08『方針』
そこには何かある。
何かが待っている。
そう思うといても立ってもいられない。
例え、そこがどんなに居心地のよい場所でも。
そこで誰かが自分を必要としていても。
「さて、怖れていたことが現実になってしまいましたね」
別室に移動した一同を前に、ルナイトが沈痛な表情を露にして漏らす。
――我々はもはや敵同士だ。
これ以上なくハッキリとしたウォンリルグからの敵対宣言だった。おまけに死体を操り、カンファータ王であるハルイラや、エンペルリース皇帝のフェルヴァーナに近付けさせて爆発させ、攻撃させるという行為までついてきたのであるから別の解釈を検討する余地もない。
三大国協商を核に百年間続いた平和は終わりを告げた。明日、いや今日からいついかなる時にウォンリルグから侵攻が始まるか分かったものではない。
「今私達には二つの道が用意されています。一つが応戦すること。もう一つがただ守りに徹することです」
「そんなこと、考えるまでもありませんよ」
真っ先に発言したのはフェルヴァーナに付き従っているクルフェだ。
「我々は皇帝陛下が命を狙われたのです。ここで黙っていては相手につけあがられるだけでしょう。何の為の三大国協商ですか? 一つの国が裏切った時、二つの国でそれを潰せるからでしょう」
そう、だからこそ、百年もの間平和を保つことが出来たのだ。一国が三大国協商体制に反旗を翻しても、その一国は残った二国、世界の三分の二の勢力を相手に回さなければならない。その事実が強力な抑止力となっていたはずなのだ。
その意見に、ジェシカが難しそうな顔をして頷く。
「……確かに両陛下の御命を狙われて見過ごすのはよくないかもしれません」
言うまでもなく、国家元首の命を狙うのは重大では済まされないほどの大罪である。それを黙っていると、クルフェの言う通り、相手が再びハルイラ達を狙う機会を与えるようなものであるし、そこまでされて黙っているという事実が明るみになれば、国防の怠慢、もしくは国力の弱体化と取られ、内乱の理由にもなりかねない。
「リク様はどう思われますか?」
「俺は……国レベルの難しいコトはよく分からねぇからな。一般人レベルで発言させてもらえれば、戦争されて一番割を食うのは民衆だ」
百年前までは頻繁に起こっていた戦争で、一番負担が大きかったのは民衆だ。戦場になれば生活の場を奪われ、その前には食糧などを徴発される。そんなに直接的なものでなくとも、戦費を賄う為に戦争税を掛けられ、苦しい生活を余儀無くされる例も少なくない。
「だから、できるだけコトは穏便に済ませて欲しいと思う」
リクの結論を、クルフェはわざとらしく鼻で笑ってみせる。
「ハッ、全く……。世界に冠する“ヴィリード”の台詞とは思えないね。我々は世界の守護者なんだ。そんな民衆レベルの甘く単純な思考は捨てて、世界の存続の為に広く深い視野を持ってくれなければ困る」
「リク様を馬鹿にするのはそこまでにしてもらおうか」
ぴたり、とクルフェの喉元に突き付けたのは勿論ジェシカである。普通、要人が行き交うこの建物には武器の持ち込みは禁止されているのであるが、一国の王女であるジェシカの槍だけは取られなかったらしい。そのことを失念していたのか、“千手”と呼ばれるクルフェもつい気を抜いてしまったようだ。
「……驚きましたわね。一国の王女が“ヴィリード”とはいえ、一般市民を相手に様付けした上、そこまでの敬愛を見せるなんて」
「それほど純粋な尊敬の対象なのだと御理解下さい、フェルヴァーナ様」
目の前の展開を見て、楽しそうに含み笑いを浮かべるフェルヴァーナに言葉を返すと、槍を突き付けたクルフェに向き直った。
「クルフェとか言ったな。私はこの問題に対して黙殺するべきではないと言う貴殿の意見には賛同したが、それでも民衆の視点を切り捨ててよいという意見には到底賛同できない。貴殿は貴族で、実力もあって“ヴィリード”となり、今は女王陛下の護衛も行うエリートだ。それゆえに、民衆から立場も遠く、彼等の苦しみが目の前に見えていないと思われる」
民あっての国だ、とジェシカは思う。民がいなくなったらどうなるか、常に考えろと父・ハルイラは言って聞かせてきた。
