夜は墓場で……ではなく酒場でウンチク会
入ったところは和風創作料理のお店だった。ランチの時間帯は過ぎていたが、けっこう客で埋まっている。店員に案内されて席につくと、ろくにメニューも見ず私は頼んだ。
料理が来るまで、男はたわいない話を振ってきた。こちらが「はい」か「いいえ」しか返さない会話でも、男は嬉しそうにしていた。
注文した料理が運ばれてくる。が、味はよくわからなかった。未だかつてないほどこの男と一緒にいるせいと、食事中も目が合えば男がその度に微笑むからだ。むやみな笑顔の振りまきは気になる。しかしそれ以上に気になるのが男の育ちのよさだ。箸使いや食べ方も綺麗だし、何より食事のスピードに目がいく。合間に会話を入れて調整しているようで、人より食べるのがずいぶん遅いはずの私と同じくらいの速さで皿の上を減らしていた。何だかその様子が亡くなった祖母に似ており、不思議な気持ちになる。祖母は、ホームパーティーを開いてはお客様をもてなしていたが、そのときの彼女は招いた人それぞれの食事のスピードに気を配っていた。
会話と食事を楽しむための振る舞いは、男が私に合わせてくれているようにしか見えない。
食事を終えたあと、男が先に席を立った。伝票を持っていくので急いでバッグを手に持ち、財布を出しながらレジへ向かうと、やはり私のぶんまで払ってくれていた。
店を出ると、男は腕時計を見て口を開く。
「もしお時間あるなら、下の階を見て回りませんか?」
「あの……」
財布を仕舞わずにいた私に、男は笑みを浮かべた。
「ご飯を一緒にという僕のわがままを聞いてくださって、ありがとうございました」
私は少々考えるも、直接的な言い回しをしない男の言葉を素直に受け取っておくことにした。
「ごちそうさまでした、橋本さん。おいしかったです」
礼を言うと、男は茶化すように答えた。
「それはよかった。でも僕は、雅さんがあんまり見つめるから、食べた気になれませんでした」
答えられない私の手を掴むと、にこりと見下ろしてくる。
これってデートにしかみえないと気づいたのは、昼食後に色々と遊びまわって「よければ夕飯も」という男の言葉を聞いたときだった。
もうこうなればヤケである。何だかんだで男のペースに振り回され、夕飯も一緒にとることになった。そうして居酒屋へと流れ込んだときには、とんでもなく気持ちが変な高揚をしていた。
こんな男の前で酔ってはいけないのに酒を頼み、食べることと目の前の男にいちいち絡むのが楽しくなってきたのは自覚している。意識は通常に近いが態度と口が横柄になってきて、他人事のように――ああ、私、気がゆるんでいるなぁというのも感じていた。
「酔っ払ってるでしょ、雅さん。可愛いなぁ」男がほざいた。
「うるさい黙れ橋本。お前は呼び捨てで十分だ」
口の滑りがよろしい。これはきっと揚げ物を食べているせいだ。そうに違いない。
橋本はフフと奇妙な笑いを漏らしていた。見れば橋本はビールを飲んでいる。いつの間に頼んだ。
「呼び捨てにするなら聡って言ってくださいよ。……聡と雅かぁ。二人あわせてSMですね」
のんきにイニシャルの説明をしている男の目に、瞬間、いやな色が滲む。これは相当、酔いがまわっているに違いない。
「変態、その田楽いらないなら私にちょうだい」
了解をきかずに味噌田楽の皿を奪って手元に置くと、反論がきた。
「変態って。僕、橋本ですよ、橋本聡。変態って名前じゃないですよ」
「うるさい黙れ変態。お前は変態で十分だ」
「あ、エッチの語源って、変態の頭文字からとったという説がありますよねぇ」変態が自身の顎に手を当てながら、得意げに言った。
そこから「変態の歴史」についての薀蓄が語られ始めた。どうでもいい知識のひけらかしには興味がないので、私は目の前の料理を堪能することに決めた。
胃がそこそこ満たされて箸を持つのが億劫になってきた頃、ちょっと食事に間を置こうとして、ふと思いだすことがあった。この男にきかねばと用意していた質問があったのだ。何だかふらふらしている頭のなかを探るように、私は男へ声をかけた。
「ねえ、変態。何で私の仕事先を知ってたの。変態の力?」
「いやだな、愛の力ですよ」
「正直に吐け、変態」
相手をにらみすえると、観念したようにしゃべりだした。
「言ったでしょう。一目惚れですよ。コンビニで働く姿が可愛いな、と思っていた。霊園に同じ人がいた。かいつまむとこんな感じです。ね?」
何が「ね?」だ。つまり以前からアルバイト先を知っていたということだ。ならお墓で出会うよりもコンビニで声をかけられるほうがより現代的でロマンチックな展開というか、人に話せる出会い方だろうに。
変態橋本を見ていると、どことなく恥ずかしげな顔つきでこちらを見つめ返していた。変態にも恥ずかしさなる概念があるとは知らなかった。いや、そんなことよりも。
「かいつまみすぎ」
私の指摘に、変態は「だってそこは僕だけの物語だ」などと、目を細めてため息をついている。幸せそうな吐息に近い。
「ああ、そう」
何だそれ、と正直思った。だから、ああ、そう、としか返せなかった。それに白けた。適当にロマンチックなことをほざいていたらごまかせるという魂胆か。当事者なんだから、私に話そうとは思わないのか変態は。教えてくれたっていいのに、笑顔で追求をかわしている。顔がいいからって、笑顔の大盤振る舞いである。腹が立つ。ちっともときめかない。
私は手近の飲み物を空にした。
気づけば手に負えない満腹状態で居酒屋を出て、変態に案内されながら車へと乗りこんだ。二人して後部座席に詰める。そのことに「あれ?」と運転席を見れば、スーツ姿の中年と思しき男性がハンドルに手をかけていた。
(代行だろうか)うとうとしながら、そう考えた。
「彼女の家まで」隣から男の声がする。
男の金髪がとても近かった。どうやら肩を貸してくれるらしい。
運転席から「承知いたしました」という声が聞こえてくる。
何でこの男達が我が家を知っているの……と思ったが、髪を撫でられる心地よさと眠気には勝てず、そのまま目を閉じた。