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天にも昇る心地


 聞こえてきたのは、場に似合わない浮かれた声だった。

「可愛いなぁ」

 その声の主を見上げていると、うっとりとしたような口調で再び言葉が落とされる。

「可愛らしい」

 そう言って突如として抱きしめてきた。

「わ!」

 びっくりしているあいだに、彼の腕が背中にしっかりと回る。

「嫉妬ですよね、それ」明るさをにじませた声音で、彼は確かめてきた。

 頬ずりする勢いの力に抵抗している私だったが、きかねばならないことを思い出し、彼から何とか離れる。

「ど、どなたですか、あの方!」どもりながらも言い切れた。

 またもや引っ付こうとする彼は不服そうな顔つきで私の顔を眺めるが、話が先だと諦めたらしく口を開いた。

「結論から言うと、あれは兄です」

 彼の言葉がいやに響く。「兄」という言葉が発せられたのは、聞き間違いではないはずだ。

「あ、に?」今度はこちらが目を見開く番だった。

「いや、わかりますよ、わかります、その反応。女だったっておっしゃりたいんでしょう」

「はい」私は強くうなずいた。

 どう見ても昨日の人は女性にしか見えなかった。スカートにブーツ姿の、綺麗な女性だった。

 彼は目を閉じて額を片手で覆い、大仰に首を振ってため息を吐いた。

「あれは兄です。まぎれもなく男です。厄介なことに、そこら辺の女性より『らしく』見えるのですが……」

「兄……」私は思わずつぶやく。

 彼は目から手を離し、ちらりと私を見た。

「雅さんの後見人をされた『姉さん』と同類と思って頂ければ、適当かと」

 姉さんと同類――その言葉に色々と考えていたことが綺麗に抜け落ちていった。

「……え? あれ?」もう何が何やらさっぱりだ。

「わかりませんでした?」彼は首を傾げる。

 私は素直に答えた。「はい、まったく」

「そうですか」彼は続けた。「愚兄と同じにおいがしたものですから、雅さんにあの方を紹介されたとき、僕はピンときましたよ」

 今、じつの兄に対して彼が愚兄と口にしたような気もするが、それに突っ込んでいる暇はない。

「あの、もう一つきいても?」

 私の質問に、彼は笑顔で迫った。

「可愛らしいやきもちを焼いた雅さんになら、何でもお答えできます。ついでに何でもお応えします。結婚しますか?」

「しません。それより……」

 勘違いした恥ずかしさのあまり、勢いよく話を遮る。心なしか彼の表情に陰りがさした気もするが、無視して尋ねた。

「最近、連絡がなかったのはなぜですか?」

 お墓参りも一緒に行って、たわいない会話をするようになってからというもの、たった十数日でも音沙汰なしというのは寂しかった。

 彼は考える素振りを見せ、ゆっくりと喋りだした。

「それなんですが……まずは、お墓参りにご一緒できず、すみませんでした。じつは風邪で臥せっていたり、色々と時間が取れなかったりで」

「大丈夫ですか?」思わず話を止めてしまう。

「大丈夫ですよ。心配してくださって、ありがとうございます」彼はにこりと微笑み、車に視線をやった。「ここは冷えますから、中で話しませんか?」

 うなずいた私に、彼は助手席のドアを開けてくれた。途端に昨日の出来事がよみがえったが、あれは男の人だと思い直し、助手席に座った。それから、話をきくために運転席のほうを向いた。

 運転席に乗り込んだ彼はぽつぽつと話し出した。

「ひどい風邪だったもので、お墓参りに行けないのを連絡しようと思ったんです、雅さんに。でもそのときは、かけるのをやめたんです」彼は困ったような顔で私を見た。

 私が「はい」と静かに相槌を打って促すと、彼は悩むように視線をさまよわせ、続きを話した。

「もしかしたら僕が行かなかったことで、雅さんのほうから連絡あるかなと思って待ってみました。けれど一向に連絡がないので……身勝手なものですが、つまらない意地を張って電話がかかってくるかを確かめて……そうしていたら、そのうちにますます体調を崩してしまって」