そして、ジェシカは魔導騎士団の一人としてカンファータの各地を回り民の生活を見てきた。土地柄カンファータは土地が豊穣とは言えず、物資は常に不足している。それを一生懸命流通させ、ジェシカ達王族に提供しているのは民衆である。
「それはエンペルリースでも同じだろう。カンファータとは違ってそちらの土地は肥沃だ。しかし民衆がいなければ田畑を耕し、農作物を育てる者もいなくなる。そして日毎の食物は貴殿の元には届かない。民の立場を尊重しないことで良いことなど何一つない。貴殿はそのことをよく承知しておく必要があるように思う」
「……随分御立派な跡継ぎをお持ちですのね、ハルイラさん」
「ああ、しばらく見ない間に大した成長を遂げたものだ」
二大国の国家元首がそれぞれジェシカの言葉に感銘を受ける横で、完全に言い負かされた体となったクルフェはそれきり口を噤んでしまった。
「さて、議論も結構なことですが、具体的に今回の事態への対応策を話し合いましょう。リク殿はできるだけ事を荒立てないようにとのこと、クルフェ殿とジェシカ殿は応戦も辞さない考えをお持ちのようですが、国家元首のお二人の意見はいかがでしょうか?」
ルナイトが話を振ると、まずハルイラが少々考える仕種を見せたあとに答える。ちなみにフェルヴァーナは最初から先に答えるつもりはまるでないらしく、不敵な笑みを口元に浮かべながら彼の答えを待っていた。
「私は今は戦いに出るべきではないと思っている。とはいっても、リク君とは違う視点からの理由が大きいのだが」
「どういうことですか?」
「何、単純な考えだ。マータ・ツァルアリータも三大国体制の持つ意味が分からないほど馬鹿ではないだろう。自国が戦線布告をすれば他の二大国が相手をすることは重々承知のはずだ。それなのにこんな派手な真似をしてまで戦争状態に移行した。つまり、仕掛けて二大国を相手にすることになってもなお勝算があるということなのだと思う」
単純に考えれば二対一の戦力差だが、この程度の戦力差をひっくり返して勝利した例など枚挙に暇がない。特にウォンリルグは家族国家として知られている。兵一人一人の質はともかく、統率力はカンファータやエンペルファータの比ではない。
「それは単純に考えての話でございますよ、ハルイラ様。こちらには我々“ヴィリード”がいますし、技術においては私達には魔導研究所があります」
言い負かされた衝撃から早くも立ち直ったのか、クルフェが言葉を返した。
ウォンリルグが協力を渋った為、本来三大国共同での研究開発の場となるはずであった魔導研究所もカンファータとエンペルリースの二国のみの共同研究機関となっている。当然、ウォンリルグから技術的な情報を受け取ったり与えたりするようなやり取りはしていない。
よって、ウォンリルグの技術はほぼ完全に独自のものとなっているのだ。二国合わせて研究開発をしていたこちらと、一国のみの力で行っていたウォンリルグ、技術力としては大きく水を開けているとの見解が一般的である。
「だから不可解なのだ。それを彼女が分からないとは到底思えない。行動に出るからにはその不利が働かない保証があると見るべきだ。とにかくウォンリルグが強気に出られる理由をハッキリさせることが先決であろうと思うが、貴女はどう思うかな、フェルヴァーナ殿」
「私の腹は決まってますわ。こちらから出る気はありません」
ハルイラが水を向けられたフェルヴァーナは即答した。
「だって、こんな明らかな挑発に乗るなんて癪ですわ」
“癪”で済ませていい話なのか。国際情勢の大問題を。
ほぼ全員――クルフェでさえ心中でそう突っ込んで表情を凍らせる中、ルナイト一人穏やかな表情を崩さずに、言った。
「ということは両陛下の意見は応戦して本格的な戦争に入る気はないということですね?」
ルナイトの確認に、二人の国家元首が頷く。
「だが、防備を整える事は必要だ」
「それに、国内に入っているウォンリルグ人を洗い出すこと。それとルナイトさん」
「何でしょう?」
「“ヴィリード”を集められるだけ集めておいていただけるかしら? “ラ・ガン”に対抗できるのは彼等しかおりませんもの」
