のコーダと組み合って体勢の崩れた彼には、これをよけることは難しい。
そこに、シアヤがニードの前に立ち、両手を前にかざして、その名を呼ぶ。
「《ランチェーレ》ッ!」
すると、彼女の手の中からまばゆい光があふれ、それが収束して現れたのは巨大な蜘蛛で、それはあっさりとコーダの《狙撃》を防いでしまった。この大蜘蛛は砂影の一人、シアヤがもつ召喚獣だ。
「シアヤ、下です。建物の中にコーダがいます」
攻撃から逃れられたことに安堵するまもなく、ニードはシアヤが《ランチェーレ》で攻撃を防いでいる間に、壁を通して見る魔法《透視》でコーダの姿を探し出していた。
あの《狙撃》は、屋根の下の影どころか、建物の中から窓を通して放たれたものらしい。
その言葉に応えて、シアヤはすぐさま《ランチェーレ》に乗って屋根から飛び降りる。
ニードは、自分の召喚獣である大蜂《ジェングスタフ》を召喚し、シアヤが降りていったのとは反対側の窓へと回り込む。そうすれば建物の中で挟み撃ちにできるはずだ。
だが、その可能性を察知したのか、ニードが窓から飛び込む直前、コーダがその窓を破って飛び出してくる。タイミングからしてシアヤが突入して直ぐに離脱を決断したらしい。
屋根から屋根へと逃げて行くコーダを、それぞれ召喚獣に乗ったニードとシアヤが追い掛けて行く。
先ほど《現し身》を絡めた死角からの《狙撃》でどちらか一人でも仕留める、もしくは手傷を追わせられなかったのは痛かった。あれで居場所が割れて、今後奇襲が使えないことは分かり切っていたことなのに。
何とか建物の中での挟撃は免れたものの、自分の足で逃げる自分を、ニードとシアヤは召喚獣で追ってきている。脚力の違いは著しく、こまめに方向転換をして小回りよく逃げても大してもつまい。
コーダが、彼等に見つかる前に仕掛けた罠は“あと一つだけ”。それも、あと少し逃げ切らないと使えない。
全力以上の疾走に、コーダの足が悲鳴を挙げているが、それを聞き入れている暇はない。いつ足がもつれて転倒してもおかしくないほど余裕を削って、コーダは走る。
ある地点を過ぎた時、遂にコーダは足をもつれさせて転倒する。ごろごろと転がるが、なんとかその勢いを利用し、完全な無防備ではなくしゃがんだ状態まで立て直す。
しかし、いくら戦闘体制をとっていても、身一つのコーダは、召喚獣に乗ったニード達の相手にはならない。だが、それでもコーダはニード達に対して全く諦めた様子を見せずに相対し、手を振り上げて叫んだ。
「《シッカーリド》ッ!」
すると、迫り繰るニード達の目の前に《シッカーリド》が飛び出してきた。
《探査波》で攪乱する為にコーダから離れていた《シッカーリド》であったが、ニード達と抗戦している間に密かに呼び寄せていた。そして、この建物の間に潜ませて、奇襲を仕掛けさせたのである。
突然の大サソリの出現に、ニード達の動きが止まる。《シッカーリド》はその隙を逃さず、その大きなハサミを振り上げて、召喚獣もろとも薙ぎ払う。
これで、仕留められるとは思っていないが、殴られて体勢を崩したところを攻撃すれば、今度こそ一人はやれるはずだ。
だが、頼みの《シッカーリド》の攻撃は、ニード達の身体をすり抜けて行く。
「何っ……!?」
驚愕するコーダだったが、続いてしゅるしゅると音を立てて粘着が彼の身体に絡み付いてきた。シアヤの《蜘蛛の糸》だ。しかも彼女の召喚獣《ランチェーレ》に吐き出させたものらしく、通常の《蜘蛛の糸》より糸の量が多く、強度が高い。
「残念でした」と、《ジェングスタフ》の上に乗ったニードは、にやりと笑って言った。「騙すのならば、騙される可能性も考慮すべきでしたね」
続いて、すっ、とニード達の姿が消えたかと思うと、全く別の場所――コーダの背後に現れた。