 彼はそこで区切ると、照れくさげに頭を掻いた。車内の仄かな明かりが、彼の柔らかそうな黒髪を照らしている。

「ずっと考えていたんです。自分があなたの声を聞きたいから電話をして、会いたいから会いに行っていただけなのに、その行為に僕は見返りを求めていた。それに気づいたとき、たかが電話で意地を張る自分が恥ずかしかった。だから余計に行きづらくなって。でも会いたくて、我慢できなくて……愚兄のくだらないアドバイスまで参考にしてプレゼントを用意し、今日、会いにきたんです」

 そこまで言われてハッとした。「……じゃあ」

 彼は笑っていたが、真剣な目をしていた。

「兄と出かけているときをご覧になられたのかと。僕には、雅さんだけですよ」

 顔が熱い。胸がどきどきして、息が苦しい。

「赤くなってる……」

 途端、彼はかすれた声でそう言って、私の頬を両手で包んできた。ゆるやかに包まれたそれは、はねのけようと思えばいくらでも可能なのに、できない。温かい彼の手は心地よいと同時に、大きな異性の手であることを認識させられて戸惑った。

「雅さん。他にききたいことは?」彼はゆっくりと尋ねた。

 声を出すのが恥ずかしくて、首を振って答えたいのに彼の両手があるからそれも無理だ。仕方なく、口を開く。

「ない……です」

 予想した通り上擦った声しか出なくて、さらに恥ずかしくなり目を伏せた。

「本当に?」彼が親指で頬を軽く撫でる。

「はい」

 恥ずかしい。本当に恥ずかしくてたまらない。自分の頬の熱さが、彼の冷えた両手のせいでよく伝わる。

「じゃあ、僕に言いたいことは?」

「ない、です」

 反射のように言ったけれど、本当は違う。彼もそれをわかっていたようで、「嘘」と優しい声で否定した。

「勘違いしていたのかな、僕は」彼は目を細める。「何か言ってもらえるとばかり思っているんですけど」

「あ、あの……」すごく困って、ようやく言えたのはそれだけだった。

「はい」彼は返事をして、待ってくれた。

 きっとこの瞬間が、彼の与えてくれているチャンスなのだ。これを逃せば、どこにも行けやしない。どこにも進めやしない。

 私は初めて、自分の気持ちを伝えた。

「好き、です……好きなんです、橋本さんのことが」

 緊張のあまり涙がこぼれた。彼はそっと親指の腹でぬぐってくれる。きっと親指だけ、ふやけてしまうかもしれない。

「雅さん」彼は、目の下を行き来する指を止めた。

 私は彼を見た。視界がぼんやりとしていたが、彼の真剣な表情は見えた。

「あなたが好きです」彼は言う。「僕と付き合ってください」

 ……何でこんなに涙もろいんだろう、と思いながら、私は「はい」と返事をした。


 恥ずかしさも臨界に差し迫ると涙は引っ込むらしい。彼はすでに頬から手を離して、ハンカチを貸してくれている。気持ちは嬉しいが、そんなに顔面がひどいのかと疑いたくなった。

「もう、いい?」

 急に彼がささやいてきたので、何が「いい」のかよくわからないまま、彼の顔を見やる。そこには苦笑した顔があった。

「あー、苦節一年半くらいですかね。ようやく……」

 その声がどんどん近くなって、「もういい?」の意味に気がついた。緊張しすぎて呼吸が止まる。それから瞼を下ろした途端に、唇に初めての感触がやってきた。実際には触れただけだろうけど、その時間をとても長く感じた。

「雅さん。そんなに固くなられると、拒絶されているみたいで落ち込みます」

 唇を離した彼は、しかし未だ大した距離も開けず、ごく近くでこちらを見ていた。

「だって、緊張でどうにかなりそうで」あまりに恥ずかしくて、彼から少し離れてつぶやいた。「今なら不整脈で死んでも不思議はないと思います」

 私の言葉にくすりと笑う声が聞こえる。

「僕も昇天しそうなほど感涙ですよ」彼の顔が再び近づいた。「でも、長生きしましょうね。二人で」

 はい、と小さくうなずいて、私は目を閉じた。




「墓場の王子様」本編終了


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