墓場の王子様、召喚
夜、私は彼に「お世話になっている人に会ってほしい」と電話した。さらに付け加え、日付が近々――明日でもかまわないかと謝りながら告げる。途端、受話器越しの男は静まり返り、しかしすぐにその声音が跳ね上がった。
「はい、行きます。その方には恋人として紹介してくれるんですよね!」
男の着眼点はそこだった。
それには肯定でも否定でもない宙ぶらりんな気持ちを抱くが、この微妙な気持ちを言うのは難しく、どう返事をすればよいか困っていると、彼は続けた。
「ちょうどよかった。このあいだお邪魔したときに雅さんの好きなものを知れたので、用意したものがあるんです。明日、受け取ってください」
「え、ええと」私はますます返答に困る。
彼は気にせず話を元に戻した。「で、何時にお伺いしたらよいでしょうか」
「そうですね……」思案しながら相槌を打つ。
電話口で彼の都合をきき、予定の時刻を決めた。
そのあとは、たわいない会話に終始した。話の途中で嬉々とした声が受話器から漏れてくる。そのたびに、どうしてこの人は惜しむことなく楽しそうなのをあらわにするのだろうと思った。
さて、本日。時計が十四時を指す頃、スーツ着用で彼は文句も言わず我が家にやってきた。昨日の今日でセッティングされた席にもかかわらず虎屋の羊羹を持参しており、いつにも増して笑顔である。
だが何より目をみはったのは、髪の毛だ。金色が真っ黒になっている。スーツにも似合っており、さわやかな好青年といった感じである。姉さんの、王子様なる発言を思いだした。変質者でなければ、引く手あまただっただろう。
見慣れぬ黒髪姿を玄関で出迎えリビングに案内すると、姉さんは私と彼を交互に見て座っていたソファから立ち上がった。
「そこに直れ、坊ちゃん」姉さんが威嚇するように指示を出す。
姉さんはある種の非常識人だ。特に私的空間においては、外面というものを完全に放棄する。
偉そうなのが仕様なんです……と彼に耳打ちして、失礼な態度をとったことを謝罪し、それぞれ一通り挨拶を済ませた。
私は彼の持ってきた羊羹を受け取った。食い意地の張っている姉さんに任すと、きっとすさまじく不平等な分け方を披露するだろうから、今のうちに取り上げて皆で食したほうがいい。
「おもたせですみませんが、橋本さんからの羊羹を頂きますね」
本人の了解を得て、私はキッチンへと引っ込んだ。羊羹を皿に分け、お茶も用意して戻る。姉さんたちはソファに向き合って自己紹介をしていた。お茶を置いて、私は姉さんの横に座った。彼は姉さんと話を一段落させると、私に向き直った。
「今日は、雅さんにプレゼントしたいものがあります」
そう言って、にこやかにブランド物のビジネスバッグに手を入れた。
「宝飾品をあまり身に着けないと伺いまして、しかしどうしても贈りたいという私の希望も織り交ぜた結果、恰好のプレゼントに思い当たったのです」彼はバッグから包装された箱を出した。「どうぞ受け取ってください」
渡してくる箱を見つめていると、姉さんが受け取って私の手に乗せた。
「こういうのはね、ありがとうって言ってもらえばいいの」
姉さんの言葉通りにお礼を言い、箱を開ける。出てきたのは、淡いピンクや透明色の玉が連なる、数珠のブレスレットだった。
「ね? どちらの意見も汲んだ結果です」彼は言った。
その際の、評価を求めるような視線は無視した。
かけるべき言葉が見つからない私の代わりに姉さんが答える。
「ずれてるね、あんた」
「恐れ入ります」黒髪の頭が下がった。
褒めていないのに笑顔で返す彼は、私に近寄って箱から中身を取り出した。数珠にしか見えないそれが、目の前に差し出される。
「もらってくれますか?」
「あの、せっかくですけど……」