その現象を見たコーダは、苦虫を噛み潰したように漏らす。
「《蜃気楼》……だったのか……」
《蜃気楼》は光を曲げて、自分の姿を別の場所に写し出す魔法である。同じ系統の魔法で幻を作り出す魔法《幻影》があるのだが、これとは違い、幻の自分を見せるのと同時に自分の姿が隠せるという大きなメリットのある魔法だ。
しかし、目は騙せても、鼻と耳はごまかせないので、五感をしっかり働かせていれば引っ掛からない。とはいえ、《蜃気楼》は“砂影”十八番の戦法であり、音や匂いを誤魔化すことはさほどの苦ではない。
が、それでも同じ訓練を受けてきたコーダならば、目に頼らず、嗅覚や聴覚をもっと駆使していれば、気付けた可能性は高かっただけに、彼は悔しさを隠せない。
「悲しむべきはこの状況です。コーダ。あなたは“砂影”を抜けてしまった。だから、今は私達かあなた、どちらかしか生き残れない」
「そしテ、生き残ッタのはアタシ達」
「おいおい、まるでもう勝っちまったような言い方だな」
《蜘蛛の糸》で縛られ、絶望に顔を引きつらせるコーダに、言って聞かせるように囁いていたニード達だったが、自分達でもコーダでもない第三者の声に、勝利に酔いしれていた顔を再び引き締め、あたりを警戒する。
反対に、コーダは聞き慣れた声に、目を見開き、若干血の気が退いていた顔に生気が戻った。
「兄さん……」
「よっ。いつもの夜遊びにしちゃ随分ヤバそうだなー、コーダ。引っ掛けた女が悪かったのか?」
どうやって自分の現在位置を知ったのかは分からないが、そこに確かにリクはいた。
「リク=エール、ですか……」
「とんだ邪魔が入ったものネ」
流石に、彼の登場は予想外だったらしく、ニードとシアヤは揃って、余裕のある表情と言動の中に影を覗かせる。
反対に、リクは陽気に話し掛けた。
「まあ、そう邪険にすんなよ。俺の仲間が世話になったみてぇだし――」と、一度言葉を切ったリクは、表情を一転、友好的な表情から一気に敵対的なそれへと変じさせ、携えていた刀の柄に手を駆ける。「――礼の一つくらい受け取りやがれッ!」
持つ者の身体能力を著しく強化し、特に居合いの一瞬は神速とも呼べる速度を与える魔刀《煌》。それを、二人に向かって放つ。
資料によって、その能力を知っていた、“砂影”の暗殺者二人は反射的にその場から大きく退く。だが、リクは構わずその場を駆け抜け、コーダの傍に駆け付けた。すれ違い様にコーダの身を束縛していた《蜘蛛の糸》をあっさりと斬って落とす。
「ありがとうございやス。助かりやした」
「アホウ、勝手な行動するんじゃねぇよ。こうなることは分かってたんだろ? 何故俺達に声を掛けねぇ」
絶体絶命の危機から再び自由の身になったコーダが、一言礼を言うと、リクは不機嫌そうに言った。
「よくここが分かりやしたね?」
「女漁りでも、いつも一声掛けてから出るヤツが黙って出て行くんだ。追うに決まってるだろ」
もっとも、《シッカーリド》を使っていたコーダの足には追いつけず、去った方向からあたりを付けてここを見つけるのには大分苦労したがな、とリクは苦笑して話す。
「でも、気付かれないように出たはずなんスけど」
「俺はな、ファルに一ヵ月、猛獣のうろつくジャングルに放置されたことがあるんだ」
ジャングルでは虎がいた、蛇がいた。虫もいた。とにかく、命の危険もある猛獣がうろつき、よるもおちおち寝ていられない。
だが、眠らなければジャングルでは体力が持たない。そこで、熟睡しながらでも、気配を断って自分を狙う猛獣の動きを感知できるようになれなければならなかった。
「その後からは、時々ファルに夜襲を仕掛けられたこともあったしな」
「……イヤ、そんな遠い目で語られても」
