補遺「墓場の王子様」
いよいよ真冬到来の、ある日の夜。彼と私を前に、姉さんが酒をあおりながら難癖をつけてきた。
「その、恋してますって顔、鬱陶しいからそろそろやめてくれんかね」
そう私に言い、続いて矛先を彼に向ける。
「かっこいい顔だけど、同時になんか物足りない顔なんだよな。髪色のせいか?」
「髪ですか?」彼が少し目線を上に上げて、自身の前髪を見た。
姉さんの戯れ言にもまともに取り合う彼を眺めていた私は、ふと気になっていたことを彼にきく。
「ね、聡さん。どうして黒に染めたの?」
言ってから、ソファの前のローテーブルに置いた土鍋の中を掬った。土鍋の底にある昆布の上で、切り分けられた豆腐が湯気を立てている。今日のおつまみのメインは湯豆腐だ。土鍋の隣にはインゲンと鶏肉の胡麻和え、こんにゃくの刺身、さつまあげが並んでいる。
彼がこうして飲みに来る日は、おつまみを何品か準備していた。姉さんはそれが不満らしく「あたしにはピーナッツだけ渡されたときもあったんですけど」と言って、彼との扱いの差を述べ立ててくる。
私は、土鍋に浸かった豆腐を引きあげ、ポン酢の入ったとんすいに取り分けた。彼と姉さんへ、それぞれ渡す。
お礼を口にした彼はしかし箸をつけず、さきに質問に答えてくれた。
「これはご挨拶に伺うので、染めたんですが。スーツと相性いいですし、雅さんもこっちのほうが見惚れてくださる気がして、ちょっとこのまま放置しようかなと」
何だか彼の返答は深く追求したくない類いのものだったので、「ふうん」と相槌だけで流すことにした。
二人のぶんを入れ終えた私は、自分のとんすいにも豆腐を入れ、さっそく食してみた。姉さんが中元の残りだと言ってこのあいだ高級昆布を持ってきたのだ。やはり羅臼昆布のおかげか、いつもより美味しく感じる。思わず笑みがこぼれた。これは箸が進む。もう、金髪だとか黒髪だとかの話はどうでもよくなった。
「あんた前、金髪だったんだってねぇ」姉さんがつぶやく。
そうだ、姉さんは彼の黒髪姿しか見ていない。湯豆腐に夢中になりつつもおぼろげに思いだした。そこへ「雅さん」と声がかかり、私は箸を休めて彼を見た。
「あっちのほうがお好みでしたか」彼が、自分の髪を少しつまんで言う。
「私はどちらでも。黒のほうが大人しいけれど、見慣れたら金も悪くなかったかなって、今は思います」
そう答えて、豆腐をもう一口いただく。こういうのは温かいうちに食べないともったいない。
彼もとんすいを手にした。「実はあれ、雅さんに声をかける少し前に、染めたんです」
「へえ、そうなんですか」
「お墓のお花、雅さん、いつもオレンジや黄色の花にされていたので」
そこまで言われて、箸が止まった。とんすいを持ったまま、私は彼を見る。
「まさか、それで金髪」
「はい」彼はよどみなく答えた。
「おい、坊ちゃん。あたしはてっきり、あんたの名前からしてピカチュウと似た色にしたんじゃないかと今の今まで大笑いしてたぞ」
姉さんが、どうでもいい予想を披露すると、彼は「あ、はずれましたねー」と、のんきに微笑んだ。
とんすいと箸をテーブルに置いた私は、しばし呆然とする。
馬鹿だと一笑に付せないのは惚れた弱みか。
彼は平然と湯豆腐を口に運び、姉さんも一緒に食べ始めて「うまいなこれ」と舌鼓を打っていた。
「でも金髪って何だか、絵本に出てくる王子様みたいだと思いませんか」彼が微苦笑を浮かべて言った。「白馬があればもっと似合うかも。雅さんも更にときめきますね」
その言葉のせいで、私は勝手に想像をふくらませた。白馬の王子様。確かに乗馬している姿はかっこいいかもしれない。心のうちで納得する。
「ちょうちんブルマーと白タイツもさまになるかもな」
姉さんが余計な口を挟んだが、同感だった。きっと似合うだろう。ちょっとこわいが。
うなずきかけた私に気づいた彼は「複雑な気分だ」とため息を吐いていた。
姉さんが笑っている。私もつられて笑った。それを見て、彼はうなだれる。
だけど、内心思うのだ。白馬に跨る姿よりもきっと今の彼のほうが、ときめく。
なぜなら私は、あの場所で出会った彼を好きになったのだから。