01『御到着』
誰なのだろう、砂漠のど真ん中という過酷な場所にわざわざ街を作ったのは。
そして、その街にはるばる砂漠を越えて移住してきた物好きは。
砂漠には水がほとんど無い。そして食べ物が無い。
昼間には何に遮られる事もなく全てを灼き尽くさんとばかりに太陽光線が降り注ぎ、夜には一切の熱が何に捕まえられる事も無く空へと放たれ、残されるのは皮肉にも見る余裕が無いきれいな星空、そして昼間の暑さが懐かしくなる寒さのみ。
砂漠では人であろうと、そうで無かろうと強い者しか生きていけない。
その為か、ファトルエルと名付けられたその街には強い者しか集まらなくなった。
そしていつしか、この街は闘う者たちの聖地となり、“決闘の街”と呼ばれるようになった。
「「ようこそファトルエルへ」」と、2人の門番が見事に声を揃えて敬礼をする。
敬礼された二人組の男の内の一人は「御苦労さん」と、一言言って、街の中に入っていき、もう一人の男はだらだらと大粒の汗を流しながら重そうに大きな荷物を持って、その後に続いていく。
荷物を持っていない方は、中年風だが灰色の髪と目、筋肉質な身体を持つ大柄な男で、渋い魅力溢れる男盛り。
もう一人は若者で、栗色の髪とエメラルドグリーンの目、背格好は普通、年齢より若く見られるタイプの人間なのか、成人して間もないという感が拭えない青年だった。
青年は敬礼している門番を横目でちらりと見て思った。
(今の門番、絶対俺の事ファルのお付きだと思ったな……)
そんな事を考えながら、青年、リク=エールは前を汗一つ掻かずに歩いている男、ファルガール=カーンをジロリとにらんだ。
それに気が付いたのか、不意にファルガールが立ち止まり、ちろりと横目でリクの方を振り返る。
その際に睨んだ彼の目と合ってしまい、彼は咄嗟にそっぽを向いてごまかした。
だがやはり遅かったらしい。
「お前も荷物を持て、とでも言いたそうな目だな」
「いえいえ、これも偉大なるファルガール=カーン様のお与えくださったヒジョーにありがた~い苦難ですからねぇ」
そうあからさますぎるくらい皮肉めいた口調で答えると、リクは荷物をやや乱暴に砂の上に置いた。そして思いきり伸びをすると周囲を見回した。
ファトルエルの街は丸く高い石の壁に守られている。その壁のおかげで、街の中には影が出来、割と快適な空間になっていた。
その街を十字に大通りが走り、その真ん中にひときわ大きな石造りの建物がある。
「何だ、あれ?」
「有名なファトルエルの大決闘場だ。滅多な事じゃ使えねぇ、由緒正しいモンだ。この街にゃあと四つ、小さな決闘場がある。定期的にやってる大会はそっちを使うんだ」
「へえ、で、何でファルがそんなこと知ってるんだ?」
「昔に一度来た事がある」
そう答えると、大通りの店で何かを買っていたファルガールは、また歩き出した。
そして歩きながら肩ごしに振り返り、慌てて大きな荷物を抱え込んでいるのを見てにやにやしながら言った。
「ほれ、さっさとついてこねぇと置いてくぞ」
「ち・く・しょ~」
大通りを挟む家並みは大切な街の壁や大決闘場と違い、砂を無理矢理固めたような粗末なレンガで出来ている。しかし大通りには大都市並みに人びとの賑わいがあった。
「なあ、ファル。何でここの建物はこんなレンガで出来てんだ?」
「建材をここまで運んで来れねぇからな」
確かに、食物やその他の細かい物ならともかく、木材や石材などの重く、大きな建材は砂漠のまん中まで運んでくるのは難しいだろう。
その答えに納得したリクに、また新たな疑問がうまれる。
「じゃ、あの壁とか大決闘場はどうやって作ったんだ?」
「さぁな」
「さぁな?」
リクは不満そうに眉を潜めた。
「知らねぇモンはしょうがねぇだろ。それに知らねェのは俺だけじゃねぇよ。これは、世界でも有名な謎なんだぜ。誰が、どうやって、何の為に作ったのかってな」と、リクの様子を肩ごしに認めたファルガールは口を尖らせて言い添えた。
「どーせ、何か魔法を使ったんだろ?」
「そう仮定したとして、今同じ事をできる魔導士はいねぇらしい」
「昔はいたんじゃねーか?」
「いたという証拠が無ぇんだよ。リク君、世の中には何でも物証しねぇと収まらねぇ人種がおるのだよ」
おどけた調子で答えると、ファルガールは大通りから脇に出ている小路に入って行く。入る前に彼はもう一度リクの方に振り向いて言った。
「余計なモンを見ずにしっかり俺に付いてこいよ。ここからの道は迷宮みてぇなモンだからな」
果たして彼の言った事は本当だった。少し歩いているうちにどこを歩いているのだか分からなくなる。
何しろ右へ左へ、くねくねと節操なく曲がる道、はっきりした十字路は一つもない。
そしてその道を構成するのはみんな同じような味気ないレンガの家ばかりで、特徴的なものと言えるものがない。
「ファル、何でこんな道を迷いなく歩けるんだ?」
ファルガールは答える代わりに右手にもった地図をひらひらさせてみせた。さっき、大通りの店で買ったものだろう。
リクは、ひょっとしてあの店とこの街の設計者はグルなのではないかと疑った。
そして二人はある建物の前に立った。その建物は壁のレンガにこう書かれていた。
『旅宿・バトラー』
「ここに泊まるのか?」
「ああ、昔に来た時もここに泊まったんだ」と、ファルガールは懐かしそうに建物を見上げた。