“ラ・ガン”はウォンリルグにおけるマータ直属の精鋭部隊のことだ。全部で十三人いると言われているが、それぞれの実力は“ヴィリード”と同等であると言われている。リクがエンペルファータで戦ったグレン=ヴァンタ-=ウォンリルグもその“ラ・ガン”の内の一人だった。
「分かりました。どれだけ集められるか分かりませんが、最善を尽くします」
今後しばらくのおおまかな方針が決定した時点で会議はお開きとなった。あとは各々国に戻り、細かい部分を決めつつ動かなければならない。
ハルイラは、自分の書類をまとめて小脇に抱え、自室に戻る途中でリクに話し掛けた。
「これからどうするつもりだね?」
「ああ、これからエンペルリースに入ってティオ街道を西に行くつもりなんだけど」
「……それは今すぐでなければ駄目なのか?」
重ねられた質問に、リクは眉をしかめる。
「どういう意味だ?」
「先ほどの話にも出ていたであろう。“ヴィリード”としてウォンリルグの侵攻を防ぐ手伝いをして欲しいのだ」
“ラ・ガン”は十三人、“ヴィリード”は七人、ハッキリ言って数はあわない。おまけにあちらはマータ直属の精鋭部隊という役職なのに対し、“ヴィリード”は強さに対する称号に過ぎず、何の強制力も持たないものなのである。
もちろん、役職についているが故に手柄を立てる機会も多く、多くの“ヴィリード”はエンペルリース皇帝直属近衛隊長のクルフェやフォートアリントンの保安局長であるディア=サイードのように、“ヴィリード”でも何らかの役職についているものもいる。
それでなくとも、リクはエンペルファータで“ラ・ガン”を一人倒しているのだ。それだけの実績があればどの国にだって歓迎される戦力となるだろう。特に、既に戦時となった今では。
「悪いけど、今は留まってられないんだ」
“始まりの聖地”シャン=ヴィトーラ。エンペルファータの研究者・ティタに教えてもらったその場所は、“大いなる魔法”へのただ一つの手がかりだ。
それを前にして、立ち止まっていることなどできない。
「そうか……ならば仕方ないか。あまり他の事を気にしながら戦っていても実力は発揮できんであろうしな。まあ、ダメで元々の相談だ、気にしないでくれ」
「悪いな」
罰が悪そうに苦笑するリクに微笑みを返したハルイラは、次にジェシカに向き直る。
「私はこれから本国に帰らなければならないが、ジェシカはどうする」
一応、一国の王女であるジェシカだ。このままリク達と共に旅を続けるのは立場上好ましくない。
しかし、ジェシカは即座に首を横に振って答えた。
「私はこれからもリク様について行くつもりです。私は自分の未熟さを実感し、それを埋めるためにこうしてリク様に付き従っております。それが果たせない内に戻るなど世間の物笑いの種となりましょう」
「いや、公表はしていないから、世間の物笑いになることはないし、そもそも一国の王女が家出しているというほうが物笑いの種になるのだが」
「そんな輩は勝手に笑わせておけばいいのです」
多分に理不尽さを残す一言で、ジェシカがハルイラの反論を切り捨てる。
ハルイラはふう、とわざとらしく溜息をつくと苦笑して言った。
「……まあ、素直に戻って来るとは思っておらんかったから良しとしよう。リク君、ウチの娘をよろしく頼む」
「ああ、助かるよ」
では、と言い残し、ハルイラは自室に入っていったのを見送ると、リクはジェシカに目をやって言った。
「さて、カーエス達の所に戻るか」
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フォートアリントンでも一番大きな商店街の一角に店を構える雑貨屋の店主・ヤーマスは今までにないほどの困惑を味わっていた。目の前には大量の保存の利く食糧と、一人の可憐な少女がいる。
儚げな印象を持った少女は目の保養にもなるし、たくさんモノが売れるということはいいことだ。ただ、問題は少女が差し出している、白く小さな手に乗せられた金額である。
「……だからな、嬢ちゃん。これじゃ足りないんだよ。あと金三枚だしてもらわないと」
