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第30話 静かすぎる雨上がりの日常。熱を出した幼馴染と、優しくならない杏のくず湯

 翌朝、隣の柏田家へいつものように幼馴染を迎えに行くと、ひなたのお母さんから「ひなた、熱を出して寝込んじゃったのよ」と聞かされた。


 あの激しい雨の中、傘もささずに走っていったのだから、無理もない。

 僕は激しい後悔と自己嫌悪で、朝からずっと胸の奥が鉛のように重かった。


 学校へ行っても、全く授業に集中できなかった。

 いつもなら、僕がボーッとしていると「またお菓子のこと考えてるの?」と呆れた声が飛んでくる。でも今日、僕の周りにはその声がない。

 休み時間の教室はいつも通り騒がしいはずなのに、僕にとってはどうしようもなく静かだった。ひなたの小言や世話焼きがないだけで、日常がこんなにも空っぽに感じられるなんて思いもしなかった。


 放課後、実家の手伝いを早々に切り上げ、僕は自宅の台所――秘密の工房に立った。

 ひなたの風邪を少しでも早く治したい。せめて、喉に優しくて体が温まるものを作ってお見舞いに持っていこう。そう思って選んだのは『あんずのくず湯』だった。


 爽やかな酸味のある杏を丁寧に裏ごしした特製のシロップ。それを、上質な吉野本葛でとろりと練り上げる。熱があっても飲みやすく、心も体もホッと落ち着くはずのお菓子だ。

 小鍋に葛粉を入れ、少しずつお湯を注ぎながら木べらで練っていく。

 和菓子作りは、火加減とタイミングが命だ。葛の様子を見極めながら、透明感が出るまで絶え間なくかき混ぜなければならない。

 いつもなら、ここで「はい、次これね」と、絶妙なタイミングでひなたが必要なものを差し出してくれる。だけど今日、隣には誰もいない。


 一人で火加減を調整していると、どうしても昨日の光景が脳裏にフラッシュバックしてしまった。

 シャッターの前で見せた、あの諦めきったような、寂しそうな微笑み。

 どうしてあんな顔をさせてしまったのか。僕の何が彼女をあんなに傷つけたのか。いくら考えても答えは出ず、ただもどかしさだけが募っていく。


「……あっ」


 小鉢に取って一口味見をした瞬間、僕は顔をしかめた。

 考え事に気を取られて、砂糖の加減を誤ってしまったようだ。強い甘さが舌を突き刺し、杏本来の爽やかな酸味や繊細な風味を完全に殺してしまっていた。

 素材の良さを引き出すのが和菓子の基本なのに。これではただ甘ったるいだけで、風邪を引いた体を癒やすような優しい味には程遠い。


「……僕、何やってるんだろ」


 コツン、と木べらを置いて、僕は深くため息をついた。

 ただ葛を練り上げるだけの、素朴なくず湯ひとつ、まともに作れないなんて。ひなたが苦しんでいる時に、気の利いたお見舞いすら完成させられない自分がひどく情けなかった。


(……そりゃそうか。あんな泣きそうな顔を見た後じゃ、心配で集中できるわけないよな)


 一人きりの静かすぎる工房で、失敗した鍋を前に途方に暮れる。

 空っぽになった隣の特等席を見つめながら、僕はただ、幼馴染への心配と不甲斐なさを募らせていた。


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