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後日談その二 後編

 すっかり飲む頃合いを過ぎた缶コーヒーに目をやって、私は彼の言ったことを考えた。喜ばせるつもりのなかった自分の長い言葉のどこに、彼は何を思ってそう言ったのだろうか。コーヒーを見つめていても、当然だが一向に答えは出ない。

「どうしてそう、ここぞというときに好意を難なく言えるのかな」居心地悪そうに彼はぼそりとつぶやいた。

「橋本さんのほうが強烈じゃないですか」出会ってからの出来事を思い出して、私は反論した。

 彼はちらと私を見たが、異存は述べなかった。自覚があるのだろう。そう考えていると、おかしくてつい口元がゆるんでしまった。なぜ私が笑ったのか気づいたらしい彼は、これ見よがしにため息を吐く。

「あのね、雅さん。そんなの、好きだからです。なりふり構っていられないですよ」

「ほら、橋本さんのほうが『上』です」

 足元を見ながら小さな声で指摘すると、彼は姿勢を変えて、私のほうに体を寄せてから足を組んだ。

「僕もどちらかと言うと、淡白なほうですよ」

「え」思わず顔を上げて、彼を凝視する。

「何ですか、信じられないものでも見るような目つき」彼は言った。

 その通り、虚言かと思うほど信じられなかった。

「ストーキングって淡白な行為なんですか」

 問うたはいいが、肯定されたらそれこそ仰天だ。

 彼は視線をそらさず返してきた。

「僕のこと、かなり誤解していますよね」

「いえ、的確に捉えているつもりでしたが」

 彼はふてくされた表情で私の手からコーヒーをうばう。そのままプルトップを開け、(ぬる)いであろう中身を喉に流し込んだ。

「あ」

「いただきます」そう言ってもう一飲みしてから、缶を口から離した。

 事後承諾に、思わず笑いがこみ上げる。彼もつられて微苦笑を浮かべたようだった。それから思案したふうに短く、うーんと彼は(うめ)いて口火を切った。

「僕もね、似たようなことを考えます。どうしたらあなたの気を引けるかなって」

「似てますか?」

 反対するつもりはないが、似ているとは思わない。私の考えは、自信も魅力も積極性もないから一人でうだうだと悩んでいるようなものだし、彼の場合は考えが行動につながっている。

「わからない?」彼はコーヒーを、自身の座る右側に置いた。「誰か一人のために迷ったり頑張ったりするの、素敵ですよね。そういう好意って、全部受け取りたくなる。だからね、話してくれてありがとう。ますます好きになりました」

 一瞬どくんと自分の心臓の音が聞こえた気がした。彼の言葉に顔が熱くなって仕方ない。頬と耳が真っ赤だろうから、当分のあいだ耳に髪をかけ直すのをやめて下を向いておく。冷たい風のあまりの心地よさに、しばらくは熱が引かないかもしれない。私は深く息を吐いた。

「雅さん」彼が優しい声音で呼びかける。「僕はね、とてもじゃないけど、長年連れ添うとか、相手がずっと変わらないとか、そういうのって理解できなかったんです。でも世のなか生涯添い遂げる人達がごまんといる。よく飽きもせず同じ人と共にいられるものだと以前は考えていました。……だからそれは、僕には奇跡にしか思えなかった」

「奇跡?」私はほんの少しだけ顔を上げて、彼の様子をうかがった。

「はい」彼はうなずく。「そう思っていたけれど、僕にも現実として叶えることができる瞬間がくるかもしれないと、予感しています」

 彼の言う奇跡の実現が、自身に都合よく頭の中で展開する。

 だがそれも一瞬で消えた。落ちてきた髪を耳にかけられ、彼に赤い顔をあらわにされてしまう。

 その瞬間なぜだろうか、不思議にもするりと言葉が出た。

「聡さん」

 小さなつぶやきだったけれど、それが聞こえたらしい彼は目をわずかに見開き、そのあと深く息を吐いた。

 彼の手が、熱をもった皮膚の上を伝う。耳の下あたりから首筋をひと撫でされて、戻ってきた手によって耳たぶにかすかな感触を得る。

 呼吸が止まりそうになる感覚と、くすぐったい感覚が同時におそってきて、私はその刺激に満たされそうだった。

「不思議なものです」私の耳元からゆっくりと手を離した彼は微笑んで言った。「僕は今、僕の未来に期待しているんですよ、雅さん」


 空の向こうのほうは夕焼けをのぞかせている。

 私はそれを視界におさめながら、横にいる彼のほうもちらりと見た。話を終えたあとの彼は、缶コーヒーの残りを飲んでいる。しばらくすると飲み干したのかベンチから立ち上がり、近くのゴミ箱に缶を捨ててまた戻ってきた。そうして座っている私に手を伸ばす。