できるだけ、相手に威圧感を与えないように注意して言ってみるが、その度に少女は少しあとずさり、目を臥せる。
周りからは好奇の目がヤーマス達に集められている。自分達は外からどんな風に見えているのだろう。
ちょっと足りないくらいなら、まけてやっても良かったが、どこの誰がこの少女に買い物を頼んだのか、手に乗っているのは定価には程遠い金額だ。しかも、原価を少し割っている。
「これじゃ、原価も割ってしまってる。おじさんも生活があるんだ。困るよ」
すると、少女は俯けていた顔を少し挙げ、上目遣いにヤーマスを見た。
頼むからそんな目で見ないでくれ。
妻子持ちで、初老。男としても引退直前の年齢の彼だったが、この仕種には心臓を鷲掴みにされる心地がする。同時に背徳的な気分になり、罪悪感が込み上げてくるのだ。
おまけにこの少女は口が利けないらしく、負けさせる為の口上も無しにただ手に持ったお金を差し出してくるばかりなので、どうにも状況が動かない。無理矢理この店から追い出すことも考えたがこのいかにもか弱げな娘を相手にそれをするのは躊躇われる。
差し出された金額はほとんど原価は満たしているし、この値段で渡してしまってもそれほどの損失にはならない。それよりさっさとこの状況を終わらせたい。
ついに、ヤーマスは折れる決意を固めた。
「分かったよ、嬢ちゃん―――」
「うっしゃ、ようやったでフィリー!」
商店街から少し離れたところでコーダとカーエスは、雑貨店に買い物に行かせていたフィラレスと合流した。
カーエスは、買ったものの中身を確認して、歓声を挙げる。自分の仕事が上手くできたのかどうか気になったのかフィラレスは彼が確認している間中、ずっと彼の顔色を伺っていた。
「しかしえげつない作戦スね。フィリーさんの可憐な容姿を利用して情に訴えようなんて」
そう、先ほどの一幕は全てモノを安く買い叩こうというカーエスの作戦だったのだ。
まずはカーエスが下見に行き、値段と品物を見て原価を割り出す。そしてその原価より少し足りない額だけをフィラレスに持たせて買い物に行かせたのである。
もともとお金はそれ以上持って行かないのだから代金はそれ以上取りようがないし、事情などを聞こうにも彼女は口が利けない。
念のためフィラレスには相手がごねても決して退かず、困ったフリだけをしているように言い含めており、彼女の恵まれた容姿も手伝って相手が少々の損を承知で折れるところまで計算しつくした作戦であった。
「ええんやて。タダでさえこの街物価が高いねんから」
仕入れ値はそんなに高くないはずなのだが、都会イコール高いという一般意識を利用してか、わざわざ定価は高めに設定している店が多い。それでも買う人数は多いので、薄利多売ならぬ“厚利多売”で大儲けのできる街なのだとカーエスは言う。
「商人にとっては天国みたいな街スね」
「せやな。けど、何の工夫もせんと儲けられる街なんてつまらんよ」
「この街にはオワナ=サカ人の商人は一人もおらへんやろ。オワナ=サカの商人が生涯を捧げているのは儲けることではなく、商いすることなんやからな」
そう言って、カーエスは宿においた荷物からわざわざ持ってきた袋を取り出した。大きな袋だが、カーエスは軽々と担いでいる。
「あれ? それ、レンスで買った羽ッスか?」
「せや。ここの素材屋に売ったろうと思てな」
一般に走る由もないが、商人達の間ではレンスは珍しい色の羽を生産することで知られている。アオミドリという色からそのままとった美しい鳥の羽は色鮮やかで大きく艶もいい。服等を飾るのには最高の逸品なのである。
カーエスはどこからか、最近の都会ではそのような羽飾りが流行しているらしいことを聞き付けたらしく、品もさぞ不足しているだろうと、買っておいたのだという。
「商人っていうのはな、儲けるだけが仕事やない。儲けながら奉仕するんや」
お金があってもモノがなければ意味がない。今、彼が持っている羽を例えれば、いくら流行っていて欲しくても、なければ買えない。あるいはモノが少なすぎて値段が高くなってしまう。どちらにせよ、欲しいものが買えないと言うことは哀しいことだ。
