第36話 息の合った夜空の創造と、二人だけの特別な工房
七月六日、七夕の前日。
放課後の甘野家の台所――僕の『秘密の工房』には、甘い砂糖の匂いと、小鍋から立ち上る熱気が満ちていた。
「よし、寒天がしっかり溶けたな。ひなた、青の色素を」
「はい、これね。少しずつ入れるんでしょ?」
僕が手を伸ばすより早く、ひなたが絶妙なタイミングで小鉢を手渡してくれる。
天然のクチナシから抽出した青い色素を、火にかけた寒天液に数滴垂らす。木べらで静かにかき混ぜると、透明だった液体が、まるで魔法のように深い夜空の青へと染まっていった。
「うわぁ……すっごく綺麗な青!」
鍋を覗き込んだひなたが、瞳をキラキラさせて感嘆の声を漏らす。
「ここからグラデーションをつくるから、時間との勝負だ。固まる前に型に流し込むぞ。ひなた、バットの準備を」
「もう濡れ布巾敷いて準備できてるわよ。ほら、見とれてないで手元に集中しなさい!」
「……ほんと、敵わないな」
僕は木べらを動かしながら、思わず苦笑してしまった。
僕が次に何を求めているのか、彼女は完全に理解している。使い終わったボウルはいつの間にかシンクへ片付けられているし、繊細な火加減も、僕が見落としそうになる前にスッと調整してくれる。
言葉すらいらない、流れるような『阿吽の呼吸』。
一人で作っていた時の、あの手足がもつれるような心細さや焦りが嘘みたいだ。
「どうしたの? 手が止まってるわよ」
「いや……やっぱり、ひなたが隣にいると最高のペースで作れるなって思ってさ」
僕が素直な気持ちを口にすると、ひなたは一瞬だけ目を丸くした後、えっへんと誇らしげに胸を張った。
「当然でしょ。あんたの世話を何年焼いてると思ってるのよ。天才パティシエになるのは無理でも、あんたを一番うまく乗せられるのは、私なんだからね」
その自信に満ちた勝ち気な笑顔が、たまらなく頼もしく感じる。今のひなたには、あの雨の日のようなは気弱さもうない。
「ああ。頼りにしてるよ、最高の相棒」
僕は一番深い青の層をバットに流し込み、少し冷やし固めた上に、少し薄い青の層を重ねていく。最後に透明な寒天を流し込み、そこに星に見立てた上質な金箔と、小さく型抜いた黄色い練り切りを丁寧に散りばめた。
「よし……これで、あとは冷蔵庫でしっかり冷やし固めるだけだ」
「やったぁ! ……ねえ伊織、これ、型から外したら絶対すっごく綺麗よ」
バットの中でまだ波打つ、小さな夜空。それを見つめるひなたの横顔は、達成感で嬉しそうに微笑んでいた。
「明日、ななか先輩のびっくりする顔が楽しみだね」
「ああ。絵海里の帰国祝いの予行演習としても、完璧な仕上がりになるはずだ」
僕一人じゃ決して作れなかった、二人で作った特別な星空。
窓の外からは、夏の始まりを告げる虫の声が微かに聞こえてくる。
僕たちにとって特別な意味を持つ七夕の夜は、もうすぐそこまで来ていた。




