たぶん墓石より重い執念
変な金髪男と墓地で遭遇してちょうど一ヶ月が過ぎ、恒例のお墓参りが今月もやってきた。
もしかしたら……と思うと、げんなりした気分になる。だというのに習慣とは恐ろしく、朝一番でスーパーに行った私は一束三九八円の仏花を一対買っていた。
毎月の行事としてお墓参りが生活の一部となっている。欠くのはしっくりこない。それにあの一度きりのこと、今日も変質者まがいの人間がいるというのも、心配のしすぎではと思ってしまう。しかしながら、いないという確証もない。ただせっかくお花も購入したから、行こうという心持ちで靴をはいた。
いなければそれでよし、いたとしても、先月したように無視して逃げ帰る。あるいは、いざとなれば大声を上げればなんとかなるはずである。暗い夜道でもないし、開けた空間で、そもそも場所柄からして危険性が高いわけでもないし、誰かしら人がいるだろう。
あの人物にしても独特の不気味さはあったが、すぐすぐ何かをしてきそうな雰囲気ではなかった。
会話ができても話は通じないような男とでも言うべきか。
気にしない気にしない……と私は首を振って、自身を奮い起こした。
墓地に着いて、無料貸し出しの手桶と柄杓を持ってお墓に向かう。すると山田家の文字とともに、いらぬものまで見えてしまった。あの男だ。金髪が目立つ。お墓の灰色とのコントラストが、何の言葉も継げない迫力を持っている。
家を出る前はよし行こうという気持ちだったのに、それは急速にしぼんでしまった。どうしてそんな判断をしたのか今さら思う。おそらく私には最初から、目的の見えぬ不気味な男に付き合う度胸も根性もなかった。そのことに無頓着で、危機管理的な意識が欠如していたのかもしれないが、すでにあとの祭りだ。
気づかれぬうちに家へ帰り、霊園管理会社に連絡するのが賢明だろうと思い、音をたてず数歩下がった。だが引き返そうとした瞬間、「ああ!」という声がした。憎らしい条件反射のせいで振り向いてしまい、男と目が合う。馬鹿な自分にうんざりしながらどうやって乗り切ろうかと考えるが、よい案が浮かばず、私はその場に立ち尽くした。
「花子さん、花子さんじゃないですか! こんにちは、今日も綺麗ですね!」晴れやかな笑みを浮かべていた男はお墓をちらりと見て言った。「花子さんがあまりに美しいので、ほら、花挿しに入っている花たちも照れて下を向いていますよ!」
枯れているだけである。
男は一人で盛り上がっていた。その姿がやはり気味悪い。帰りたい。
だが。
……せっかく毎月欠かさずお墓参りをしてきたのだ、変な人間ごときに遅れをとるような心地も持ってしまい、また迷う。
目の前の不審者にためらう足どりを見せたせいか、男はまだ私に向かってしゃべっていた。
「会えた! 奇跡ですね! ああ、すごい奇跡だ! これは仏様と花子さん、それに花子さんの山田一族が与え給うた偉大な奇跡ですね! 何たる僥倖! 待ち続けていた甲斐がありました!」
男は感激に打ち震え、奇跡だ、ともう一度つぶやいていた。
それは奇跡じゃなくて、執念と気味悪さのなせる業のほうが近いはずである。
背中を向けて走りだすにも足が動かない。どうしようもなくなってしまった。
それが結果的に男をしばらく観察するはめになったのだが……こう言うのもなんであるが、不審者のくせして男は、安全面では問題なさそうに見えてきたのだ。怪しいは怪しい。が、危害を加えそうにない類いの変質者とでもいうべきか、さけて通れば問題ない様子とでもいうべきか。攻撃性に富んだ人間ではなさそうに思えてしまった。
しかしその判断は、やはり自身の危機感のなさゆえの誤りかもしれない。我がことながら自らへの呆れも理解できている。たぶん、あまりの事態に頭が追いついておらず、そういう考えに至っただけなのだろう。いや、単純に自分が馬鹿なだけかもしれない。
おかしな汗がうなじから背中へ流れた瞬間、私はさらに変な判断をした。ここまできたのだ、ちゃんとお墓参りをして帰ろうと決めた。
うちのお墓の前にいる男を警戒しながら墓石の掃除をしつつ、尋ねる。
「あの、いったいなんのご用でしょうか。それに、失礼ですが……どちら様?」
声音を落として尋ねると、男は目を見開き、そして笑顔になった。