だが、こうして今カーエスが羽を卸すことによって、少しはモノが出回るようになる。絶対数が多くなって値段も下がるかもしれない。そうすれば、欲しいと思っていた羽飾りが買えて嬉しい思いをする人はたくさんいるに違いない。
水がなくて困っている村に、水を売りに行ってやる、というのはもっと直接的な例である。もちろんお金は払ってもらうが、それでも水がないところに水を運んできたお陰で、その村はとても助かる訳だ。
つまり、売るならば、買った客が幸せになれる商売をする。
それが、彼の故郷・オワナ=サカの商人が目指す理想的な商売なのだ。
「いつかは俺もそんな商売やってみたいなぁ、ゆっくり行商でもして自由に動き回るねん」
「いいッスね、そんな夢も」
コカーエスの口からそんな夢の話を聞いたコーダは微笑ましく口元を緩める。
ずっとリクの夢に付き合ってばかりだった。叶うかどうか分からない壮大な夢。それに比べたらのどかな夢かもしれないが、それでも人を幸せにしたいという想いは同じだ。
「……安う買うのより高う売る方が数倍難しいねんなぁ」
アオミドリの羽を素材屋に持ち込んで六分刻ほど経ったころ、難しそうに眉を歪めたカーエスが店から出てきた。片手には代金として受け取ったと思われる金貨が六枚ほど握られている。
「儲けられなかったんスか?」
「いや、一応儲けは出てんねん、金一枚分やけど。しょせんは未加工の羽やしな。保存状態は悪いとかいろいろ難クセ付けられたわ」
聞けば、実際にモノを売ろうとしたのはこれが初めてなのだと言う。
買う方であれば、原価を予測し、いろいろ駆け引きをして安く買えば良い。あとは使うだけなので保存方法など考えなくても良かったのだが、売るとなるといかに買ったモノの質を落とさずに保存するか、どう運ぶか、どう売り込むかなど、買う時とは全く別のテクニックがたくさん必要なのだ。
「ま、それだけ学べただけよしとしよ」
「その金貨、とっといたほうがいいスよん。何しろカーエス君の夢の第一歩な訳でやスし」
「せやな、あとで何かアクセサリーにでも加工してもらおうかな」
買い物も終わり、そろそろ帰ろうかとコーダ達が宿へと歩き出した時、周りがざわざわと騒ぎ出した。
「え、何? どしたん?」
きょろきょろと周りを見渡すカーエスとフィラレスに、コーダはざわめきから聞き取った情報を伝える。
「保安局の人達が通行人に呼び掛けているそうス」
「何て?」
それはコーダの答えを待つことはなかった。拡声器を通した声が聞こえてきたからである。
『通行人の皆様、我々は保安局の者です。どうか、混乱なさらずに聞いて下さい。とある筋からの情報によりますと、この街にテロリストが潜入した可能性があります。市民の皆様は速やかに全員帰宅をして下さい。市民でない方も宿泊先に戻って下さい。
また、不審な動きをしている、または怪しい荷物を持っている人物を見かけたら保安局まで通報をお願いします。ただ今大変危険な状態です。慌てず、確実に各自安全を確保して下さい。繰り返します――』
「テロリストぉ?」
カーエスとフィラレスが顔を見合わせる。
「あの列車襲撃犯のことかいな」
「今頃になって知らせやスかね、そういうこと」
魔導列車が襲撃された事件は一般には公表されていない。あれほど大規模で危険な事件を公表すると混乱が起こるのは必至だからだ。リク達があの列車を止められていなければ、今頃街は大惨事だっただろう。それが容易に想像できるだけに、それを知った一般市民は呆気無く混乱に陥るに違いない。
今の告知も、列車襲撃については全く触れずに「テロリストが紛れ込んでいる」という情報だけを公開している。それは何故か。
「状況が変わったとしか思えないスね」
あの保安局の職員はいかにも“事件を起こす可能性のある者が潜入している”ように言っているが、おそらくそれは逆だ。
「何かがあったんスよ、それも余程の重大事が」
その捜査のためにまずは邪魔な人込みを退けつつ、上手く行けばフォートアリントンの全市民の目で犯人を探すことができるというメリットを見て告知に踏み切ったのだと考えられる。
