第5話 夕暮れの縁側と、幸福なリスの頬袋
放課後のチャイムが鳴ると同時に、僕は足早に校門を抜けた。
向かう先は、学園の目の前にある和菓子屋『三色堂』――ではなく、その隣。僕の自宅だ。
(先輩、今日もあそこにいるかな……)
期待を胸に角を曲がると、案の定、彼女はそこにいた。
夕日に照らされた亜麻色のロングヘア。モデルのような高い背筋。
ななか先輩は、今日も『三色堂』のショーケースの前で、彫刻のように静止していた。
「…………」
その横顔はどこまでもクールでミステリアス。けれど、その視線はつやつやのみたらし団子に一点突破で突き刺さっている。
お財布の中身と食欲の間で、彼女は今日も人知れず、世紀の死闘を繰り広げているのだ。
「ななか先輩」
声をかけると、先輩は「はうっ!?」と短く声を漏らして肩を震わせた。
「……あ、一年の、お節介さん」
「甘野伊織です。先輩、またお団子と睨めっこですか?」
「……睨んでない。見つめてただけ」
先輩は頬を微かに染めて視線を逸らしたけれど、そのお腹から「ぐぅ……」と切実な音が聞こえてきた。
耳まで真っ赤になっている先輩が、たまらなく愛おしい。
「ちょうどよかったです。家で新作の試作をしてたんですけど、お団子って時間が経つと固くなっちゃうじゃないですか。一番美味しい状態で食べてほしいので、うちの縁側でモニターになってくれませんか?」
「……うちって、すぐそこの?」
「はい。目と鼻の先です」
僕が自宅を指差すと、先輩は迷う仕草を見せた。
少しの逡巡のあと、食欲という名の悪魔が勝ったらしい。
「……モニターとしてなら、協力する」
そうして僕は、憧れのななか先輩を連れて、家の門をくぐった。
夕暮れの優しい光が差し込む縁側に、先輩に座ってもらう。
僕は急いで工房へ向かい、今朝練り上げた生地を手早く仕上げ、香ばしく出来上がった「最高傑作」を皿に盛った。
「お待たせしました。淹れたてのほうじ茶と一緒にどうぞ」
朱塗りの盆に乗せられた、琥珀色に輝く三兄弟。
先輩は、ごくり、と喉を鳴らした。
「……いただきます」
細く綺麗な指が、串をそっと手に取る。
そして、小さく開かれた口に、最初の一粒が運ばれた。
その瞬間。
「……んぅっ……!」
劇的な変化が訪れた。
凛としていた先輩のフェイスラインが、一瞬でとろけた。
柔らかいお餅を頬張ったことで、シュッとしていた頬が、内側から押し出されるようにして「ぷくーっ」と丸く膨らんだのだ。
まるで、大好物をいっぱいに詰め込んだ小動物の頬袋だ。
高身長で大人びた雰囲気とのギャップが、その可愛さを暴力的なまでに引き立てている。
(……っ、かわいい……!!)
心の中で叫びながら、僕は懸命に冷静さを装う。
先輩は目を細め、幸せそうに「もぐ、もぐ」と咀嚼を繰り返す。
柔らかそうな頬がリズムよく動くたびに、僕の胸は締め付けられるように高鳴った。
「……おいひぃ……これ、すごふおいひぃ……」
口の中が幸せで満たされているせいで、言葉がうまく発音できていない。
けれど、その潤んだ瞳と、緩みきった口元が、何よりの感想だった。
「……ふぁぁ。幸せ……」
最後の一粒を飲み込み、とろんとした表情で空を見上げる先輩。
夕日に照らされたその横顔は、ミステリアスな美少女から、ただの「お団子が大好きな女の子」へと変わっていた。
「どうですか、お口に合いました?」
「……うん。伊織くん、天才。お店で売ってるのより、ずっと好きかも」
先輩は僕の方を向き、ふにゃりと無防備に笑った。
その瞬間、僕の胸の中に、これまでにない達成感が広がった。
(あぁ、これだ……)
僕が作ったもので、この人を笑顔にできた。
眉間の皺が解けて、柔らかな「ぷっくり」が生まれるこの瞬間。
お人好しだって言われてもいい。僕は、この笑顔を隣で見守るために、和菓子屋の息子として生まれたのかもしれない。
「先輩、おかわりもありますからね」
「……食べる」
二本目に手を伸ばす「食いしん坊な天使」を眺めながら、僕は確信した。
僕の高校生活は、甘いお団子の香りと、この世界一可愛いほっぺとともに、最高に甘酸っぱく幕を開けたのだ。
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