やんわり断ろうと思ったが、それを見越していたのだろう彼の反応のほうが速かった。
「ブレスレットですが、数珠でもあります。雅さんはその類いに弱いでしょう?」
数珠と名のつくものを突っぱねるのはどうにも嫌だ。しかしそれゆえに、気軽な感覚でもらうこともできない。金持ちの用意するプレゼントは高価なはずだ。よくわからないが、いい石で、お値段もそれなりな気がして、なおさら受け取りがたい。
悩む私をよそに、姉さんはお茶を飲んで一服している。
「質屋に持っていけないようなのを選んだなぁ」
しみじみ言う姉さんに、彼はまた礼をして微笑んだ。「恐れ入ります」
結局、プレゼントは私の左手首におさまった。もらったものを身につけるというのは、何だか気恥ずかしい。
羊羹を頬張っていると、たまに彼と目が合う。その度に、優しげな笑顔と見慣れぬ髪色を目の当たりにするので、それもまたどきどきとした。もう、羊羹の皿を見ているくらいしか目のやり場がない。そう思い、ひたすら視線を落としていると、姉さんが余計なことを言い出した。
「ものにしたいとは思わないのか、坊ちゃん」
何を言うのだと、思わず顔を上げた。
「無理をしてそれが叶うものでもないでしょう」彼はあっさり口にする。
「押しの一手のくせに、最後の最後で押し倒す気なしか」
「困らせたくないんです」
その言葉に姉さんはニヤリと笑った。「困るのはむしろ坊ちゃんだろうね。鉄のパンツかもしれない」
「ではあなたが鍵を持っているのですか?」苦笑した彼は尋ねた。
「キーパーソンなだけに」姉さんが笑う。
二人の素早いやり取りに割り込む余地はなく、私の話をしているというのに出る幕無しだ。羊羹ばかりにがっつくのもおかしいので、仕方なくお茶を飲んで時間を過ごした。
彼も湯飲みを持ち一口飲むと、つぶやいた。
「妬いてしまいますね」
「あたしはこの子の保護者なの」姉さんは私を見て自信たっぷりに言う。「だから対象外でしょ」
「……どうでしょう。私からしたら、安心と心配の半々の存在ですね、あなたは」彼が含み笑いを浮かべた。
その途端、姉さんは大笑いした。足を組みなおしてソファに背中をゆったりと預けると、笑みをおさめるように深呼吸をしている。
「雅」姉さんが私の名前を呼んだ。
ようやく出番かと思いそちらを見ると、姉さんは目を細めて言った。
「賢い男だ。悪くない」
「もったいぶってるのか」
帰る彼を玄関で見送ったあと、姉さんは私の横に並んで言った。
「違う」ドアを閉めて中に入る。
「でも、好きなんでしょ」
姉さんの言葉に私は衝撃を受けた。他者から言われる感覚は新鮮だった。いや、それだけが理由なのだろうか。
私は問いかけに少し間をあけてから「たぶん」と答えた。
「あー、青臭い。嫌だね、遅い青春って」
姉さんは呆れながらも、表情は楽しそうだ。
私は、自分よりも背が高い姉さんの顔を見上げてつぶやいた。
「ヒゲ、うっすら生えてきてない?」
姉さんの趣味は女装だ。つまり、生物学上は男だった。
「無駄毛が元気すぎるって不利だ」顎をさする姉さんがポツリと言う。
「男に戻る?」
「いやよ」姉さんは顎から手を離して笑った。「ただでさえあたし、坊ちゃんの要注意人物になったのに、これ以上嫉妬の対象に見られて肩こりがひどくなるのはゴメンだわ」
「四十肩、間近だもんね」
「余計な一言ありがとう」
「それにしても。あの人、気づいてたんだね」事実を確かめるようにつぶやく。
彼と姉さんとの会話だけでは半信半疑だったけれど、姉さんが言うなら確かだろう。彼は何かのタイミングで理解したのだ、姉さんが男である、と。
「あんた、厄介なのに惚れられたね」
姉さんは私の頭をポンポンと手で触れた。そして励ますようにひと撫ですると、私に告げた。
「デート、誘ってみれば」
めまいのする難題だった。