「……ここ、この街で一番安いんだろ」と、彼は横目でファルガールを見る。
「いやぁ、懐かしいねぇ、他の宿より数段安い料金表」
ファルガールはしみじみと言った。
中に入ると、いつお迎えが来ても不自然な点が一つも浮き上がってきそうにない、皺だらけの老婆が二人を迎えた。
老婆は二人の顔を確認すると、その目を一杯に見開いた。
「あ、あんたは……」そしてファルガールを指差した。
「ファルガール=カーン!?」
「えっ!?」「本当!?」「ファルガール=カーン!?」
その声に呼応して、二、三人の皆それなりに歳をくった従業員たちが姿を表し、ファルガールの姿を確認すると。一瞬にしてその顔は憎悪に染まった。
それに対し、ファルガールは脳天気に右手を上げて、明るく挨拶した。
「よっ、元気か? 働く者達よ!」
「な~にが、働く者よ、じゃっ!」と、老婆はいきなり手にしていたほうきの柄でファルガールに殴り掛かった。
が、ファルガールがそれをひょいと避けると、それはファルガールの真後ろに立っていた、事の展開に驚いているリクの脳天に当たる。持っている荷物のおかげで受ける事も避ける事も出来なかった。
「くおぉ……!」
リクは両手に抱えていた荷物を取り落とし、頭を押さえてうずくまった。
「ファルッ! てめー、避けねーで受けやがれ!」
「いやいや、武器は受けた場合に備えて、何か仕込んでる可能性があるからな。今のは避けるのが正解だ」
しれっと答えるファルガールだったが、周りは目を丸くしてもう一人の宿泊希望者に注目した。
「ファルガール、あんたの息子かい?」と、老婆が尋ねる。
「弟子だよ。俺にこんなでけぇ息子がいてたまるか」
ファルガールが訂正すると、リクに集まる視線は次第に哀れみを含んだものに変わっていく。
「ファルガールの弟子……ここまでさぞ苦労したんだろうねェ」
皆のファルガールに対する異常な反応にリクはただただ戸惑うばかりだった。
「ファル……あんたここで何かやったのか?」
「別に……」
「何もやってないとか言うつもりじゃないだろうねっ!?」
老婆に口を挟まれ、ファルガールはとぼけるように天井を仰ぎ、頬を指先でぽりぽりと掻く。
「相当な事やったんだな……」
「その通りっ!」
ぽつりと漏らしたリクに老婆が過敏に反応し、リクはびくりと体をこわばらせた。
「十五年前、この建物はこのファルガールに崩壊させられてしまったんだよ!」
「しかもどさくさにまぎれて宿代は払わなかった!」
「おかげで私達はこの厳しい砂漠で苦難をしいられ……」
ここから従業員達による聞くも哀れな苦労話が続く。
「あんた宿代が一番安いって言っておきながら結局その安い宿賃も払わなかったのか……」と、リクは呆れ果てた目つきでファルガールを見た。
「いや、建物の修復で忙しそうだったから邪魔しちゃ悪ぃと思ってよ」
だったら魔法でも使って手伝ってやればよかったのに、とリクは言い返そうと思ったが、止めた。
なんだか無駄なような気がしたし、下手をすればまた従業員の哀れな苦労話を聞かなければならなくなる。
「なあ、オウナ、オキナはどこに行った?」
「ああ、じいさんならいつものトコだよ」
老婆、オウナは答えると、いつの間に用意したのかファルガールに鍵を突き出した。
「部屋は二階の奥だよ。知ってると思うけど……」
「雨が降ったら荷物持って避難しろ、だろ?」
「何だそれ?」
訳の分からない会話にリクが首をかしげた。
「ここのレンガは水に弱ぇんだ。ちょっとした雨で全壊しちまう」
「ま、滅多に降らないけどね。さ、上がった、上がった。いつまでもそんなところにいられると次のお客さんを迎えられないじゃないか」
オウナが言い添えて促す。
ファルガールは何か言いたそうに口をモゴモゴさせていたが、リクは彼が何を言わんとしているかよく分かった。
(こんな穴場にもなってねーよーなところに客は来ないよなー、普通)
しかし、彼もやはり口には出せなかった。
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部屋に着くと、リクはやっとこさ荷物を下ろし、頭からベッドに飛び込んだ。
その瞬間に彼は「痛っ!」と、短い悲鳴を上げた。そして額を押さえながら起き上がる。
「な、何だこのベッド!?」
リクは布団の角をもって少しめくる。
このベッドはレンガを積んで薄いシーツを敷いた形ばかりのものだった。
こんなものに頭から突っ込んでいったと考えると、リクの額は余計に痛くなった。
「野宿続きだったから楽しみにしてたのに……」
ファルガールは額を押さえながら残念そうにしているリクを見て、にやにやと笑みを浮かべながら、リクが置いた荷物を探り、いくつかの小物を懐にしまった。
そしてもう一つ、古ぼけた風呂敷のようなものを出して床に敷いた。
それには複雑な魔法陣が描かれている。
「お前も“引き返しの陣”敷いとけよ。いつ迷って帰れなくなるかわからねぇからな」
ファルガールはリクが彼の言う事に従ってその通りにするのを見届けると、ドアのノブに手を掛けた。
「じゃ、行くか」
「え、もう出るのか?」
ずっと荷物を持っていたリクは、もう少しここで休憩して行きたかったが、ファルガールがさっさと部屋を出て行ってしまったので慌ててそれを追い掛けた。