とにかく、そういった事情でリクは眠っていても夜中に気配を消して起き出したコーダの動きを感知していたらしい。
リクは、再び鞘に納めた《煌》を軽く挙げて言った。
「早く片して返ろうぜ。カーエスあたりに見つかったらうるさそうだ」
その言葉に、西方訛りで値切り交渉をするカーエスの姿が脳裏をよぎり、コーダはくすりと笑ってうなずいた。
「そうスね。あ、兄さん、これを」
「何だこれ?」
リクは、コーダがよこしたひと粒の丸薬を目の高さに挙げて尋ねる。
「“砂影”が使う毒を一定時間無効にする薬ス。これを飲めば、しばらくは毒は怖くありやせん」
“砂影”は総じて攻撃力には乏しいが擦っただけでも効く毒が厄介だった。しかし、この丸薬を飲んでおけば体内に入り込んでくる毒は即時に中和されるので、毒を気にしなくても良くなるのである。
リクは、ごくりとそれを嚥下すると、《煌》を構えて、離れたところに立つニードとシアヤを睨み付けた。
「これで思い切り闘えるってわけだ」
「そうそう思い通りに闘わせる訳にはいきませんがね」
鋭いリクの視線を受けたニードは、澄ました表情でそう言うと短刀を構えて小声で何かの呪文を唱えた。
すると、ニードの身が沈んで行き、姿を消してしまう。
「消えた……?」
その様子を傍で見ていたコーダがハッとして、横から口を出す。
「兄さん、《影縫い》でやス! 足元に注意を!」
コーダの注意が届くか届かないかのタイミング、沈んだ時とは全く違う勢いで短刀を構えたニードがリクの影から飛び出してきた。リクはその刃を間一髪でかわし、続く攻撃を《煌》で弾き返す。
《影縫い》は、移動距離は限られているが、自分の影と相手の影を繋ぐ魔法だ。それを渡ることで一瞬にして差を詰め、奇襲を仕掛けることができるのである。
「ふむ、その“シルオグスタ”は伊達ではないようですね。いい反射神経です」
口では呑気に評価しながら、次々と繰り出されるニードの攻撃を、リクは必死でさばく。短刀の距離であるこの接近戦では、刀はあまり有利な武器ではない。とてもではないが、防ぐので精一杯で反撃は難しい。
「このままでは埒があきませんね。次の手でいきましょう」
そう漏らすと、突然ニードは側転してその場から退くと、その背中から迫るのはシアヤの《ランチェーレ》が放った粘着性の《蜘蛛の糸》だった。
「《狙撃》ッ!」
しかし、横合いからコーダが放った光線により、その《蜘蛛の糸》は阻まれてしまう。
「邪魔はいけないネ、コーダ」
《ランチェーレ》の上のシアヤは投擲用ナイフを手の中に具現化させ、コーダに向かって投げる、と見せ掛けてリクに向かって投げた。
それに合わせて、ナイフの後ろからニードの《ジェングスタフ》がリクに向かって突っ込んでくる。
ナイフと《ジェングスタフ》、二つの波状攻撃でリクを集中攻撃する腹らしい。
「だが、ナメるなよ?」
リクは、鞘に戻した《煌》を居合いに構えると、直前までナイフを引き付けて、一気に叩き落とすべく刀を抜き放った。
ナイフを全て叩き落とし、そのままの勢いでもって《ジェングスタフ》に対応する。
そのつもりだったが、ナイフをたたき落とした瞬間、身体の各所から痛みが走った。痛む箇所に目を向けると、そこにはナイフで刺したような傷がつけられていた。
「なっ……!? ナイフは全部たたき落としたはずなのに……」
「よそ見はダメですよ」
背後からぬっと現れたニードに囁かれて、リクはびくりと身体を震わせた。巨大な蜂である《ジェングスタフ》が目前に迫るのに気を取られている隙をついて、《影縫い》で移動したのだろう。
背後には暗殺者、前方からはそれが操る召喚。分かりやすい危機に、リクの身体はほぼ反射的に刀を抜き、技を繰り出す。