「初めてあなたから質問してくれましたね! 嬉しい」男は照れているのを隠すように頭をかく。「橋本聡です。聡の字は聡明の聡です。どうぞ名前で呼んでください。親密な感じがたまらないので」
どうやら名前に似合わず、聡くはないらしい。
「どういったご用件ですか」
問うと、男は怯むことなく盛大に、そして豪快に、のたまった。
「山田花子さん。僕と結婚してください!」
前回と同じ展開、いや、進化していた。
お付き合いを吹っ飛ばして結婚か……と意外にも冷静に考える。にしても教えていないから当然だが、この一ヶ月、私のことを「花子」と思っていたらしい。
とりあえず、私のやるべき作業はお墓の掃除と花の取替え、線香を上げて合掌することであって男の相手ではない。なので、いろいろと無視して作業に取りかかった。
告白を終えた男は様子をうかがうように、周囲をうろちょろし始めた。
「あの、聞こえていました?」先ほどとは打って変わって、控えめに男が問うてくる。
ある程度、物騒でないとわかるとこちらにも余裕が生まれた。
「あの、私はまったくあなたを存じ上げませんが、私の親戚筋に関係がおありなのですか」
「いいえ」男があっさりと返す。
「なら……」
言い方を考えあぐね、結果そこで言葉を切ってしまうと、黙る私に代わって男がつぶやいた。
「一目惚れです」
「はい?」
こちらの様子もお構いなしに、男は独白を始めた。告白に続いてここまで来ると、不気味を通り越したものがある。
「いつもあなたをお見かけしていました。お墓には、決まった日にあなたが現れるのに気づいて……祥月命日なのかな、と。毎月いつも同じ日に花をお供えされますから、きっとこの日なら会えるかと思い、毎回毎回、遠くから見ていました。いつも声をかけたくて仕方ありませんでした」
男の話が長く続きそうだったので、お墓の掃除を始めることにした。
だが手元を見て気づく。「……あ」
手桶に水を入れるのを忘れていた。
ついこぼれたつぶやきに、話していたはずの男は敏感に反応した。
「水ですね! 汲んできます」
手桶を持つと、向こうに見える蛇口の並んだ水汲み場へと行ってしまう。
(何だ、あれ。何なんだ、あの男)
呆然としているあいだに、男は戻ってきた。たっぷり入った水が手桶の中で揺れている。渡された手桶を見下ろしながら無愛想気味に「どうも」と言うと、男が嬉しげに「いいえ」と返してきた。
私はお墓の掃除に戻った。男は話の続きを始めた。
「初めてあなたを見たのは十ヶ月前です。それから毎月、この日が楽しみになっていました。お墓参りに一生懸命なあなたを見ていて、僕も手伝いたいなとか、ロウソクに火を点けるのを見て、僕も一緒に火を点けたいなとか、それが初めての共同作業になったらいいなとか、本番でのキャンドルサービスの練習になるかなとか、色々と思い巡らしていたんです」
この男、とんだ妄想癖があるらしい。しかし、結婚式での行為を墓地で練習する奴がいるのか。
話を耳に入れるのも面倒になりながら、柄杓で水を掬い、お墓にかける。花挿しも綺麗に中を濯ぎ、水を入れる。持ってきたお花をそえた。
その間、男は延々と話していた。
「気持ちばかりが膨れ上がって、もうどうしようもなかったんです」
そのまま膨れ上がって爆発して、散り散りになってしまえば良かったのに……と内心、思った。
「それで、先月……ようやくですよ、ようやく。あなたに声をかけることができました」
男は息を吐いて言葉を切った。話はここで終わりらしい。
私は挿し立てたロウソクへ、チャッカマンを近づけた。
途端、男の動く気配がした。見れば、隣にいる。一瞬にしてチャッカマンに男の手がそえられ、驚きに目を見張った私を無視して、男はチャッカマンを握っている私の手ごとロウソクに誘導した。
「あなたが好きなんです。ずっと見ていたんです。もうそれでは満足できません」
二人で一緒に点火の作業。なんということだ。図らずもこの男の妄想通りになっている。
「花子さん、好きです。幸せにします。僕と結婚してください」
二人で握ったチャッカマンの少し先で、ロウソクが燃え始めた。
息が止まりそうな悪い興奮と緊張が、喉もとから言葉に変わった。
「警察呼びますよ」