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後日談その二 前編

 リビングに行くと、ソファの上で姉さんがあぐらをかいてテレビをみていた。私に気がついた姉さんは、片手をひょいと上げて手招きしてみせる。テレビ画面は、録画してずっと溜めこんでいた昼ドラを映していた。本放送に追いつくため、朝っぱらから視聴していたのだろう。私は立ったまま、残すところ最後の数分を姉さんと一緒になって眺めた。

 疑わしき影がついに夫の愛人としてその姿を主人公である妻の前に現し、夫を寝取ったことを告げる修羅場展開を迎えたところで、次回予告が入る。

「ショートケーキばっかり食ってたら、たまにはモンブランも食したくなるのが人間というものだ」

 録画したぶんを見終えた姉さんは、そんな感想を漏らした。

 人間をケーキにたとえている。その感性がある意味で素晴らしかった。

「不倫はいやだな。これは奥さんがつらいよ」とりあえず主人公(ショートケーキ)を弁護してみる。

「今回はモンブランが牙をむいただけでしょ。なに、ショートケーキも根性あるさ」

 姉さんは、励ましなのか何なのかよくわからない言葉で片付けると、こめかみを揉んで眉間に皺を寄せた。

 私は手元の携帯電話を見る。彼からメールがきていた。このあいだ、ようやく彼とメールアドレスを交換するに至った。もちろん任意である。今までは勝手に個人情報を引き出されていた感があったので、新鮮な気持ちになったものだ。

 メールをして初めて理解できたのが、たわいないやり取りの充実性だった。「おはよう」や「おやすみ」などといった、それだけの内容でメールをすることに全くもって意義を見出せなかったものだが、なるほど始めてみると、「おはよう」一つでもにやけてしまう現状がある。

「今からデート?」姉さんは尋ねると、あくびをした。

「うん」

「朝からご苦労なことで。しっかし、付き合って一ヶ月記念ねぇ……気持ち悪い」姉さんが難しい顔で言う。

 今日でちょうど交際一ヶ月なので、デートをしようと数日前から約束していた。

 携帯電話を片手にうろうろしていると、呆れた調子で声がかかる。

「あたし、やたらと記念日を覚える男は駄目。ついでに、やたらと記念日を作る女も無理」

「え、それ私のこと言ってるの?」その場で止まって、姉さんを見た。

 姉さんはソファにごろんと仰向けで寝転がると、再びあくびをして言った。

「二人で盛り上がっているうちは楽しいよねぇ、すっごい楽しいよねぇ」

 そう、白々しい口調で楽しさを演出しているらしい姉さんはウンウンとうなずいて、どこか哀愁まじりのため息を吐く。

「情熱的な男は結構さ。だけど燃えたら、あとは燃えカスだけだしなぁ。燃焼はそのとき限りのものである……とな」

「不吉なこと言わないでよ」私は思わず言い返した。

「偉い人が言った格言だぞ、不吉なもんか」姉さんは寝転んだまま腕組みをする。「その偉い人とは、若かりし頃のあたしだけど」

「あ、そう」私は携帯電話に視線を戻した。

 すると、姉さんがぽつぽつと勝手に喋りだす。

「あんただって、気をつけなさいよ。ほら、何だっけ……あの野郎の兄、もとい姉。いや、姉もとい兄か? まあ、どうでもいいけど。あんたさ、実際にその女を見ていないのにさ、あの野郎に言われてすっかりその女を兄だと信じ込んでいるみたいだけど。それって、どうなの」

 姉さんの言葉に、反論が思い浮かばなかった。

「昔からそうよねぇ。思い込んだら一直線だよね、あんた。良くも悪くも一途なの」姉さんは、懐かしそうな声音で、けれど戒めるような物言いをした。

「疑えってこと?」

「そうじゃない」姉さんが遮る。「浮かれているあいだは、言葉だけで解決しても満足なもんだ」

「うん」意味がわからず、返事だけして続きを促した。

 姉さんはあくびをかみ殺して、ゆっくりと話す。

「信じたいと思って信じるのと、信頼しているから信じるって違うでしょ。聞き分けのいい子をやっていてもねぇ」そう言って意地悪げに笑った。「ホントは気になるくせに」

 姉さんの言葉にどきりとした。

 そうだ。確かにそうだ。気にはなっている。断じて彼の言葉を疑うわけではないし、別に問いただすほどでもないけれど、小さなくすぶりがある。それは、安心したいという願望に近い。

「よくわかったね」私はぽつりとつぶやいた。

 その声が聞こえたのか、姉さんは柔らかな笑みを浮かべた。だが、隠すようにこちらに背を向ける。

「駄目だ、眠い。悪いけど今日のも録画しといて」

 昼ドラの録画を私に頼んだ姉さんは、いってらっしゃいと言うように、手を振って、それから動かなくなってしまった。


 家を一歩出れば、焼き芋が食べたいくらい、寒かった。

 冷え込んだ風が日差しの中を吹き通っている。

 意気揚々とワンピースなんぞを着てしまったことを早くも後悔した。足が寒かった。思わず今出たばかりの家に引っ込もうとしたが、視界に映る彼の姿に、戻るのをやめた。

「おはようございます」さっそく彼が声をかけてくる。「今、戻ろうとしたでしょ」

「寒かったので。おはようございます」門扉を閉めて、私は彼の横に立った。

 迎えに来てくれた彼に従い、我が家の前で停まっている彼の車へ寄る。助手席のドアを開けてくれる彼に礼を言って乗り込んだ。

 今日は水族館デートだ。

 ありきたりかもしれないが、カップルの当たり前のデートに興味があったので、これから少しずつそのようなスポットを制覇できることは、楽しみで仕方ない。

 私は、運転中の彼の姿を横から眺めた。彼のほうも、本人が言うにはそういう場所に疎いらしい。しかし、こういった経験がないと言うわりに、やけにエスコートが上手だなと前々から思っている。家柄だとか(たしな)みだとか、女性の扱いが上手な理由を考えるが、実際に手馴れているのを見ていると、どうにもそれでは納得しかねるものがあった。

 目的地に着いて車から降りると、彼と手を繋いだが、意識しているのは私だけのようだ。この余裕の差が憎らしい。だがそれも次第に思わなくなり、水族館へ入った私は目先の生き物に気を取られはじめた。

 自分の身長の、何倍も何十倍も高さと横幅のある大きな水槽を眺める。煮つけや鍋に入れたらおいしそうな魚も泳いでいる。食材も観賞になるものだなぁと感心した。

「圧巻ですね。あ、マンボウ。可愛い」

 ゆっくりと横切っていくマンボウに目が釘付けになる。あの平べったいところが、大変に愛嬌があって好きだ。

 笑いながら、水槽に喋るように前を向いていた私は、ふと隣の彼を盗み見た。同じ表情をしている彼にますます嬉しくなったが、すぐ水槽に目を戻し、魚に夢中になっている振りをした。

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