「戻りましょう」

 先程の話をしたときと何ら変わらぬ優しい口調でそう言うので、私は立ち上がってその手を掴んだ。彼が手を引いて歩き出す。

 ぎゅっと握ると、まるで合図のように握り返される。それだけで、互いの距離が少し近づいた気がした。

 今なら言えると思い、私は声をかける。「ねえ、聡さん。あの、よかったらなんだけど、聡さんのお兄さん……いや、お姉さんに会ってみたいです」

「お兄さんで結構ですよ」彼は私をそろりと見下ろした。「近いうちに紹介します」

 そのあっけない返答が、妙な安心感を誘う。

 彼が屋内に繋がるドアを開けると、途端に温かな空気が体を包み込んだ。ドアのガラスに彼と繋いだ手が映る。それを見ると不思議なほど気持ちが軽くなり、安堵を覚えた。

 今度はどうでもいいことが頭に浮かんでくる。私はそのまま隣の彼を見上げた。

「あとそれから、本当はね、マンボウが好きなの」何となく、そうこぼした。

「うん? 急に何かと思えば」

 場違いな言葉に、彼は苦笑した。けれど楽しそうな横顔を見せてくれた。

 やっぱり、言いたいことや伝えたいことを押し込めるのも程々がいいのだろう。何事も適度なのだ。くだらないことでも、伝え合えたらきっと今より歩み寄れるのかもしれない。そう思うと、現金なほど明るい気持ちになる。

「聡さんは何が好き?」彼の好きなものを一つ知ろうと、期待をこめて尋ねた。

 彼はにこにこして答える。「雅さん」

 恥ずかしげもなくそう言った彼に、こちらのほうが照れくさくなった。反応に困る冗談かと思ったが、彼を眺めているとどうやら奇をてらったわけでもないらしく、それが余計に自分の中の恥ずかしさをあおった。

「……生き物とかは? エイとかヒトデとか」話題を導くように例を出してみる。

「なんか平たいね」彼は感想を返してきただけだった。


 ウィンドウショッピングに戻り、お店をぐるぐると回る。ふらりと、彼は服屋に立ち寄った。後をついて一緒に見ていると、そこでグレーのストールを買って、そのままそれをプレゼントしてくれる。

「マンボウと同じ色ですね」彼が、からかうように言う。

「知りません」と私はそっぽを向いたが、「つれないなぁ」と返す彼はにやにやしていた。

 私は、機嫌のいいらしい彼の横を歩く。ショウウィンドウに映る自分達の姿をときおり見ていると、心が浮き立った。彼が嬉しいなら、私も嬉しかった。

 いつの間にか互いの指が絡んだ繋ぎ方をしていて、あまりの自然な流れに内心驚きつつも、汗が出ないかとか、おなじみとなった不整脈の心配とか、私一人だけが意識しているのかとか、色々と考えだして頭は混乱をきたす。

 私はたまらず「頭痛が、痛い」と訳のわからない不思議な言葉をぽつりと漏らしていた。

 その様子に彼が笑った。「違和感、感じますねぇ、それ」

 すぐさま嫌味を返された。私は繋いだ手をそのままに、彼の脇腹を肘で小突いてやる。

「真似しないでください」

「模倣は他者への好意の表れですよ」彼がほどけかけた私の手を掴みなおす。「好きな人の真似は、したくなるものです」

 ストレートな表現を使うことに、もはや何も返せない。彼は勝ち誇ったように笑みを深めた。その余裕がくやしくて、掴んだ手に思いっきり力をこめてやる。だが彼はくすくすと笑うだけだった。

 彼を見ながら、私はさきほど交わした屋上での会話を考えてみた。どうにも、隣の男は人並み以上のお付き合いをしてきたようにしか思えないのだ。

 彼と付き合うことになった翌日の、我が家で飲み明かしたあの日の深夜を思い出してみる。あのときは酔いが回ってうろ覚えだったが、姉さんが「入れ食い」やら「すけこまし」やらと彼をののしっていたのを聞いた気がした。そう判断できるほどの男女の機微にうといため今の今まで忘れていたが、姉さんの言葉はどれだけ当たっているのだろうか。

 つまりは、その余裕は気質なのか、経験なのか。

「今までの聡さんって、どういう人だったんですか?」私は彼を見て言った。

「どういうって?」

「屋上の、さっきの言いようを考えていると……」

 しかしそこで、何を言うつもりだったのかと自制が働く。私は口をつぐんだ。

「僕のこと、興味を持って頂いたのは嬉しいですけど、質問が漠然としていますね。何か気になります?」彼が余裕の口ぶりで言った。

 頭の回転がよいらしく、きっと私の言いたいことは見当がついているはずなのだ。そのくせ、言わせる気らしい。

 これはやり込めたいところだ。むくりと闘志が沸き起こる。

 彼をうろたえさせる切り替えしを考えながら、私は真横の当人を見上げた。

「聡さんって、すごく」何と言うべきか思案した結果、ようやく口にする。「取っかえ引っかえ……?」

 私は彼を眺めた。何か考え込むふうな表情をのぞかせていたが、困った様子には見えない。だがいつも以上に、レスポンスが遅い。

 おや……と思った私は、彼が墓穴(ぼけつ)を掘るのを待ち構えた。まるでイタズラ気分だ。

 だが少しすると、彼はフフとあやしげな笑いと共にその長身を(かが)めた。そうして私の耳元に唇を寄せてつぶやく。

「雅さんが、僕の『最後』です」その言葉を残して離れた。

「……え?」

 耳に響くのは幸福な余韻であるはずなのに、敗北感まで味わうのはなぜだろう。

 まるで掘りかけた墓穴にそっと土をかぶせて、うやむやにされてしまった気分だった。

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