「二つの刃が巻き起こす風・《旋》ッ!」
左手に鞘を握り締めたまま、刃と鞘を使って竜巻のように回転し、前後の攻撃をはじき返す。そのときにできた隙をつき、リクは転がり出るようにしてニードと《ジェングスタフ》の間から転がり出るようにして避難した。
「あの状況から脱するとはお見事ですね」
圧倒的有利な状況から抜け出されたのにもかかわらず、“砂影”の暗殺者は不敵な笑みを崩さない。
「でも、まだまだです」
その言葉に呼応するように、足元が崩れ、ようやく危機から抜け出たところで不意を突かれたリクはあっけなくその中に落ちてしまう。
その落とし穴の中には槍などは仕掛けられていなかったが、代わりに糊のような粘着質の液体に満たされていた。
《蜂の巣》と《蜂蜜》。“蜂使い”であるニードが敵を捕縛するために多用する魔法である。もっとも自然に存在するそれらより、《蜂の巣》は頑丈であるし、《蜂蜜》より粘性を増してあれだけ深く漬かっている状態では身動きが出来ないようにはなっているが。
「あのコ、アタシらと戦うにはチョット正直者すぎるネ。相性が悪過ぎるヨ」
先ほどからコーダとシアヤは戦いを止め、リクとニードの戦いを見守ることに専念していた。聞くに、シアヤはコーダに邪魔をさせなければいいらしい。
シアヤの言葉に、コーダは言葉を返せなかった。“砂影”の戦い方は狡猾そのものだ。一族が伝える魔法に派手で強力なものはないが、その分、騙したり罠にかけたりする魔法は山ほどある。
理屈の通用しない、大型クリーチャーと戦うには心もとないが、“砂影”は暗殺者一族だ。相手はあくまで人間であり、魔法がそれほど強力でなくても人一人を殺傷するのに問題はない。よって、暗殺をするための戦略に幅を持たせる方向に特化していったのである。
対してリクの闘い方といえば、フェイントは多少使うものの、基本的に正面から四つに組み合って戦うやり方だ。いくらファトルエルで優勝しようが、グランクリーチャーを退けようが、“砂影”にとっては騙しやすいカモのようなものなのである。
「兄さん……ッ!」
駆け寄ろうと足を踏み出そうとしたが。次の瞬間、首筋にシアヤの毒針が突きつけられる。
「邪魔はさせナイよ」
抗毒の丸薬を服用したので毒の脅威はないが、それでもシアヤの針は確実に延髄を狙っている。
しかしコーダはこの攻撃を避けることはできた。先ほどから交戦しているところを見ると召喚獣の戦闘能力は、おそらく《シッカーリド》にはっきりと劣る。
騙し合いになってもコーダは“砂影”の戦術を知り尽くしている分、一対一で戦えば十中八九勝てるだろう。
だが、シアヤもそれを承知しているはずだ。ここでコーダが強行突破を狙っても、彼女は目的を果たすことに専念し、コーダを制することにこだわらず、ただ彼を足止めするために戦うに違いない。
そうなると、彼女の操る大蜘蛛《ランチェーレ》が得意な《蜘蛛糸》がモノをいう展開になるだろう。
とてもニードがリクに止めを刺すのに間に合うとは思えない。
それでも何もしないで見ていることはできない、と戦闘体制をとり、シアヤとに向かって腰を落とすコーダだった――が、実際に闘いに移ろうとしたとき、あたりがまぶしい光に照らされた。
「!?」
何が起こったのかわからず、目を細めて光源を確認するが、あまりにも強い光源に照らされている範囲外のものはほとんど見えない。
しかし、かろうじてその強い光源の向こうに人影が認められた。そして、その人影からは拡声器を通した大きな声で言葉が投げかけられる。
「ハーッハッハッハッハッ! 久々の大捕り物だ! 最近の悪人は潔すぎていけねェ! テメェらは存分に抵抗して俺を楽しませてくれよォ!?」
どこかで聞いたような声と言い草だった。