「重大事なぁ……、なんやろ?」
「例えば、国際会議所で何かあったとか」
例えば、とコーダは言ったが、内心確信に近い考えだった。今、フォートアリントン国際会議所では三大国のうち二国の国家元首が揃っている。そこを狙われたのならば、あのような恥も外聞も捨てた対応も無理はない。
「で、でもあっちにはリクもジェシカもおるし……」
「そうは言っても、どれだけ護衛が強くてもそれをくぐってしまえば済むもんなんスよ、暗殺ってのは」
それは元“砂影”の暗殺者であったコーダには良く分かっていることだった。
だが、大国の元首が殺されるとなると、それなりに混乱も大きいはずで、繰り返し注意を呼び掛けている保安官達の落ち着き具合からして、そんなことはなさそうだが、末端の保安官達には何も知らされていない可能性もある。
「……ともかく情報が少ないスね。カーエス君、フィリーさん、俺は便利屋ギルドの方を当たってみやスから、カーエス君達は宿で兄さん達を待っててくれやせんか?」
国際会議所で何かあったとすれば、本来部外者のリク達もその内会議所の外に出されるだろう。宿から出て買い物をしていることをリクは知らないので、入れ違いにならないように誰かが宿で待っている必要がある。
「よっしゃ、分かった」
カーエス達が宿の方に向かって駆けて行くのを見送ると、コーダは人の流れをかき分けてこの大きな街に隠れた便利屋ギルドの窓口を探す。
そもそも便利屋ギルドというものが、かなりの内輪の結束が堅く、いわゆる“一見さん”はその影を見ることすら叶わない。一番マトモな方法が、一人の便利屋を探して、力を認めてもらい、紹介してもらうという方法だ。
しかも、場所は度々変わる。ただしギルドの連絡員は大抵所定の位置にいるのでその連絡員に場所を教えてもらえば良い。ただし知り合いでない限り料金は掛かるが。
この町の便利屋の連絡員は複数おり、一番近い一人は商店街の外れで靴磨きをやっている男だ。その男に合い言葉で話し掛ければいい。
折よく、この騒ぎにも関わらず、靴磨きの連絡員はまだその場で座っていた。
「すいやせん、“この靴、星が映るくらいにぴかぴかに磨いて欲しい”んでやスが」
「“そういうのがお好みなら、表面に星を描いてやろう。星座はどんなものがお好みかね?”」
「“車座”がいいス」
コーダはそう言って、金貨を一枚彼に差し出す。すると、当然のようにそれを受け取ると、俯いたまま言った。
「そいつは俺には描けないね。ここから“三”つ目の角に住んでる“画家”を尋ねてみな。“赤”い屋根の家だ」
「ありがとうございやス」
コーダは礼を言ってその場を辞すると、東のほうへと進む。
場所のほうは検討がついたが、先ほどから頭から離れないのは例の“砂影”の二人だ。エンペルファータで安易に“暗獣”を与えた一件といい、列車襲撃事件と言い、どうも今までになく活動的になっている気がする。もしかしたら、国際会議所の一件も“砂影”が絡んでいるのかもしれない。
彼等なら、世界でも最高レベルを誇る国際会議所でも警備をくぐり抜けて忍び込むのも無理ではない。
それよりも気になるのがタイミングだ。特にエンペルファータの一件ではクーデターの首謀者・ディオスカスはウォンリルグに亡命しようとし、ウォンリルグの“ラ・ガン”グレン=ヴァンター=ウォンリルグが出てきた。
そして、“砂影”に与えられたものであろう“暗獣”を持つ男は、拉致したフィラレスを運ぶ重要な役割を持っていた。
これらが示していることは――
その時、反射的に動けたことに、コーダは自分でも驚いた。
コーダは振り向きざま、自分の眉間の先に手を伸ばし、空を掴んだ。だが、空を掴むはずのコーダの手が握りこんだのは、びぃん、と震える一本の矢だ。
そのまま、射線をなぞって視線を移すが、既にその先の屋根の上には誰の姿もない。
そして矢に目を落とすと、矢じりの付け根に細く折り畳んだ紙が結わえ付けてあった。
「………」
それをほどいて外し、目を通したコーダはもう一度、この矢の射手がいたであろう建物の上、その先の夕暮れに赤く染まる空を睨み付けるように見上げた。