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供えあれば憂いな日

 あの男はどこに住んでいるのだろうか。未だ基本的なプロフィールとでもいうのか、私はあまりあの男のことを知らない。興味もなかったのが最たる要因だが、端々において知らないという事実を知るのは、妙なくらいすんなりと受けとめることができなかった。

 そうこうして電話を切り、一時間も満たないうちにインターホンが鳴った。

 ドアを開けると金髪が見える。男はスーツ姿だった。惜しみなく長い脚を見せつけるスーツが、このときばかりは憎たらしく思った。男はビジネスバッグと紙袋を持っている。

「おはようございます。もしかして、お仕事中でしたか」私は尋ねた。

「おはようございます。ご心配なく、仕事ではありません。僕は基本的に動くときに動くだけの人間で」男は照れ笑いをした。「ほぼリタイア生活と言いますか……」

「はあ……」男の言った意味が掴めず、曖昧にうなずいて話を流した。

 男を家に上げるべきか迷ったが、一度上がったなら二度も一緒かと思い、中へ招く。

「お邪魔します」男は靴を脱いで上がると、私の後ろをついてきた。

 リビングに案内したところで、男は持参した紙袋の中身を差し出し、口を開いた。

「ご仏前にお供えください」

 思わず男を見る。いつものふざけた雰囲気との落差が激しい。

「あの……わざわざ、ありがとうございます」返答に困って出た言葉はつたないものだった。

 男は私を見て、かすかに首を振った。「雅さん。お線香を上げさせて頂いても構いませんか?」

「え……ええ、どうぞ」驚きつつも、男を仏間へ案内する。

 先に男を仏間へ通し、私は後ろからその姿を眺めた。畳の(へり)は踏まないし、羨ましいくらいの綺麗な所作に腹が立つ。

 私は、男から頂いた物を二月堂机(にがつどうづくえ)に供えた。男は線香を上げ合掌した。それから二人で仏間をあとにする。男はホッとした顔をしていた。何度も目にした、目元と頬がゆるむ表情でこちらを見ている。

「可愛らしい格好ですね、雅さん」男が言った。

 私の格好は、下がジーパンに、上は着替えてティーシャツだった。褒めるのは社交辞令のようなものだろうから「どうも」と受け流して、男を見上げる。

「橋本さん、今日はスーツなんですね」

 悔しいが、長身に似合っていると思った。

「昨日お邪魔した際はそのまま失礼したので、今日はきちんとあなたのおばあさまにご挨拶しようと思いまして」男は苦笑した。

(律儀な男だ)私は密かにため息をもらして、男に声をかけた。

「お時間はありますか。大したおもてなしは出来ませんが……よろしければ、ぜひ」

 リビングに目をやって言うと、男は「ありがとうございます」と目を細めた。

 男にはリビングのソファにかけてもらい、キッチンで準備したお茶とお茶請けを出す。

「どうぞ」

「ありがとうございます。いただきます」男は心なしかそわそわしていた。

 いつもはよく喋るこの男が、今日は物静かだ。

 私もお茶を飲んで一息入れると、男に声をかけた。

「橋本さん。お供えとお線香を上げて頂き、ありがとうございました」

「いいえ。僕が、おばあさまにご挨拶したかったので」男は柔らかな声音で言った。

 私は男を見た。微笑んでいる男を眺めていると、カッコいいなと思ってしまう。目のやり場に困って視線を外し、何か会話はないかと考えて、あ、と思い出す。そもそもこうして会うことになった経緯をすっかり忘れていた。

「あの、鍵……」

 それだけ言って男の出方を待っていると、男はスーツの内ポケットから鍵を取り出した。

「あ、はい。お借りしてすみませんでした。お返しします」

 私は、昨夜してくれた施錠の礼を言って鍵を受け取った。その瞬間、男は鍵ごと私の手を握る。包み込まれる熱に反応して顔を上げると、男はじっと私の手を見てつぶやいた。

「アクセサリー、つけないんですね」

 ぽつりとそう言うと私の指を見つめて、ついで顔に視線を移す。きっと、耳と首を見たのかもしれない。

 どきどきしながらも私は平静を装って答えた。

「貴金属に興味がないんです。石自体は好きだけど……」

 原石が好きだ。宝石として市場に出る前の、一般には鉱物と言われるような段階のもの。

 それを説明すると、男は嬉しそうに笑った。

「あなたの好きなものを一つ、知れました」

 優しく握られた手に意識がいく。首から上は血液が集中したように熱い。

 その途端、ありえない……と内心思った。突如として湧いた、信じがたい自身の気持ちに愕然としたのだ。非常識極まりない男相手に、直視するのもためらう感情を抱く。はっきり言って、認めたくないものだった。

 もっと私を知ってほしい。いろんな話をしたい。だけどそれ以上に、橋本聡という人間――彼のことを知りたいと思ってしまった。

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